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結婚式に行って吸収したものを放出する回

 地獄のような腹痛が襲ってきていて文章なんか書いている場合ではないのですが、僕は定期的に文章を書かないと全身虚脱状態になって永遠にベッドの上にうつ伏せになったまま動けなくなってしまう体質の人間なので痛みを無視して書き続けますね。
 それに書いていると心なしか精神が落ち着いてきて痛みを多少鎮静化出来るというのもある。現にここまで書いて最初10の度合いだった痛みがもう6ぐらいになってきた。


 少し前に大学の同期の結婚式に行ってからというもの、ずっと将来に対するただぼんやりとした不安を抱え続けている。
 同期の結婚自体は単純におめでたく、素直に祝福の気持ちがあるけれど、同期が一人また一人と結婚していく度にだんだん自分自身が空疎な存在になっていく気がしてきてしまう。これが多分マリッジブルーってヤツなのだろう(※違います)。

 無論、結婚式の主役は新郎新婦なのだから自分のことを考えるのは後回しにして二人の幸せな前途を願うことに終始すべきなのだろうが、披露宴の円卓を囲んでいる人間の中で自分だけが未婚だとなんだか無駄に色んな思考が働いてしまう。

 プライバシー保護の観点からあえて倍数で表記するが、僕は大学の同期が7500人いて、割合としてはそのうちの1500人が未婚である。つまり僕は確率論でいえば5人の中の1人、10人の中の2人、15人の中の3人…………のいずれかに該当する可能性がありえるわけである、が、多分僕のあまりにも発達しすぎたネットリテラシーにより今頃読んでいる人が混乱していると思うので簡潔にいうと、まあ要は僕の周りの皆はもうほとんど結婚しているということです。最初からそう書けよ。


 これは結婚してないから焦燥感を感じるとかでの話ではなく、結婚そのものについての是非を問う話でもなく、ただ単に未来を考えると不安になるというだけの話です。

 結婚した人たちはこの先、子どもをどうするかとか家をどうするかとかについて話し合ったり決めたりして、っていう未来においてのある種の確定路線を進むワケじゃないですか。どうしたって二人で一緒に向き合わなきゃいけない問題が出てくるし、それは避けては通れない。

 二人で生活することによって発生する、対峙しなければならない問題って一人だとなかなか発生しにくいから、そりゃまあ必要最低限の衣食住に関しては一人でも考える必要はあるけど、二人で向き合わなきゃいけない問題に比べたら一人の方が質量的には荷が軽い。

 だから新婚の人たちは結婚したことにより、未来でやるべきことがある程度決定されてる状態だと思うんですよね。それがたとえ労苦を伴うものだとしても、何かを積極的に選択していかなければならない命運が待ち受けている。

 これに対して一人の人間はというと、未来に何らかの選択をしなければならない場面はあるかもしれないが、それが消極的選択だとしても許されるというか、許すも何もテメーで決めたことによる影響は全部テメー自身で被るワケだから、テメーの意向次第でテメーの未来はなんとでもなるワケです。

 これはとても不確定というか、平易かつポジティブな表現をするなら「自由」とも言えるけれど、これからどこの行き先を目指すにしても地図なしで進まなければいけないということでもある。

 未来を直線で表すと、結婚後の二人は直線上に「出産」とか「住宅ローン」というような名称の座標が点在してるから、スピードの差こそあれ直線の上を沿って進むことは出来る。
 しかし一人の場合は確固たる座標みたいなものが存在しないし、存在したとしてもそれは自分で拵えた座標に過ぎないワケで、その位置がおかしかったり突拍子もない位置にあったりすると人生という線の上から大幅に逸れて転落しかねない。気付いたら直線の上を逆走してたなんてこともありえる。

 さらにいえば、どこに進んでいいかわからないからずっとその場に停滞する、ということだってありえるのだ。一人の場合はそれが可能だからタチが悪い。

 停滞は座標を設定するための猶予期間だと思えば多少は気が紛れるかもしれないが、永遠に座標が見つからず、見つける気も自分で創る気も起きなくなってしまった場合、やはり自分だけが周りに取り残されてしまう。
 悲しきかなあの時の披露宴の円卓は、このような未来を暗示しているように僕には思えてしまったのだ。


 僕には今のところ結婚願望がない。ないというか、自責感とか劣等感とかが根深く自身の中に存在する限り、そういう願望を抱けない。
 悪い意味で普通じゃないから、普通の夫婦がするように普遍的に点在する座標の上を歩くのは無理だと思ってもう諦めた。

 しかし、停滞したまま朽ち果てていくのは嫌だ。結婚しないならしないで、自分なりの座標を創り出してそこに向かって愚直に進んでいきたい。地道に、着実に自分の信じた道を行くしかない。

 どうせなら結婚をしてない人間にしか出来ないことをやりたいよなぁ。でも今の時代、結婚してない人間が出来ることは大体結婚してる人間も出来る気がする。うーん、心象風景の中に暗雲が立ち込めていく。

 こうやって見えない壁に阻まれると、やっぱり人は一人では生きられないのだという通奏低音が社会全体に流れていることを痛感する。
 だったらもう不協和音として、人生におけるダイナミズムを体現していくしかないのかもしれない。
 なんだかんだで僕は面白いことが好きだから。誰も想像のつかないような座標を目印にしながら面白い人生を歩みたいというのが率直な気持ちだ。


 さて、腹痛の度合いも3ぐらいの段階になってきたし今回はここいらで筆を置かせてもらうとしよう。

 今改めて振り返ってみれば、結婚式後に自分だけ陰鬱な気持ちになってしまったのは多分新郎新婦に取り憑いていたマリッジブルー的空気を僕がダイソン並みの吸引力で吸い取っていたからだと思う。
 だから式中ずっと新郎も新婦も一切顔の表情が曇ることなく、清々しく晴れやかな顔をしてたのだろうし、これからもきっとブルーな気持ちに襲われることなく幸せな夫婦生活を送っていくのだろう。

 なるほど、僕が目指すべき座標の名称は「掃除機」だったのだ。

 ということで今後も結婚式がある度に新郎新婦を取り巻くマリッジブルーを吸い込み、ダストパックをこじ開けてこのnoteにブチまけていく所存なのでどうぞよろしく。


 よし、冒頭の当事者じゃない自分がなぜかマリッジブルーを感じているという無駄な伏線も回収したし、最後に無理矢理いい話風に帰結させた感も全然ないし、いつもの如く華麗で鮮やかな筆捌きを見せつけて終わったな!!


おわり 

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