小野フランキスカの断么九
「なぁ、金を貸してくれないか」
小野フランキスカの口からはとうてい出てくるはずのない文字列だったので、わたしは意味がわからずぽかんとしていた。
「三万……いや、一万でいいから」
小野フランキスカがすがるような目でみつめてくる。わたしは開いたままの口からようやく「あ……」と発声し、数瞬ののち「金?!」とすっとんきょうな声をあげた。
「おまえにしか頼めないんだ、たのむ」と小野フランキスカが頭を下げてくるのにもクラクラしてしまうが、「いや、ちょっと待って。ちゃんと、説明、してくれる?」と制し、そのすきにわたしの気持ちを落ち着かせる。
聞くと、小野フランキスカはバイト先の同僚たちがやっていた麻雀に興味をもち、教えてもらうことになったのだったが、その同僚とやらがケチな野郎で、結論だけいうと、ずぶの初心者の小野フランキスカをカモにしたのだった。
わたしが意外だったのは、金銭面には潔癖な小野フランキスカが(仲間うちの遊びとはいえ)賭け事に乗ったということだった。それを小野フランキスカに尋ねると、「そういうルールの勝負だと言われたから」という。
(そうだった……こいつの潔癖は、ルールとか勝負みたいな方面にも適応されるんだったな……)
一見冷静そうに見える小野フランキスカだが、こと勝負となると負けず嫌いの本性を発揮する。テストでもゲームでも、負けた相手には一回でも勝てるまで挑みつづけるのだ。それもちゃんとルールに則ったかたちで。
挑まれた相手の方が面倒くさがってわざと負けたりしようものなら、小野フランキスカは「気遣いは無用だ」「全力で来ない相手を倒しても価値ある勝ちとは言えない」とかなんとか言い出してなおさら面倒なことになる。
とはいえ、バカではない小野フランキスカがまんまとカモられたことには納得がいかなかった。
「それにしてもさ、初心者のあんたが勝てるなんて、どうして思ったんだ?」と問うと、小野フランキスカは己の不覚を恥じるように目を逸らして、「わたしがバカだったんだ……」と絞り出すように言った。
「とにかく親切に教えてくれたんだ」「みんな狙うっていう揃えやすい役を教えてくれて」「最初のうちは簡単に上がれてたんだ」と言って聞かされた内容は、まぁ確かに親切には違いないが、端から小野フランキスカをカモるための罠で、初心者ならだれでも引っかかってしかたがないなとも思われた。
話を聞いてるうちに、だんだん小野フランキスカを消沈させたやつらに対する怒りが湧いてきて、「あのさ、あんたが教えてもらったタンヤオってのはさ……」と熱っぽく語り出していた……
「……最初っから使える牌の33パーセントを捨ててるってわけ。相手はあんたが捨ててくる牌を絞れるし、それを利用して高い手で上がることもできるわけ」とわたしが一方的にまくしたてるのを聞き終えると、小野フランキスカは「たしかにタンヤオはわたしには似合わない戦法だな」とすまして言う。
「次の勝負には役も戦法も完璧に叩き込んで望むつもりだ、負けはしない」と、いかにも初心者が言いそうなことを口走るので、わたしはまた小野フランキスカを制する。
「わかった。金は貸す。ただし勝負に挑むのは、わたしとみっちり練習してからだ」と告げると、小野フランキスカは目をキラキラさせてよろこびをあらわにする。
わたしは小野フランキスカに両手をつかまれぶんぶん揺さぶられるがまま、(今夜は眠れないな……)と覚悟をきめた――
「おまえはいつもわたしにやさしいな」
不意に、にらめっこしていた役表から顔を上げて、小野フランキスカが言う。
「やっぱり、あれか? 小野と栖庫の因縁みたいなやつか……?」
それを聞いて、わたしは少し胸が締めつけられる。
(すくら……栖庫か…… いやな名を聞いてしまったな……)
しかし、それを態度に出さないように気をつける。
「それは関係ない」「だいたい、三代前の栖庫が小野の身代を食いつぶしてから、栖庫と小野の因襲は断たれたろ」「オヤジなんか、わたしには小野と関わるなっていつも言ってたのに」というわたしの言葉に納得したのかしてないのか、小野フランキスカは「ふーん」と気の抜けた相槌を打ち、また役表に目を落とすふりをして、「でも、わたしはナオがいてくれてしあわせだな」とつぶやくように言う。栖庫ではないほうのわたしの名を呼んで。
胸の、さっきとはちがうところが締めつけられて言葉につまったわたしは「ありがと」とだけ素っ気なく言い、小野フランキスカはそれを聞くと「ふふっ」と満足そうに笑って、こんどはちゃんと役表に目を落とす。
栖庫のことは、栖庫と小野の因縁のことは、いまはあまり考えたくない。いずれ時が来たらわたしは栖庫の跡を襲い、栖庫の当主として何代目かの「栖庫柾楠」を名乗ることになるだろう。
けれど、そうであろうがなかろうが、わたしは小野フランキスカにふりかかる災厄を祓い除け、小野フランキスカを悲しませるものすべてから守る。
小野フランキスカが小野フランキスカらしく歩いてゆけるように、わたしの命を捧げる。
小野フランキスカに最期がおとずれるそのときまで、わたしは小野フランキスカとともにある。
彼女が飛ぶというならわたしもいっしょに飛ぶし、彼女が死ぬというならそのときは一瞬たりとも遅れずわたしも死ぬ。
それが、わたしの願いだ。
「フランキスカ」 ·····わたしが名を呼ぶ
「ん」 ·····うつむいたまま軽い返事
「ぜったい勝つぞ」 エールを(祈りを)贈る
「……うん!」
ぱっと顔を上げた小野フランキスカは頷いて、「えへへ……」と笑った。
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