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幸福日和 #090「その後ろ側に」

数年前。

ミラノで出会った靴職人との出会いを
思い出していました。

数々のルネサンス時代の遺産に触れ、
圧倒されながら、僕は石畳の街中を
疲れた足取りでトボトボと歩いていたんです。

そんな時、
露店で靴の修理をしていた職人さんが
「靴を見せてごらん」と気遣ってくれたんですね。

柔らかい布でささっと、
靴の表面を磨いてくれたかと思うと、
こちらから頼んでもいないのに、
靴底を丁寧に張り直してくれたんです。

「靴は底が肝心なんだよ」
「見えない場所にその人の生き方が現れるからね」

そんな言葉とともに、
あとしばらく続く長旅への励ましももらった。

見えない部分を大切にする。
そうした、街の人々の暮らしぶりが、
ルネサンス期からの思いを今に伝えているのだと実感した。

そんな出来事があってか、
表側からでは分からないけれど、
隠れた部分を大切にしている人に出会うと、
その場所、その時間に出会えてよかったと思えるんです。


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それは、例えば、
人やモノだけでなく、
「場所」もそうなのかもしれません。

僕は地方のお寺や神社、
各国の教会などへ見物に行くと、
必ず境内や聖堂の「裏側」を気にして見てたんです。

なんでそんなところを気にするのかと
不思議に思われそうだけれど、
学生の頃、年末年始に都内の
神社でアルバイトをしていたことがあって、
その時、神主さんに教わったことなんです。

「神社やお寺に行ったら、その裏側を見てごらん。」
「そこに、その場所の本当の祈りや想いがあらわれてるものだから」


ある時、
観光で行ったある神社の境内の裏で、
門前で買ったお弁当を食べて一休みしてしていたんです。
あたりを見渡すと、そこには落ち葉やいつ捨てるかも分からないゴミ袋が積まれていて残念な気持ちになった。
表はあれだけ綺麗にしているのに、観光に一生懸命な分、
気持ちが届いてないところもあるのかと感じたものです。

別のある時、
田舎へ登山へ行ったときのこと。
その時も一休みしようと、山のふもとにあった
詫びた佇まいのお寺の縁側に腰を下ろして
おにぎりを頬張っていたんです。

お堂の後ろに回ってみたら、
山深くにあるお寺にも関わらず、
落ち葉一つ落ちていないんですね。

おそらく毎朝、毎晩そうしているのだろうなと、
その行き届いたご住職の思いに心洗われた。

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見えないところにこそ、
想いというのは残り続けるもの、
そして、それは自然とどこかに現れてしまうものだと、
最近になって感じます。

個人の日常生活の中でも
そういう部分があるのかもしれませんね。

カバンや財布の中は乱れていないだろうか。
靴の底はすり減っていないだろうか。
歩いている自分の後ろ姿は
どのように見えているだろうか。

いつか、日本に戻ることがあれば、
あの時、ミラノで磨いてもらった靴を履いて、
思いの残った、あの山寺にお参りにゆきたい。

その時までに、
僕の気持ちも整えて。


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Ryota【孤島物語】毎日更新
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