歴史嫌いだった自分が気づいたら歴史の道の端っこを歩いていた
これは私が今の大学で仕事をするまでと、”歴史”についてと、このnoteを始めたお話。ご興味あらば笑
”憧れだけひきずって・・・・”
自分は割と、こんな感覚でいる
いや、「いた」というべきか。
今はそれほど、若いわけでもなく、でたらめに道歩けるほど、勇気もなくなってきた笑 いつ何時コケるかもしれないし・・・・
まあそれでも、でたらめに歩く方がいつだって、うまくいく
ということは知っている。
そんなわけで、歳を経て、道端にある危険性を知れば知るほど、勇気がなくなってきたわけだけれども、
歴史に関してはむしろ、近年ようやく、「意識的に」歩けるようになったとも思う。憧れを引きずっているのは今も変わらず。
歴史というものを研究する道、大学の教員という道。
自分はそんな器ではないと自分の師を見ていたいほど知っている。
私の優秀な先輩が、割と社会的地位を築いた後大学に戻り、すごい博士論文を書いて、その後に同じように大学に出戻った私が論文を書き始めた時に言われたことを今でも引きずっている。
いくら勉強しても、先生を超えることはできないだろ?と。(だから先輩は大学に残る道を選ばなかった?)ええ、先輩でもそんなこと思うんだ・・・と衝撃だった。
と、同時にそうだそうだ。と思った。しかし、私は先生みたいになれるともなろうとも間違っても思ったことはない。ただ、結果的には私は先生の後を、まあ道草しながら何とか歩いてきているのかもしれない。学会なんていつから出していないのか、何の成果も出さず研究も真面目にせず、遊んだり、結婚したり、子供産んだり、研究という観点からすれば寄り道ばかりしてここに至る。
つまり先生の後をついてきたというよりも、気づけば全く違う道に迷い込んだだけかもしれない。だから偉大な歴史学者になるつもりもないし、なれもしない。
そんな私にもう一つ、先の先輩の声が耳に残る。
「お前は、もっとお前になれ。」
おいおい、お前って呼ばれること自体、パワハラじゃない?なんて言わないで。昭和世代なんですよ。
前の大学で仕事してた頃、同級生のプロダクトデザイナーに集中講義をお願いして、彼が私のことを、大学の教員に向いていない と言った。
当時その真意はわからなくもなかった。この仕事を続けていく意思が薄れていた。
そして、大学生当時の私は今と変わらずそんなに出来も良くなく、もっと優秀な同級生がたくさんいて目立つこともなかったから?なのかはわからないが、先生って柄じゃないのは自分でも分かっている。
しかし、
お前はもっとお前になれ
という言葉が今でも胸に響く。
散々自分のことを卑下してきたエクスキューズのように。
子連れで大学の仕事に戻る。
その後、前大学でのおじさん教員からの酷いいじめ、怪我、病気、出産などなどを通して一時は大学の仕事から引いていたのだが、家で悶々と子育てをしていてこのままでは鬱になるというほど気持ちが落ち込み、一昨年から非常勤を経て、大学の仕事に戻った。どちらかといえば、このままでは自滅する。社会的な役割がないと生きていけないと思っただけで、また研究したい!というカッコイイ動機ではなかったのだ。
しばらく鈍りまくっていた感覚を揺り起こし、非常勤で最初に教壇に立った時には声が震えてうまく話せなかった。
そして出産と育児の脳ミソからのシフトは恐ろしく異世界だった。
パワーをめちゃくちゃ消耗した。
それからは死ぬほど勉強し直しと授業の資料作り・・・・
結果、次の年から常勤になったプレッシャーも手伝って、頑張りすぎて体調を崩し、ガン一歩手前で手術までしてしまった。
無理はもうできないとつくづく悟った。
しかし、仕事に復帰してから割と勉強し直したのは、単純に、楽しかった。
ただただ没頭して何かを調べることは好きだったのである。
それでかなり勉強してデザイン史と概論の授業に準備をしたが、結局諸事情でその授業は手放した。
歴史・意匠学研究室へ入った時のこと。
中学校と高校の時、「歴史」の授業が最も苦手だった。
とにかく、私は暗記が苦手だったのである。苦手っていうか、嫌いだったのだろう。英語とかはそこそこ覚えられたから笑
興味がなかったのだと思う。
歴史=暗記
この訳のわからない構図が、歴史嫌いの人を大量生産していると思う。
しかし、歴史は暗記ではない。
あの、いい国作ろう・・・・ などと年号を覚える無意味さよ。別に暗記を全否定しているわけではないが、年号など覚えなくても、調べりゃいいのでは?と思う。
すぐ調べてわかることを覚える必要なんてないと思うのだ。今時誰だって、スマホは持ってるし、すぐ調べられるし、すぐわかることを覚えるのは得意な人にとってはいいけども、意味ないし、歴史を理解することとは別のことだ。
大学では優秀な人が多くて、私の成績はほどほどだったので、3年生の終わりに研究室配属で憧れの研究室=>歴史意匠研究室 に希望した時、入れるとは思わなかった。人気だったのだ。研究室訪問ではなんだか凄そうな先輩たちがたくさんいて、意味深なことを言ってきた。当時ポカーンとしていた。
