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満月のデトックス2 〜罪悪感の中に隠れていたものを掘りあてた

こんばんわ、Kaloです。


この記事は、前回の続きです。


どうしても手放せなかった「心配」


話はちょっと変わります。

これは、自分のクリアリングはずいぶん進んできたと思うのだけれど、ここだけは「手放せないままだなぁ。」と、ずっと思っていた課題なのですが。

うちには18歳と13歳の猫がいるのですが、ともにけっこうな高齢になってきているのことと、以前飼っていた猫を病気で亡くしたトラウマもあったりして、猫たちをすぐに「心配」してしまうクセがついていて。

でも「心配」のエネルギーは相手のエネルギーを弱めてしまう。
自分でも良くないなぁ。とずっと自覚していました。

だから、その「心配」するクセを、手放そう、手放そう、と、してきたのだけれど、ちょっとした何かがあるとすぐに「心配」癖は戻ってしまう。
(まぁ、手放そうとすればするほど、手放せないモノですよね(笑))



そして、特にこの2月下旬から3月初旬にかけて、猫たちが交代で具合が悪くなることがあって。

18歳の猫が1日に何度も吐く。往診の医者を呼ぶかどうするか…悩んだ末に、とりあえず朝晩、猫のために1時間以上クリスタルボウルを奏でてみる。
功を奏して、猫は翌日、めちゃめちゃ元気になった。

と、思ったら今度はもう1頭の猫の具合が悪くなる。
口が痛いのか何度も変な動きをして、あまりよく眠れないよう。
私の観察だと、もともと便秘気味の猫で、便秘がひどくなるとなんとなく、この口の症状が現れるような気がしていた。

これもこれまでだったら医者案件。何年か前にも同じ症状があって、病院に連れて行っても原因不明だった。
この子はすぐ隠れてしまうので往診の先生は無理だから、主治医に連れていくかどうか悩む。多分また原因不明でステロイドとか抗生物質とかを投与されて終わるけれど、症状(痛み)が緩和されたらそれでもいいか。と電話をしたら、以前は水曜日が休みだったのに、月曜火曜が休みになっていて、その日は月曜日で、繋がらなかった。

病院が休みって、試されいるなぁ...。と感じながら、自分の中に覚悟を決める。大丈夫、大丈夫。と猫と自分に言い聞かせ、この子にもクリスタルボウルを奏でてあげて様子を見る。と、翌日には良くなって、また、その翌日にはちょっと具合が悪くなるを少し繰り返していたけれど、徐々に良くなっていき病院にいくほどまでではなくなった。


でも、ここで改めて思う。
クリスタルボウルのヒーリングのチカラは、信じているのだけど、こと、うちの猫たちのことになると、どうしても「心配」が先立ってしまって、治ったのに、それでも100%信じ切ることができなくて心が揺れてしまう。


これはもう、自分の内側の問題。

まずは無用の「心配」をやめなければ、意味がない。




罪悪感の奥に在ったもの


前回の記事の最後に、
私はずっと「人間であることそのものの罪悪感」を抱えていた。
ということを書きました。

それに気がついて、私が肉を食べない大きな理由になっているのは
「動物への罪悪感」よりも「人間への怒り」だなぁ。と思いました。


そして、実はそもそも、私は食べるという行為自体には「かわいそう」といった罪悪感を持ってはいないのだ。ということにも気がつきました。

それよりも、圧倒的な怒りがあるのは「人間の身勝手さ」。
地球に対して、自然に対して、動物に対して、
すべての生命に対して尊厳を持たず、愚行を繰り返して、
すべてを貪ろうとする、その愚かさと傲慢さ。

そのことへの猛烈な「怒り」。
そして、その愚かな人間という種族の一人である自分への「罪悪感」。

そうして全てを支配しようとしている何様?人間への「拒絶感」。
…と、気づいたあと、

「あ。私は力を持つことを恐れていた。」

ってことに、はたと気がついてしまったんです。


私、筋金入りって自分でも思うくらいに、昔からずっと、権威や権力みたいなものが嫌いで、そういうものを振りかざしてくる人も、会社も、何もかも嫌いなんです。だから常に斜め上に視線を持って行って「ケッ」って言っている感じで生きてきました(笑)。
そんなに権力が嫌いだった理由は、これだった。
チカラを持つ者への嫉妬であり、それは自分がチカラを持つコトへの恐れだった。と、気づいたら

