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デザイナーの社会人遍歴 其の5 ~遂に古着屋で働くよ! ~急遽中編~

其の① 若干二十歳の俺 VS ブラック印刷会社編

其の② 古着屋で働きたいよ!編。~序章~

其の③ シルバーアクセ屋で販売経験をGETせよ 編。

其の④ 遂に古着屋で働くよ! ~前編~

書きたい事が多かったので、古着屋編は3部作でいきます。


23歳の俺。季節は夏。
福岡古着界の雄 JET RAGにて
遂に古着屋スタッフとなった。


古着屋編 前編で説明したが、この勤める事になったロスに本店を構える古着屋 JET RAG。まずはこのJET RAGの社長の伝説めいた話から始めよう。

生ける伝説? JET RAG社長

ここに記述する内容はすべて、社長ご本人や歴の長いスタッフから聞いた話なので真偽は分からない。

若き頃の社長は、東京に奥様と子供三人と暮らしていた
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定職には就かずギャンブル等で借金が膨らむ
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取り立てが厳しくなっていく
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家族全員を連れて(アメリカへ)国外逃亡
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アメリカにて着物の中古品販売の会社に勤める
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その会社で一気に上り詰め、会社を奪い、その会社の社長になる
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(ここからアメリカ古着屋 JET RAGをロスに開店するまでの話は聞いた事なし)
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ロサンゼルスに開店した 古着屋 JET RAG が大当り
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JET RAG社長ユ〇クロ 柳〇社長ハリ〇ッドランチ〇ーケット(聖林〇司) 垂〇社長の御三方によって、日本に【アメリカ古着】を持ち込んだ

注)この部分が一番「本当かよ…」と思っている部分だが、ハリ〇ンも根底はアメリカ古着だ。

引用元 OTOKOMAE
https://otokomaeken.com/brand/148527

ユ〇クロも創業当初は、USEDのLevis501やUSEDのCONVERSE等がお店に並んでいたよという話を別口で聞いて、まさかマジ話なのか…と未だに謎に包まれている部分である。

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80年代後半~90年代初頭あたり? 日本の福岡に JET RAG JAPAN開店
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90年代中頃、日本で爆発的なアメリカ古着ブームが起こる

※この時代の古着屋オーナーさん達、ベールで買っても中にゴロゴロヴィンテージ入ってて、エグイ利益率&爆発的ブームで滅茶苦茶儲かったらしい。
皆さん、一等地の高級マンションに住んで高級車を乗り回していたらしい(羨ましい)(しい ばっかり)

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福岡の同じエリアに、80's レディース古着屋 Tiger Rose、70's レディース古着屋 Gypsy Queen を開店


ザッとこんな感じ。 凄い人生だ..…



JET RAG 関連店舗 & 古着卸倉庫

JET RAGが、入社当時運営していた店舗&卸倉庫
・JET RAG(USA / Los Angeles)
・SLOW (USA / Los Angeles)
・JET RAG(Japan / Fukuoka)
・Tiger Rose(Japan / Fukuoka)
・Gypsy Queen(Japan / Fukuoka)
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・古着卸倉庫 (USA / Los Angeles)
・古着卸倉庫 (Canada / Toronto)

このふたつの直営の卸古着倉庫。1st Pick(古着新入荷後に一番最初に入る業者)は常にJET RAG。古着卸倉庫をアメリカとカナダでやっていたのは、かなりの強みだったと思う。


当時の貴重な企業パンフレットを今も大事に持っている。

実家で大切に保存

グラフィックデザイナーもやっている今となっては、このプロが作ったとは到底思えないパンフレット。しかしその  雑 さ がアメリカらしくてカッコいい。



JET RAG 勤務初日

そして願いに願った古着屋での勤務初日。
ロスのJET RAG同様、50坪の広々とした店内は上下2段で古着がギッシリ詰まっていて、鉄製のシューズラックにスニーカー/革靴/ブーツもギッシリ。全てのラックの下にもシューズがズラーーーっと並ぶ。現代の古着屋さんは、セレクトショップの様に綺麗にスッキリ魅せるお店が多いかと思うが、まさに90年代そのままの、宝探し感満載の店内。初日は平日で、客入りもゆったりだったので、店内整理をしながら商品を見るだけで最高に楽しかった。

