孤島の窓辺から #013「つながりたい時にだけ」
世界中をつないでいたものが
一度途切れると、
それだけで大混乱をきたすことがあります。
例えば、僕たちの生活を支えている通貨。
もともとはそれぞれの国で価値をもっていたけれど、
気がつけば、多くの国の通貨が「ドル」に紐ずけられて
すべての金銭的な価値が繋がってしまいました。
そうした中で、
世界の一部が立ちゆかなくなた時に
連鎖反応で経済が崩れてしまう現代でもあります。
また、一人の人間が、
一つのプラットフォームに依存するのも同じです。
たとえば、会社に依存しすぎるのもよくありません。
あくまで会社は仕組みであって、時に雇用の箱ですから、
会社の仕組みを利用するのであればいいけれど、
そこに過度につながりすぎてしまうと危険なことも。
会社という器を乗り越えて、たとえ繋がりを切っても、
個人としてどのような価値を提供できるのかということも
今の時代には考えるべきことだったりします。
過度な繋がりは
時に自分を苦しめてしまうことがあると思うんです。
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話はそれますが、
僕は日本で働いていた当時、
電話に出る方ではありませんでした。
メールも、大事なものだけを返信して、
あとは秘書に任せたり、
そのまま放置なんてことも日常的、、、、汗。
でも、今になって思うと、
本当に大事な知らせは、
必ずなんらかのの手段で届くものだったんです。
もう不思議なくらいに。
例えば、友人が緊急入院した時も、
会社で大クレームが起きた時も、
そんなマイペースな僕との繋がりとは
オフライン上の別のところで必ず繋がったものです。
ある大切な人の危篤を知った時、
僕は携帯電話の電源をオフにしていました。
(当時はスマホは存在していませんでしたから)
その時、喫茶店でのんびりと寛いでいましたが、
その大切な知らせを伝えてくれたのは、
なんとその喫茶店のおばあさんだったんですね。
周囲の人たちが、
僕の行きつけの喫茶店を知っていて、
あらゆる情報網を伝って僕のところに届けられた。
もちろん、
当時はLINEやグーグルもありません。
それでも、オフラインでも確実につながる、
人と人とのつながりがあったのだと、
今になって、改めて実感しています。
繋がっていなくても不安になることはない。
大切なことは然るべき時に
自然と繋がっていくものなのだと。
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繋がりというものは
もっと気楽なものでいい。
その繋がりが辛ければ、一度離れてみればいい、
寂しければ再び寄り添えばいい。
繋がりの糸に、
がんじがらめになってはいけません。
何のための繋がりなのか。
そこだけは見失わないように。
という事で、みなさん。
しばらく電源はオフにさせていただきます。笑