建築の設計を目指す人は、ほとんど意匠か、計画系の研究室を選ぶ。
なので、自分がそこに配属されるとは思わなかった。
同級生に、入れて良かったね。と言われた。
入ってみればみんな建築、建築家オタクだった。
私は建築家の名前とか、作品とか、そんなに詳しくなかったので、話についていけないことは多々あった。そんなに”建築家” に興味はなかった。その後、オープンデスクという名のタダ働き(失礼汗)で、某有名建築家の事務所でちょっと経験してみて、はっきりと ”アトリエ系”に就職はしないと決めた。家に帰れないなんてジョーダンではないと当時思った。(オープンデスクでの仕事はとにかくひどかった)
そして、研究室はめちゃくちゃ楽しかった。
そんな自分が先生から言われた卒論テーマは、先に少し触れたけど シンケル。
そして、社会に出るのを遅めるために進んだ?疑惑の(笑)大学院ではタウト。
そんな壮大なテーマは先生の専門の中枢領域だった。
シンケルについては・・・触れるのもおこがましいレベル。汗
タウトについては・・・それは今でも私の主流テーマで時々簡単なお仕事までいただくのだが、恥ずかしながら、他のタウト研究者に申し訳ないレベルではあるものの、修士論文では没入しまくり、先生から面白いと言ってもらったのだった。人生でもかなり嬉しかった記憶である。
さて大学院を卒業して長らく仕事をし、ほんとうーーーーに色々あって、先生に拾ってもらって、逃げるように大学に戻って博士論文。これまたタウトであった。
タウト先生は私を離さない・・・涙
しかし、先生に時々質問をしに行って、長々と研究について話すのは、極上の時間だったと思う。できることならそのまま先生の下について研究したかったし、その時はそう思っていたが、運命として、そうはならなかった。
ともかく博士論文は思ったよりすんなり終わった。没頭グセが功を奏したらしく、楽しく終わり、本発表会の前日は音楽フェスにまで行っていた始末。
歴史はめちゃくちゃ面白い。
話を戻そう。
本学で仕事に復帰して色々勉強し直したものの、その授業がなくなった。
もったいないなあ、せっかく・・・・という気持ちが沸々と湧いてくる。
ということで、そうだアウトプットしよう! という考えに至る。
それがnoteの始まりである。
歴史というのは、本当に面白い。
建築史、そして美術史。
実は、これらの分野は西欧ではお隣の領域であり、かなりの部分が重なっている。デザイン史というものがさらにあるが、これは近代以降を対象としていて、その部分についてはやはり重なる。
建築史・美術史・デザイン史を合わせていくと見えてくるものが格段に増えてくる。
そして、何が面白いのか、というと、年号を覚えることでも、人の名前を覚えることでもなんでもなく、
例えばその作品がどんな背景で作られたのか、少しでも垣間見ると、なんというドラマがあるのだろう!!!!!!!!!
面白すぎるのだ。それに尽きる。
私はそんなことをできるだけ授業で伝えたいとは思うのだが、ボリュームがある中でそんな詳細な触れることはなかなか難しい。ましてや、建築士試験のための勉強など意識し始めると教科書通りの話になってしまう。
それなら教科書を読めばいいのである。
授業と視点の最大のヒントをもらう
ネタバレ覚悟で言わせてもらえば、教育するための勉強をしていない私が、授業でどうしようか迷った時の心の師匠は、実は、山田五郎さんなのである。(恥)
五郎さんの美術史のyoutubeには、本当に、勇気とエッセンスをたくさんもらっている。本当に面白い。授業の参考になっているのだ。
ありがとうございます!!!!!!!!!応援しています!!!!!!!
そう、あの視点でいいのではないだろうか。
いやむしろ、あの視点が重要なのだと。
教科書には書いていないこと、それは五郎さんの独自の視点と解釈。それこそが最も面白いところなのだ。
しかし、自分なりの視点と解釈を持つには、かなりの勉強が必要である。
調べれば調べるほど、面白いが、全てを調べ尽くすことはできない。
であるから、まずは著名な研究者の視点の中で面白い、共感できると思うものをピックアップ、そして自分なりの視点が少しでも入れば、切り口でも良いから入れば、それでいいのではないかとまずは思いながら、少しずつ書くことにした。
そして書いているうちに、noteでは、自分が面白いと思ったことを共有できる機会にもなるのだと気づいた。
また、授業では言えなかったことを、盛り込むこともできる。
そんな気持ちで書いている。
そして、最初の「デザイン力を上げるには?」にも書いたように、
歴史を知ると、デザイン力が上がるとは、本当のことなのです。
少しでも歴史の面白さを知ってもらえれば、きっと役に立つのではという気持ち。
なんだか尻切れトンボ感があるが、ひとまずはこれで。笑
表紙画像