501にバンTで、DEENのボーカルに激似の店長(以下 DEEN店長)とロングのドレッドヘアに501 BIG E にバンT(以下 ドレッドさん)と自分。
凄く優しく業務内容の話や自分やスタッフや古着の話、JET RAGのこれまでの話などをしたのを覚えてる。面接の時の格好は鮮明に覚えてるのに、この勤務初日がどんな格好だったかの記憶が1mmも無い (笑    しかしドレッドさんに「良いジーパン履いてるね~」って言われた記憶はあるので、シングル 517か501 66あたりを履いていたと思われる。

翌日は、数年前に爆発的人気だったSPI〇NSのスタッフで、JET RAGに移ってきた女性スタッフが出勤。これまたM51のヴィンテージパンツに、透けたブラックのブラウスを合わせたオシャレGIRL。 そして姉妹店スタッフみんなとも直ぐに打ち解けた。ほぼみんな同世代だったし。

業務内容は、ロス本店と基本同じスタイル。売れた商品を付ける日報用紙もロス本店と同じ物で、すべて英語。 翌日朝に前日の売り上げをアメリカにFAXするのだ。

車で30分くらいの所に倉庫を借りていて、そこには古着がモリモリ。そこから在庫を持ってきて日々補充する。値付けはすべてスタッフに任されており、店内在庫の平均単価が1800円を下回らないというルールのみ。まぁその時のアイテムの価値(値段)はスタッフの方が詳しい。季節ものなどを倉庫に戻す時は【reject】と段ボールに書いて倉庫に戻して、在庫管理ノートに記す。これもすべてロス本店と同じやり方。

商品が何十パッキンも届いて、中を見る時のワクワク感は凄かった。みんなで「これ!めっちゃいいやん!」「うお~~ これ売れなかったら俺欲しいっす!」てな感じで、一番の楽しみだった。

刺激的で超楽しい日々だった。


因みにこれがJET RAGのショッパー。
(当時はショッパーなんて洒落た呼び方は無かったと思うけど)

これは個人的にかなり貴重!
実家の元自分の部屋で発見。物持ち良すぎる疑惑。


日本にJET RAGをオープンさせた時に作ったショッパーで、アメリカと日本の両方ともこのショッパーを使っていた。ロス本店とJET RAG JAPANの両方の情報が載っている。ショッパーもMADE IN USA。どこまでもカッコいいお店だ。





店長退職。

お店に立ってる時に、DEEN店長に「俺、辞めるんよね」と言われた。DEEN店長が退職するからの今回のスタッフ募集だったようだ。

それまでDEEN店長ともう1人(自分が入った時には退職済)の方が、2人で3ヶ月交代(観光ビザで滞在できるギリギリ)で、常に日本のスタッフがアメリカにいて、古着をピックするという流れでこれまで来ていたらしいが、古着ブームが下降し始めていたこの時に、今の売り上げでは日本からスタッフを行かせる事は出来ないとなって、退職を決めたらしい。このDEEN店長は、2日休みがあったらすぐ韓国に行っちゃうくらい海外が好きな人だった。というか日本に居たくない人だったという方が正しいか。

アメリカに行けなくなるなら続ける理由が無いという事だろう。



当時の福岡古着界

他県がどうかは分からないし、現在がどうかも分からないが、自分が古着屋スタッフをしていた時の福岡古着界は横のつながりが強く、他店のオーナーさんやスタッフさんとも凄く仲が良かった。休日には他の古着屋さんに顔を出しては「お疲れっす~」からの最近の売れ行き等の話をしたりして買い物をしていた。JET RAGは21時閉店で、他店は大体20時閉店だったので、仕事終わりにウチに寄ってくれて買い物をしてくれた。
忘年会の季節なんかは、一部のお店さんを除いて、福岡の古着屋 7割くらいのオーナーさんやスタッフが一堂に集結して、忘年会もやったりして古着漬けのもう最高~(恍惚)の日々。



まわりの人達がみんな古着好きって最高

女性スタッフも結婚を機に?だったかな?で退職。姉妹店 Tiger Roseから来た、ハーフっぽい顔立ちで超絶美人だが、めちゃくちゃ気が強く、最初からいた女性スタッフともめまくっていた話は割愛する。←
服屋で働く人って、もう頭がバグってるので、稼いだ金をほとんど服につぎ込むもの。この時も例外ではない。古着ばっか買って、みんな金がないので、閉店後に店の前でコンビニのビールとつまみで「あの店に〇〇合ったよ!」「今〇〇欲しいけど、なかなか出ないんよね~」なんて毎晩1~2時間話してた。(真冬でも)そして1ヶ月に1回だけは居酒屋や焼肉に行ってた。楽しかったな~ 良い思い出しかない。



