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アンコンシャスバイアスがあるというアンコンシャスバイアス

あけましておめでおとうございます。
もっとも、既に三賀日最終日となっていますが…
正直、今の仕事は閑職なので、冬休みは少し長めにもらっています。
本当はもっと長めに取ろうと思ったりもしたのですが、職場の人間関係的にもチキリました。
年末年始は、娘がお腹を下したり、妻が体調悪かったりして、微妙にバタバタしていました。
さて、近況報告はこれくらいにしましょう、今年もよろしくお願いいたします。

では、本題に参りましょう。
アンコンシャスバイアスという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
ほとんどの人は聞いたこともないと思います。
いわゆる社会学用語であり、特に自称フェミニスト、つまり女権主義者界隈で多用される用語となります。
「バイアス」だけであれば一般的な用語ですので皆さんにも馴染みがあると思います。
直訳すると「偏り」であり、認知や思考傾向の偏りを表すことが多い用語になります。
で、アンコンシャスなる言葉が付くと「無意識下での思い込み・刷り込み」と言った意味となる様です。
では、この言葉はどう言った文脈で使用されるのでしょうか?
多くの場合、こんな使われ方をします。
「女性には理系の学問や責任ある仕事には向かないというアンコンシャスバイアスが男女共に存在し、そのバイアスによって女性の社会進出が阻害されている。」
なるほど、これだけを聞くとさもありなんと思わないでもないですね。
実際問題、人間なんて必ず思考や認識にバイアスがかかっているものだし、それを明確に認知している人なんて、理論上存在しないでしょう。
かなり意識すれば、自分にはどういうバイアスがかかっているかを多少自覚できる、というのが関の山ではないでしょうか?
もちろん、これを書いている私も、意識下・無意識下の多くのバイアスが思考にかかっています。
もちろんこれは大前提なのですが、ビックリすることに、恐らくですがアンコンシャスバイアスという言葉を好んで使う自称フェミニスト自身は、自身のアンコンシャスバイアスに無自覚であり、かつ、自身にはあらゆるバイアスがかかっていないニュートラルな思考をできている、と思い込んでいるフシがあるのです。
左翼全般に言えることですが、自身の完全性、無謬性を一切疑うことをせずに、自身の意見に反対する人間を愚かな敵対者だと見做す傾向にあります。
彼らの本来の論理からすると、「意見の違う相手の意見にも真摯に耳を傾け、相違点を適切に確認しながら理想を目指していく」とでもなりそうなものですが、実際には相手の事情なんて一切無視して、彼らは一歩も彼らの主張を譲りません。
結局は、彼らの主張は教義であり、思考によって生み出されたものではないからです。
なので、宗教の狂信者と同様に、妥協して落とし所を探るなんてことは許されないのです。

閑話休題、フェミニスト連中が罹っているアンコンシャスバイアスの例を示しましょう。
もし、フェミニストが自身の意見を否定された場合、彼女らがどうするかを見てみましょう。
まず、第一に相手が男性であると決めつけます。
特に、権力者であり、モテない女性差別者の弱者男性であると決めつけます。(そもそも一文で矛盾しているのですが、割とガチでそう決めつけます。)
フェミニストの無茶苦茶論法に対して異議を挟む人には女性も少なからずいるのが実態なのですが、現に批判者が女性であると判明すると、今度は批判者を「名誉男性」だと決めつけます。
つまり、「女性であるにもかかわらず、男性や男性社会におもねって、男性からお恵みの利益をかすめっとっている女性の敵」であるという差別的なレッテルを貼るのです。
実態は、その批判者の女性は普通に社会生活を過ごしている極常識的な一女性であるにも関わらずです。
このことからも、フェミニストが「自分達の意見に異議を挟むのは、男性社会の受益者たる男性か、男性社会にケツを振る名誉男性だけである。」という醜悪なアンコンシャスバイアスに汚染されているのです。

