「いただきます」って誰のための言葉?
給食費を払っているのに「いただきます」はおかしい?
もう10年くらい前でしょうか?
「給食費を払っているのに"いただきます"と子ども達に言わせるのはおかしい」
という訴えが保護者から学校に入り話題になりました。
当時大学生だった自分は「何をふざけたことを言っているんだ?」と思いました。
モンスターペアレントという言葉が流行?し始めた時期だったため、世間(ネット)では私と同じ意見の方も多かったようです。
ただ、そのときにふと思いました。
「いただきます」って、誰に対して言っているの?
何も考えずにただ決まりだからと「いただきます」と言っていましたが、この言葉は果たして誰に対して言っているのか?
それを説明出来ないのでは、この保護者と対話が出来ない。そんなことを思いました。
「時間をいただきます」という考え方
結論から言うと、私は
「時間に対して”いただきます”と言っている」
のだと思って(思うようにして)います。
これはある記事で読んだ考え方ですが、そのときの”なるほど!”という感覚は今でも覚えています。
「作ってくれた人に言っている」だと、自分で作ったときはどうなるの?
「命にいただきます」だと、作ってくれた人に感謝しなくて良いの?
と、考えを巡らせてもいまいちピンときていなかったのですが、「時間にいただきます」なら、全てを網羅できるのではないかと当時の自分は考えました。
・作った料理を運んでくれた人は、「料理を運ばなくても良ければ、その時間を何か別のことに使えました。」
・料理を作ってくれた人は「料理を作らなくても良ければ、その時間を何か別のことに使えました。」
・材料を運んでくれた人は「材料を運ばなくても良ければ、その時間を何か別のことに使えました。」
・食材を私たちが調理できるように加工してくれた人は「食材を加工しなくても良ければ、その時間を何か別のことに使えました。」
・食材となった生き物たちは「食材にならなくても良ければ、もっと長く生きることができました。」
あえて残酷な言い方をすると、私たちは食事を摂る度に「誰かの時間を奪っています。」
私たちは誰かと時間を共有しながら生きている
なんか暗い話になってしまったかもしれませんね。
ただ、食事に限らず私たちは誰かと時間を共有しながら生きています。それは必ずしも人だけとは限りませんし、とても素晴らしいことだと思っています。
※この話は、この話でまた機会があれば書こうと思います。
食事の話に戻します。
誰かの時間をいただくという行為の一つである食事をする前は
感謝の気持ちをこめて、明るく楽しく
「いただきます」
と言うのが良いのではないでしょうか?
そうすれば、あなたのために時間を提供してくれた”者たち”も喜んで、
「どうぞ、召し上がれ」
と言ってくれると思っています。
今日も元気に食事が摂れることに感謝して食事をいただきます。