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幸福日和 #076「手書きの温もり」
多くの出会いに支えられているはずなのに、
慌ただしい日常を送っていると、
そうしたつながりというものをつい忘れてしまいがち。
それでも、ある時ふとしたことがきっかけで、
数々のつながりが走馬灯のように蘇って
心温まることがあります。
この孤島に向かう前。
僕は日本での生活に区切りをつけるため、しばらく身辺整理をしていると、
引き出しの奥から今まで受け取った「膨大な量の名刺」を見つけたんです。
いつもらった名刺か、一つ一つを覚えているわけではありません。
それでも、気づかないうちに自分が数々のつながりを得ていたのだと、
名刺を眺めながら実感していました。
そんな中で、
目に止まったいくつかの名刺があったんですね。
それは、「手書き」でメモが添えられた名刺。
活字で印刷された余白に、
手書きで様々な言葉が書かれているんです。
「また、あらためて訪問させていただきます」
「いつもありがとうございます」
「090-××××-××××までお願いします」
「よければ、お食事しませんか?」
不思議なことに、
名刺の出会いの多くは過去の記憶に霞んでいましたが、
手書きでメモを添えてくれた人との出会いだけは、
ひとつひとつ、今でも鮮明に覚えているんですね。
この人は今頃どうしているだろう。
そういえば、この名刺をもらった時、
子供が生まれたと言っていたな。
家族で元気にしているだろうか。
時に転職の相談に乗ってあげたクライアントもいましたし、
仕事を離れてから利害関係を越えて互いの志を語り合い、親密になった人もいます。
手書きでが添えられた名刺には、
なぜか、その人との出会いがいつまでもそこに残っている。
そんな気がして、
いつまでも捨てられないんですね。
✳︎ ✳︎ ✳︎
僕は昔から、
手書きというものに惹かれてきました。
幼い頃から祖父が手紙を書いている姿を見ては、
自分も手紙を書くことを大切にしてきましたし、
思ったことがあれば鉛筆でメモをしたり、
形にならないイメージをぼんやりとスケッチをしながら
自分の中にあるものをどこまでも広げていました。
手で書くということは、
想いをそこに乗せていくこと。
何気ない線や文字の形の中に、
その人が生きているのだと思っています。
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以前、ある雑誌の寄稿だったと思うけれど、
「手書きで文章を書くのと、ワープロで書くのとでは、文章の内容が変わるか」ということについて、各作家さんや著名人が互いの意見を投稿してました。
ある人は、やはり言葉を肉筆で綴るからこそ、
自分の思考が直接、文章として表現できるのだと語っていたし、
一方で、ワープロに変えたくらいで文章が変わってしまうならば、
それは「確かな文体ではない」と言い切った作家もいました。
どちらが正しいなんて言えないけれど、
やはり手書きにはその人の生の温もりを感じるし、
自分の想いを乗せていくための一つの手段としては
肉筆は大切にしていきたいと思う。
結果的にパソコンでの文章と同じだったとしても
そんなことは、僕には問題ではありません。
一つの姿勢として、自分の想いを乗せていく方法として
手書きで言葉を綴るとうことも選んでゆきたい。
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僕の手帳の中には、
今でもある人の「ありがとう」の五文字が書かれた
メモが入っています。
スマホでフリック入力すれば、
パソコンでタイピングすれば、
数秒で伝えられる言葉です。
このメモの手書きの「ありがとう」は、
今にも力が絶えてしまいそうな微動な揺れとともに
色々な想いを僕に伝えてくれてます。
おそらく他人が目にすれば、
ありがとうとすら読めないかもしれない。
それでも僕には読めてしまうんです。
そしてその「ありがとう」想いを
僕は今でも大切にしています。
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こうして「note」で投稿するのもいいけれど、
時には手書きで言葉を綴ることも大切にしてゆきたい。
そんなことを考えていたら、
なんだか手紙が書きたくなりました。
今日は少しだけ、
パソコンの電源をオフにします。
鉛筆にしようか、万年筆にしようか、
それとも墨をすって小筆で綴ろうか。
今の気持ちがどれを選ぶかも
ひとつの楽しみなんです。
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