わぁ〜〜〜.....。と脱力してしまいました。

奥から、あまりにも意外なものが出てきちゃったので、
昨日、この記事を書きはじめながらも、出てきたものの意味がわからず、そこに触れられずにいました。

でも、1日経って、朝瞑想をした後に、
ああ、すべてはこれだったんだなぁ....と改めて思いました。




生命を信頼すること


この見つけてしまった「力を持つこと」を恐れている。ということ。

これは、権力を持つとか誰かを支配するっていうことではないんです。

正確には
自分には無限のチカラがある。ということを自覚することを恐れていたんです。

だってもともと、私たちの生命は無限の愛の中に在って、無限の力がある。
スピリチュアル系ではよく出てくる話です。
うんうん、とアタマでは思いながら、結局は腹の底の底では、それを受け入れていなかった。


私たちは、それを一旦、全部忘れて、この地球に生まれてきた。
で、見つけられないように、って、私の場合は罪悪感と一緒に、深〜いところに隠していたらしい(笑)。

罪悪感で覆っているから、自分に力があるなんて、やっぱり到底思えないし、「チカラを持つ」なんて聞くと、めちゃビビってしまう。
コワイし、いやいや、力なんて持ちたくない、いらないです。
そんな自信ないです。
ってなっちゃって、自分の存在を、力を、根本的なところで信じられない。
信じられないどころか、存在そのものを否定する強力な罪悪感付き。
それが、すべての生命のチカラを信じられない原因だった。と思った。



でも。見つけちゃったー💛 w


本当は「私たちの生命には無限のエネルギーがある」ということ。
罪悪感に気がついたら一緒にそれが顔を出した。それを受け入れることを怖がっていた自分。でも力を持っているコトを受け入れていい。だって本当はそのままその通りだから。って思ったら、両手にエネルギーがわぁ〜っと集まってくるのを感じました。

そして、そうだった。すべての生命にも同じように無限のエネルギーが宿っているんだった。みんなが無限のチカラを持っている。

だから、すべてを信じて、宇宙を信じて、本当に本当に。
本当に大丈夫なんだって。


それに気がついた瞬間、猫たちの様子が違って見えました。
(便秘だった猫が、そのあと、いきなり見たことのない元気なウンチをしました(お食事中の方、ごめんなさい))

これまでずっと罪悪感で覆って、彼らの生命のチカラそのものを信頼することができていなかった。いつも病気に怯えて「心配」する自分がいた。
「心配」と「罪悪感」というフィルターを通した目で、ずっとうちの猫たちを観ていたんだなぁ。と思いました。

でも本当は、彼らの生命をまるごと信頼して大丈夫だっていうこと。

どうしてもそれができなくて、心がウロウロしてしまっていたけれど
「自分という存在への罪悪感」という意識のフィルターが外れたら、
「もう大丈夫」ってお腹の底で思うことができました。


そして前回書いた先住民の話も、すっと腑に落ちました。



罪悪感と怒りが外れたあとに


昔よく、友人と「ボートに乗っていて、人間と動物が同時に溺れていたら、どっちを先に助けるか?」って話をしていました。
私は間髪入れずに「動物」でした。

人間だったら自分でなんとかするでしょ。って思っていたんですよね。
でも逆を言えば動物の生命を信頼してあげていなかった。ということにもなります。

それを今日、思い出していて、同じ質問を自分宛にしてみました。

そしたら、どっちも、大丈夫だと思うけど、助けが必要だったらどっちも助ける。って、なりました。(笑)



私は「肉を食べないこと」に関して、ずっと無意識になってしまっていて、理由が明確になっていなかったけれど、その背景には、罪悪感と、怒りがあって、そのエネルギーをずっと放出していました。
見えない傲慢な「誰か」、畜産の現状を知らないで安い肉ばかりを求める「誰か」、こんな社会構造を創った「誰か」を、「食べない」という行為でずっと責めていた。

本来はすべての生命にはチカラがあるし、自分にもチカラがある。

それを誰かや自分を責めるエネルギーにしないで、過酷な境遇に遭遇している動物たちにこそ、たくさんの愛と感謝のエネルギーを送ることで、違う循環に変化させることが出来るんじゃないか?って思う。

私はこれまで、本当に長らく罪悪感で自分を誤魔化していたのかもしれない。でも罪悪感に逃げ込んで、責めている場合じゃなかった。

ちゃんと自分のチカラを認めてあげるコトで
エネルギー的にも物理的にも世界を変えることができるって。
そう思ったら、こうしちゃいられない!(笑) です。


すべての愛する動物たちと
すべての愛する人たちへ。


やっと。満月のデトックス、終了しました。


最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございます。


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