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この世に素敵な意味づけをして生きてゆく

考えなくてはいけないことが多すぎて、たまに逃げ出したくなる。かと思えば、考えたくないことばかりを考えてしまう。「考える」とは、なかなか手強い行為だ。

素敵に生きていくとは、「考える」ことと上手に付き合って、世の中に自分なりの意味づけをしていくことであると、私は思っている。自分が働く意味、友達を持つ意味、本を読む意味。「ストーリーのあるもの」を選んで購入したり、ただのモノを買うというより「体験」を買う、というのは実はここと繋がっているんじゃないだろうか。

考えることが苦手で避けていた、あの頃の自分に向けて、伝えたいことを書いてみる。

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「強く願えば叶う」とはよく言うが、単純でおめでたい私は、その言葉のままを信じていた。あの言葉は正確には、「よく思考した上で」強く願えば叶う、だと今は思うのだ。でもそれに気がつくことができず、何とも生きづらい日々を送っていた。

好きで好きでたまらないあの人と結ばれるには。どうしても行ってみたいあの国へ行くには。憧れの、やっぱり諦められないあの仕事に就くには。どうしたら良いのだろう。強く、願うだけ?


哲学の国フランスと出会ったのは、ちょうどその頃だった。

哲学王国の彼らは質問が大好きで、「なぜ?」「なんのため?」、と至る所で本質をつくような質問をする。

自分の労働の意味、目指す幸せ、信じるもの。私は何一つ答えられなくてただ曖昧な笑みを浮かべてやり過ごすだけ。生き生きと自信を持って生きる彼らの、「自分によってきちんと意味づけされた人生」を見て、「ああそうか、生きていくために哲学ってあるんだ」と思ったのである。

問題の表面をなぞるようにして、何かを願ったって叶いやしない。物の本質を捉えて、「考える」ことと向き合わなくてはいけない。

なぜならば、人間は本来、他の生物とちがって本能的に「意味を求める」動物だから。そうか、かの有名な一節はそういう意味だったのか。

われ思う、ゆえにわれあり
Je pense, donc je suis.

日本語にすると「思う」という訳になるが、原文のフランス語「pense」は「考える」「思考する」といった意味が強い単語。つまり、「私は今、考えている。だからこの世に存在している」ということ。近代哲学の王様デカルトの言葉、世界中の人が知っているような有名な一節である。

人間は、他の動物と異なり「食べる」「寝る」が人生ではない。自分が存在している意味、自分の行動の意味、自分が存在しているこの世界の意味を「考える」動物であるのだろう。「考える」ということは、私が人間として存在していることなのだ。

便利な世の中になりすぎて、なんとなく受け身でも全てが完結されてしまうから、私たちはこの「意味を求める」という人間の本能を置いてきぼりにしてしまうことがしばしある。それでも何となく、幸せになれてしまうご時世なのかもしれない。

しかし私は思うのだ。「考える」とは人間にプレゼントされた本能。だから、贈り物を素直に受け取ることが、きっと幸せへ繋がっている。われ思う、ゆえに我あり。働く、食べる、寝る。どうせ同じ人間生活を送るのなら、自分なりの素敵な意味を持っておきたい。









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