【超短篇小説】美脳院【ショートショートショート】
そろそろ頃合いかと思い、僕は行きつけの美脳院に足を運んだ。
「今日は『洗脳』だけされていかれますか?」
「いえ、今日は追加で『染脳』もお願いします、染める方の」
「色は何色に?」
「青がいいかな。前回赤色にしてもらったのでクールダウンを、と」
「わかりました、ではそちらに寝ていただいて」
僕はいつものように、美脳師に導かれるまま機械仕掛けの長い箱の中に入った。毎回見る度に近未来の棺桶みたいだなあ、と思う。
「それでは30分ほどお時間いただきます」
美脳師が箱の蓋を閉めた後にスイッチを押すと、僕の意識はだんだんと遠ざかっていった。
プシュウ、という機械が煙を吐く轟音で僕は我に返った。ずいぶん長い間意識を失っていた気がする。
「今回ちょっと『葛藤』をはじめとした老廃物が多く溜まっていたようなので、脳を洗い終わるまでにお時間がかかってしまいました、申し訳ありません」と美脳師は僕の脳の欠片をピンセットで観察しながら言った。焦げたレバーみたいだ。
「全く問題ないです、ありがとうございました」
「今回は色をつけていただいた分、割引になりますのでお会計が300円になります」
僕は会計を済ませ店を出た。
駅へ向かう途中の歩道に人間の死体が転がっていた。60代ぐらいの男性で背が低く、目を閉じていても眉間に刻まれた皺から厳格そうな顔つきなのがわかる。口から白い泡がこぼれ出ているところを見ると毒殺されたのだろうか。
隣でリードをつけられた犬がせわしなく吠えている。老人の力の抜けた手の横にリードの持ち手の部分がだらんと落ちていた。
おおかた老人は犬に虐待でもしていたのだろう。定期的に『洗脳』をしない人間が蓄積したストレスをやりすごせずに、別のものに当たってしまうのはよくあることだ。
具体的にどんな暴行を働いていたのかは『懲悪屋』に勤めている白色の人間に詳しく聞かないとわからない。しかし今まで目にしてきた「粛清」の事例から推察するに、おそらくパトロール中の白色の人間はしっかりと間違いなくこの老人の犬への虐待的行為を見抜き、赤色の人間に殺害を依頼したのだろう。
どうやったら人間の過去の行動を仔細に把握出来るのか不思議なものだが、脳を白く染められるのは政府関係者である上層階級の人間だけなので、やはり詳しいことはよくわからない。
道行く通行人は皆素通りしていく。『洗脳』済みの人間たちには、その状況を処理するのが青色の人間の役割だと本能的にわかっているのだ。
しかし毒殺とは赤色にしては大人しいやり口だな、と思う。僕が赤色の人間として生きていた頃に選んだやり方は大体刃物を使った刺殺だった。あの時はアドレナリンが過剰に分泌されて少し困った。
僕が白色の人間からの通報で請け負ったのは「20代女性による育児放棄」、「30代男性複数人による銀行強盗」、「40代女性高校教師による生徒への人格否定」、「50代の父親による娘への進路に対する余計な口出し」……年代が上がっていくのにつれて罪が軽くなっている気がしたが、赤色にとって重要なのはその罪状ではなく、如何にきっちりとその罪人を「粛清」出来るかどうかだ。相手の息の根を止めたことをしっかりと確認した時に初めて人生の充足感のようなものを得ることが出来る。それが赤色の人間の性質なのだ。逆にそれ以外のことはあまり頭にない。
思い返せば、あの時は細かいことを気にしている余裕がないほど、ある種の情念に突き動かされていた。得られる爽快感はかなりのものだが、少し周りが見えなくなってしまうのが赤色の弊害でもある。
しかし今は美脳院で青色に『染脳』してもらったおかげで、精神の平静を損なうこともなく自分のやるべきことが手に取るようにわかる。
僕はふっとため息をつくと、老人の死体を肩に担いで「動物虐待」はいくらで売れるんだっけなあ、と悪事換算表を思い出しながら『懲悪屋』へ向かった。