POPやフライヤーを担当

この時点ではかじった程度の経験ではあるが、一応 印刷会社でグラフィックデザイナーを経験した身。 店内POPやフライヤーは自分に作らせて欲しいと直談判。社会人遍歴 其の① VS 印刷会社編には登場していないが、そこの女性デザイナーから、買い替えるからという事で初代 iMacを3万円で譲ってもらったので、マックは持っていた。

この色!今考えたらスペック激低
引用元 GIZMODE
https://www.gizmodo.jp/2018/05/imac-20th.html


専門学校時代の友達は全員デザインとは違う道に進み、全員が口を揃えて「イラレ?フォトショ? もう全然覚えてないw」と言っていて、根が真面目な俺は、高い学費を出してもらって結局就職した会社は辞めて、せめて現時点の身に着けたスキルは無くさない様にしようと、この3万円の初代 iMacで、友人の結婚式のウェルカムボード等、色々作っていたので全然扱うことはできた。根が真面目なので。

(ここの自分の考え方が今の自分に確実に繋がってる。我ながらここは偉いと思っている!!! 根が真面目の大勝利!!!)

家でPOPやフライヤーを作ったからと言って、手当が付くわけでもないし、時給が出るわけでもない。でもそんなのまったく気にならなかった。また業務でデザインができる楽しさ、店に貢献できているという自信、とにかく楽しく作っていた。



セルフ通関??

売上も芳しくないので、できるだけ経費削減。アメリカから古着を輸入する際に、通常は通関士が行う通関業務をセルフで通関するという方法がある。これを自分が担当する事になる。子供の頃から数字嫌い、算数は掛け算/割り算で卒業したほどだ。

余談)掛け算/割り算で算数を卒業したので、あれやこれやで○○君がスーパーに着くのに何分かかるでしょうか?みたいな文章問題に、リアルに自分の家からスーパーまでが歩いて10分くらいだったから、10分って書いてたほどだ。←バカ丸出し

通関の部屋に行き、書類を貰い自分ですべて税率を調べて計算して支払う額を算出。(中古衣類はまとめて同じ税率だったのでまだいいが、これがすべて新品の服になると生地や織で該当する税率が異なり超難題になる。)間違いなければその額を支払って荷物を受け取るという具合だ。

最初の頃とか分からない所を聞くのだが、セルフ通関をする人に凄く厳しい。「分かんないならセルフでやるなや…」というのがビシビシ伝わってくる。これはあまり好きじゃない業務だった。




地方古着屋にも有名人が

福岡という地方ながら、自分が勤務している間にも数人の有名人の方が来てくれた。

シャカラ〇ッツ UK〇さん
姉妹店 Tiger Roseにご来店

小柳 ゆ〇さん
圧倒的な声量と歌唱力でTVでは大きくみえるが、めちゃくちゃ小柄でビックリ。お顔なんてこぶしくらい...?な程

古田 新〇さん
ガっと入店されて「バックルだけってある?」と聞かれて接客対応させてもらった。お買い上げにはならず!

黒夢 清〇さん
4人組で入店。全員ただならぬオーラを放つ。清〇さんは前髪で目が見えず。あまりにも凄いオーラで話しかけることすらできずチラチラ見るだけだった…  後で確認するとツアーの福岡公演の日だった。



社員登用の話が…

前職シルバーアクセサリー販売員の時は、社員登用の話を蹴り退職した。このJET RAGでも、働き出して1年数ヶ月くらいだったか。自分とドレッドさんの2人に社員登用の話をいただいた。今回は迷うことなく、その良い話を受けさせてもらった。 株式会社 ジェット ラグの正社員となった。


さぁ!まだまだ最低でも書きたい内容が結構あるのに、なかなかの長さになってしまったので、この回を急遽【中編】とさせていただきます。


次回


もうデザインの仕事なんか一生やらねぇ。
遂に古着屋で働くよ!編 ~後編~
古着ブームの終焉??


に続く。



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