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「危機の時代」の知性とは、方向感覚を保ちつづけること。

TEXT BY KAZUNARI TAKAYAMA
※フリーペーパーSTAR*16号「積層」「NEW NORM」連動企画

選書タイトル:「濃霧の中の方向感覚」
著者:鷲田清一 出版社:晶文社

▼ 要約紹介文(200字程度) Amazonより転載
危機の時代、先の見えない時代において、ほんとうに必要とされ、ほんとうに信じられる知性・教養とはなにか?それは、視界の悪い濃霧の中でも道を見失わずにいられる「方向感覚」のこと。複雑性の増大に耐えうる知的体力をもち、迷ってもそこに根を下ろしなおすことのできるたしかな言葉と出会う。社会、政治、文化、教育、震災などの領域において、臨床哲学者がみずからの方向感覚を研ぎ澄ませながら綴った思索の記録。

「危機の時代」の知性とは、
方向感覚を保ちつづけること。

グローバリゼーション、シンギュラリティ、新型コロナウイルス…書き上げれば事欠かないほど、時代が変化している。現代人は、霧の中、どころか「濃霧」の中を歩むかのような「時代の混沌」に投げ込まれている。
鷲田は、「『危機の時代』の知性」を、「方向感覚を保ち続けること」だと記す。周りの誰もが「正解」を知らない時代だからこそ、「自分の持っているリソース」、つまり家族・友人・同僚・恩師、そして地域社会・政治・文化の「手触り」を、改めて点検する必要がある。手の届かないところに簡単に辿り着けるほど、やわな時代ではなくなっているのだ。だれもが「手の届く範囲にある自分だけの資源」を頼りに、どっしりと足場をつくりながら、歩んでいくしかない。
「はじめに」には、こう書いてある。「先が見えないと、ひとは言う。(中略)この時代の塞ぎの理由はじつは逆ではないのか。未来が不確定なのではなくて、ある未来が確実に来ることがわかっていながら、それにどう対処したものか、どこから手をつけたらいいのか、見当がつかないことがそうした塞ぎの理由ではないのか。」
現代社会にはびこる「塞ぎ」をうまく乗りこなす術を、身に付け駆使すべき現実がすぐ目の前まで迫ってきている。

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