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高2の娘、中退までの経緯

よく眠るのが良いことは、誰でも知っている。
科学的な説明もたくさんされているし。

でも、娘が中退を決めてから、この1週間ちょっと、本当に気持ちと身体が疲れた。

昨日は携帯も見ずに、とにかく早く眠りについた。

今朝はとても気分が良い。
少しづつ仕事が進められそうだ。

真面目な優等生で、コミュ力にも自信があり、リーダータイプで知られた娘は、実はとても繊細で周りに合わせることに疲れていた。

一年の時は、気の合う4人グループで行動し、学校も好きだったが、それでも学年の終わり頃にはやめたい、とか、もっとひどいネガティブな言葉を私にぶちまけていた。

もし高校を辞めたいなら、暴言ではなくて、普通に話し合えばいいから、体調を崩すほど我慢してしたり、嫌な言葉を吐かなくても大丈夫と伝えた。娘は帯状疱疹になり、ひどい風邪もひき、辞めることはもう少し考えたいと言った。

私もよく耐えたものだ。

娘の日々の自虐的な暴言に耐えかね、ある引き寄せの実践家の方に相談したら、私が娘をコントロールしているのではと指摘され、心当たりがあった。私は恐らく世間から見れば割と娘に甘く、娘の意見や希望を尊重している親ではあるのだろうが、私の親の影響もあるのか、門限や行儀、言葉遣いにうるさい親ではあった。あまりに反発するのでもうなにも言わない方がいいと自分でも感じ、言うべきことだけ伝え、何をしようが娘の自由だと思うようにした。

そんなわけで、今回の中退も、決めるのは早かった。夏休み、娘は2、3日おきに遊びにでかけ、勉強にも真面目に取り組んでいた。

順調な夏休み、順調な二学期、、と思っていた。ところが夏休み明け一日目の夜中からまた、娘が荒れ出した。

帰宅後も落ち着かない様子で突然レンタル漫画を借りにいったり、夜は泣き始め、吐き気に耐えた。

もうこれは無理だな、と思った。

私も限界だった。私を振り回す娘が心底嫌になりそうだった。

わたしの娘は全く優等生などではない。

全部、周りに合わせていただけだ。周囲の期待に応えることで、自分を保っていた。
2年生のクラスは、人間関係も希薄で、何をしていても楽しくない、でも勉強のやり方を工夫したり、おしゃれをしたり、楽しみを見つける努力をしていた。

私は高校にに行ってほしかった。
小学校を半分も行かなかった過去。
それを、払拭してほしかった。
もう大丈夫、もう何もないと思いたかった。
その一方で、娘が無理をしているのではないか、本当は違う場所にいたいのではないか、気になる自分もいた。

せっかく小学校で不登校になって、自由な時間を味わったのに、また受験競争に巻き込まれる軍隊のような生活。自分を見失いそうで辛いのではないかと、内心心配していた。

だけど、中学を無遅刻無欠席で乗り切った娘のモチベーションは、ただ、小学校時代の自分を乗り越えたいだけの気持ちだったらしい。
中学から半ば無理やり登校を始めた彼女の心の中は、学校に合わせることに必死で、じっくりと自我を作る時間はなかったのだ。学校の集団で濁流に飲み込まれそうになりながら、必死に自分をもちこたえさせていた。学校には、一人になる場所がない、と娘は言った。

娘は来年秋の大学推薦を希望していた。内申の欠席日数を気にしてあまり休まなかった。一般で受けることにして、普通に休めばと話したけど、少しでも早く高校生活を終わらせたくて、推薦を受けたかったらしい。

まあ、もともと高校など学校生活に合う子ではなかったということかな。

高卒認定試験を受けて、大学に行きたい娘。

娘は好きなことがたくさんある。とりあえず、やりたいこと、どんどんやってみたらと思う。

2年生からお弁当も残すようになり、お昼も美味しくないと漏らしていた。食事が楽しみな娘が、またお昼を美味しいと言い始めた。

明るく笑うようになった。
すごく嬉しい。

今を大切にできたら、それでいいと思う。
人間らしく、生きることが一番大事。
知識よりも感性が大事。

娘を見習って、私ももっと、私の幸せを考えよう。


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