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『自己言及のパラドックス』から考える自己分析

就職活動の時、自己分析しましたか?
転職活動の時、自己分析しましたか?

その自己分析をもとに面接のときに
「私は、好奇心旺盛でどんなことにもチャレンジしていく性格です。」
「例えば、、、、」
といった感じで自己紹介をしていましたか?

就職活動時、転職活動時、私も自己分析をしました。
ただ、「私は○○という性格で、」ということは転職活動時の面接では言いませんでした。

就職活動時は、そういった自己紹介がテンプレートみたいなものだったので「私は○○という性格で、」と自己紹介を始めていました。

自己分析自体はとても大切な作業だと思っています。
しかし、「私は○○という性格で、」とまとめるのは危険だと考えています。

今日はなぜ私が自己分析の結果「私は○○という性格で、」とまとめることが危険だと考えているのかを、自己言及のパラドックスを用いながら説明します。余談でバーナム効果にも触れたいと思います。

自己言及のパラドックスバーナム効果を初めて聞いたよ、という方には今日のNOTEは少し重いかもしれません。
ですが、知っておいて損はない内容になっておりますので、ぜひ最後までお付き合いください。

✅自己言及のパラドックス

まずは、自己言及のパラドックスについて説明します。

「私は噓つきである。」という発言に代表される哲学や論理学上の問題です。

「私は噓つきである。」という発言が本当である場合、
その人は嘘つきということになりますが、噓つきであるにも関わらず正直に「嘘つきである。」と言ってしまっているため「噓つきである。」に矛盾します。

「私は嘘つきである。」という発言が嘘である場合、
その人は正直者ということになりますが、正直者にも関わらず「嘘つきである。」と言っているため「嘘つきである。」に矛盾します。

「私は噓つきである。」という発言を本当であるととらえても、嘘であるととらえても論理的に矛盾しているため、自己言及のパラドックスと呼ばれているわけです。

例として「この壁に張り紙をしてはいけない、という張り紙」が有名です。これもパラドックスになっています。

✅自己分析で過度に自分を定義したくなる

自己分析では、自分がどのような人間か考えます。
過去の出来事を時系列順に書き出して、どこでどのようなことを感じたか書き出してみたり、「お金が無限にあったら何をしますか。」など仮想的な質問を自分に投げかけたりして自分自身がどういった人間なのかを探っていったと思います。

自分について何かしらを定義するときは、自己言及のパラドックスにほとんどの場合陥ります。

例えば、自分は何事にも挑戦する人だ、と定義したとします。

だとすると、白米を毎日食べることって、何事にも挑戦することにはなってないですよね。(あくまで例えばですよ!)

この指摘に対して、「いや、ごはんの話じゃなくて、仕事においてです。」と条件を加えたとします。

その人は、仕事上でルーティンワークをしていることはないのでしょうか。
ルーティンワークをしている時点で何事にも挑戦していることにはなりません。

この2つの例は、屁理屈レベルのものですが実際の面接では自分の話した過去の経験に対して「それって本当に挑戦ですか?」や「○○は挑戦とは言わないと思うのですが、いかがですか?」とツッコまれることもあります。
(この点については次の「面接で一貫性を求めすぎる面接官」で記載します。)

たいていの場合、人はある性格に対して2面性を有しています。
そのため、自身のことに関して何らかのことを言及するとほとんどの場合、自己言及のパラドックスに陥ります。


  「私は明るい性格です。」という人は、たいていの場合明るいと思いますが、暗い一面がないわけではないと思います。そういった逆の側面も必ず持ち合わせているはずです。

私が言いたいのは、「だから、自己分析なんて意味がない。」ということではなく、過度に自分自身を定義しないでください、ということです。

人は矛盾した2つの側面を持っていて当たり前なんです。

時にはめちゃめちゃ卑屈になるし、かと思えば「なんか、俺イケる気がする。」とガンガン前に進んでいってしまうこともあります。

自己分析において、
「自分がどういう人間かを定義すること」が最終的に出さなければならないアウトプットではなく、「どういうときに、どういう感情が沸き上がって、どんな行動をしたか、その結果何が起こったか」をまとめることがアウトプットだと思います。

✅面接で一貫性を求めすぎる面接官

就職面接や転職面接の際、
面接官は、自己紹介の時に話した「私は○○な性格です。」に一貫性を求めすぎている気がします。

たしかに、応募者の話に一貫性があるか、その人が一貫性して説明ができるかは大切ですが、性格に関しては自己言及のパラドックスがあることを念頭に置くべきだと思います。

性格とその裏付けの出来事を深堀したところで、自己言及のパラドックスによって、大体矛盾が生じてしまうからです。

✅良くも悪くも性格は脆い

繰り返します。

自己分析の際、「自分がどういう人間なのか」という定義を過度に求めないでください。

そして、幸運にも「私は○○な性格なんじゃないか。」ということを見つけたとき、その逆の事象が見つかっても落ち込まないでください。
人の性格はそういうものです。

しかも、過去の経験からある性格を導き出しても、今後もそうであるとは限りません。

スラムダンクの流川は眠るときに「俺は天才、俺は天才」って思って寝ていて、天上天下唯我独尊男になっているし、
「お前は誰だ」って鏡に言い続けたら精神崩壊しちゃうし、
良くも悪くも人の精神ってそんなもんです。

そんなもんなんで、過度に自己分析しすぎないでください。

✅余談:バーナム効果

皆さんは占いを信じますか?

私は占いを信じません。
占いに対して、「ズバリ当てられてすごい!」と思う方もいるかもしれませんが、ほとんどの人に当てはまることは言って「当たっている」と錯覚させて本人から情報を引き出しているにすぎません。

バーナム効果とは、ほとんどの人に当てはまることを言い、相手に「ズバリ当たっている」と錯覚させる現象を言います。

例えば、

占い師:「あなた最近何か悩んでいますね?」
→占いに来る人のほとんどが悩みを抱えています。

占い師:「そして、あなたは人間関係に悩んでいますね?」
→人のほとんどの悩みが人間関係の悩みです。

といって、相手からYESを引き出し信頼を獲得し、情報を引き出していくのです。

占いの時にも、人が持つ2面性が利用されています。

占い師:「あなたは明るい性格ですが、落ち込んでしまう時がありますね。」
→ほとんどの人が明るい時もあれば暗い時もあります。

これに対して「ズバリ当たっている」と思ってしまったら、これもバーナム効果です。

人に関することには、自己言及のパラドックスにあるように1面的な性格だけではありません。たいてい2面性を持っています。
バーナム効果が、人が持っている2面性を土台にしていると考えると自己言及のパラドックスと通じている部分があるのではと思ってしまいます。

長い文章でしたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
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