さて、かなり衝撃的な例示をしましたが、次の例は言論の場では極めて致命的な事例かと思います。
それは、「女性が不利益を受けている原因がアンコンシャスバアイアスによるものである」というアンコンシャスバイアスがかかっており、それに無自覚であるということです。
話がこんがらかってきたかもしれません。
要は、無意識の決めつけが存在し、それが原因であることを前提として、それに都合が良い資料・事例のみを収集して、またバイアスのかかった解釈を加えて、ひたすらに自己正当化をするのです。
当然、現代科学においては、自然科学を含めて「まずは仮説を立てて、それを検証(検定)する」という手法は一般的であり、むしろ強く推奨される手法です。
しかし、検証(検定)の結果、仮説と相反する結果が出た際には、仮説そのものを見直すことが必要です。
しかも、多くの場合、それは因果関係の証明には至らず、良くて相関関係を示唆する程度に留まります。
確定論的な話は、自然科学ですら滅多にできるものではなく、それよりも不確かさの大きい人文社会科学においては望むべくもありません。
にも関わらず、社会科学においては仮説は教義に等しく、仮説を見直すという発想がありません。
時には不利な結果を無視し、時には無理な解釈を加え、時に得られた都合の良い結果を恣意的に誇張するのです。
フェミニストの権威である上野千鶴子御大も堂々と「都合の悪いエビデンスは隠す」と著書で述べております。
過去記事でも書きましたが、例えば「ジェンダーギャップ指数の順位が低いことが、日本の女性差別が激しい証拠である。」という言説があります。
反証は過去記事にあるので割愛しますが、無理矢理なこじつけであるとともに、あわよくばよく知らない人間に印象操作を仕掛けようとしているという姑息な行為です。(単に言っている側も内容をきちんと把握せずに印象だけで話しているケースも少なくはありませんが…)
正直、フェミニズムを含めた社会科学自体がふんわりしすぎていて、如何様にも解釈ができるものを基に独自の理論を構築するので、多くの場合、単なる主観的に定めた仮説が世界の真理であるかのように吹聴されるのです。
閑話休題、女性の理系進学率が低い原因がアンコンシャスバイアスによるものであるという仮定をしたとしましょう。
それが事実かどうかはさて置き、フェミニストはその仮定をアンコンシャスバイアスにして都合のいい情報を集め、都合の良い解釈をして、都合の良い論理積み上げます。
自然科学のように、明確に仮説を否定してくれる実験結果なんてそうそう出ませんからやりたい放題です。
そもそも、不利なエビデンスは隠すと第一人者が公言している分野ですので尚更です。
科学の分野では因果関係を示すのが極めて困難であるというのは先ほども述べたところですが、相関関係を示すのもかなりの注意を要します。
擬似相関といって、確かにグラフとかにしたら相関関係を示すものであっても、実際には因果関係はもちろん何も関係がなかったり、別の原因が共通してあったりするのです。
ですので、女性の理系進学が少ない原因を「アンコンシャスバイアス」だとしても、表向きは論理が成り立ってしまいます。
一方、別の仮定を本当に検証したのかと言うと、多くの場合そうではありません。
例えば、原因を「女性が地味で地道な理系分野に魅力を感じない傾向にあるから(私は女性の「キラキラ志向傾向」と呼んでいます。)」「女性は十分に保護されているため、堅実な理系職種に就職するモチベーションが低い傾向にあるから」「進学時期の女性にとって魅力的な男性が理系進学先に少ないことが見込まれるから」と言った仮説を置いた場合においても、原因を「アンコンシャスバイアス」とおいた場合と同等かそれ以上に説得力のある議論ができてしまうということです。
こういった、他の仮説を置いた場合にも成り立たないか?という仮説検証はやっていないか、やっていたとしても強くバイアスがかかった評価・判定をしている可能性が高いでしょう。

そして、アンコンシャスバイアスを声高に叫ぶ人間は、彼らの守るべき対象(女性や特定マイノリティ)以外に対するアンコンシャスバイアスには極めて無頓着です。
例えば、「性犯罪者」と聞いてどんな人物像を思い浮かべるでしょうか?
中年男性で不潔で無職で、当然独身の彼女いない歴イコール年齢の弱者男性?
実際には、父親や教師等の被害者に身近な人物が加害者であるケースが多いそうです。
その次に、いわゆる遊び人風のイケてるお兄ちゃんですね。
また、女性の性犯罪者も存在します。
性犯罪を犯すのは鬱屈した弱者男性ある、というアンコンシャスバイアスによって、性犯罪者の人物像を推定してしまうのです。
別の例では、某アイスクリーム会社のCMで、購入者の見た目でその食べるシチュエーションを決め付けると言うものがあります。
例えば若い女性客であれば女子会だろう、サラリーマン風の男性であれば家族で食べるのだろう、さてオタク風の男性は?
CM中では「そういうのもアリ!」と発言していますが、どう言ったものを想像したのでしょうか?
一人で大量のアイスを買い込んで一人で食べるシーンを想像したのではないでしょうか?(まぁ、アイスは保存が効きますしね。)
ただ、別に彼が子沢山の父親かもしれませんし、大勢の友人と頻繁にパーティをしているのかもしれませんし、大食いの彼女や妻がいるのかもしれませんし、ハーレムの主人である可能性も排除できないのです。
なんせ、宗教の教祖とか汚いオッサンが多いですが、女性信者にモテモテですからね。
そういったCMに対して、普段アンコンシャスバイアスダー!と叫んでいる人々が批判をしたのでしょうか?(残念ながらXを凍結されたため昨今確認していませんが…)

さて、取り止めもなく書いてきましたが、一番言いたいのは「アンコンシャスバイアスを批判する者は、己のアンコンシャスバイアスに自覚的かつ批判的になるべきであり、特定のアンコンシャスバイアスを非難するのであれば、等しく他のアンコンシャスバイアスにも非難を向けるべきだ」ということです。
長くなりましたが、今日はこんなものにしておこうと思います、ありがとうございました。

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