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幸福日和 #081「特別なひとつ」

今の世の中は、
たくさんの物や情報で溢れているけれど、
不思議なことに「特別なもの」というのは
人それぞれに違うし、数少ないもの。

例えば、幼い子供であれば、
この浜辺に落ちている「美しい貝殻の一つ」が
特別なものに感じるかもしれないし。

若い人にとってみれば、
恋人との思い出の場所や、
一緒に聞いた思い出の曲や、
映画になるのかもしれない。

ある人には、
両親の大切な形見や、
師から受け継いだ言葉だったりもするでしょう。

何かに見失いそうになった時こそ、
そうした「特別な一つ」こそが
誰にでも必要なのだと思う。


✳︎ ✳︎ ✳︎ 


数年前、
娘さんを国際結婚で遠方に嫁がせた友人がいます。

彼にとってそれ以来、
「一杯のマティーニ」が
「特別な一つ」になったのだそう。

彼は、早くに奥さんを病気で失ってしまった人で、
男手ひとつで、苦労をしながら娘さんを育て上げてきたんです。
娘さんが成人して社会人になった頃には、
互いに仕事終わりには、
父と娘でバーに通っていたそうです。

そんな中で、
娘さんが好んで、よく頼んでいたのが
「一杯のマティーニ」でした。

互いにお酒を交しながら、
将来のことや、仕事の相談、
娘にとっては記憶がおぼろげな亡き母のことなどを
お話していたそうです。

いつの頃からか、
娘さんは今の旦那さんと出会い
お付き合いをするようになったのでしょう。

お互いの時間が合わせられなくなり、
次第に父娘で、いつものバーで待ち合わせをし
お酒を飲むことも少なくなっていったそうです。


✳︎ ✳︎ ✳︎ 


そんなある日。

久しぶりに娘さんの誘いがあり、
そのバーで待ち合わせることに。
父親にとって忙しない日常を彩る
この上ない喜びだったことでしょう。

あの時のように娘さんと二人で
一杯のマティーニとともに
大切な父娘の時間を過ごしていました。

ゆったりと心地いい中で、
ショックは突然訪れました。

突然、娘さんから結婚をしたい人がいると
報告を受けるんですね。

親としての嬉しさと安心感。
そして、何よりも、寂しく苦い想いが、
マティーニの中のジンの苦さと重なります。

それ以来、彼にとってそのお酒は
忘れられない思い出の味になったのだそうです。


✳︎ ✳︎ ✳︎ 


それからしばらく月日が流れていました。

娘さんが結婚をして家を出て以来、
彼は独りでバーに通うようになりました。

特別な一杯のマティーニを味わうために。

彼が今でも娘さんに秘密にしていることがあります。

それは、実はこのマティーニは、
亡き奥さんの好きなカクテルでもあったんですね。

もちろん、
娘さんはそんなことを知らずに、
このカクテルを好んでいました。

その一杯には、
妻と娘の二人の大切な面影が残っている。

彼にとっては、
どこまでも味わい深い
そんな「特別な一つ」。

そんな一杯があるからこそ、
毎日を支えてゆけるのだそうです。


✳︎ ✳︎ ✳︎ 


特別なことというのは、
金銭の価値では計れないものがあります。

自分にとって特別な一つ。

そうしたものを持つ人は
なんて幸せで豊かな生き方をしているのだろう。

最近になってしみじみと、そう思うんです。

自分なりの物語を込めて向きあうだけで、
何気ない一杯、一品、一曲、
そうしたあらゆることが
自分を支える大切な存在になるのだと思う。

みなさんにとっての特別はなんでしょうか?

今は特別な一つがなくても、
それほどの思いで毎日と向き合えば、
何事も特別な一つになるのだとも思うんです。



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