『優秀・無能』と白黒分ける企業はもはや淘汰される理由【多角的に見る大切さ】
佐々木俊尚さんのVoicyで、人材を使いつぶす時代はもう終わりで、今や適材適所にマッチングさせる時代だという話をされていました。
私はこれには大いに同感です。
佐々木さんご自身が、新卒のキャリアで毎日新聞に入社されていて、当時は『優秀』な人だけ本社や花形の部署に残したり、『優秀でない』人は不人気の部署や僻地に配置し、社内では恨みや僻みが蔓延していたというのです。
一企業の評価で人に不名誉な烙印を押して精神的に追い詰めるのは、人を人として見てないというか、ものすごく会社の傲慢さを覚えます。
奇しくも私は先日まで、『働くということ』という勅使河原真衣さんの本を読んでいました。この本は以前に尾石晴さんのvoicyで紹介されていたもので、脱能力主義をテーマに企業やマネジメント層の考える『優秀・優秀でない』という軸がいかにいい加減なものか、そういった考えを改めないと今後は採用できないぞという趣旨の本です。
勅使河原さんの表現を借りると、1人の人材というのはレゴブロックのようなもので、それ単体で何か壮大なものを作り上げるというものでは決してなく、周囲との凸凹を組み合わせてかっこいい巨大な船のような大きな成果を生み出すのであると。
1つのピースにすぎないレゴブロック(一社員)に対して、個人の良さにはほとんど言及せず、やれ〇〇スキルを身につけろだの、✕✕力を身につけろだの叱咤激励してくる会社や世間がいかに滑稽なものであるかというのが、まさにこれまでの私の会社員生活でも辟易しているところだったのでものすごく共感しました。
1つのレゴブロックにすぎない一社員に対して、頑張ってればきっと何にでもなれるんだからとりあえず根性出して頑張れ、みたいなよくわからない根性論が蔓延していたのが問題だと思います。
一部の根性論界隈の方に怒られてしまいそうですが、私たちの大部分は努力をしたところでイチロー選手や大谷翔平選手にはなれないのですよね。
でもイチローや大谷のようになれないからじゃあダメなのかというと決してそうではなくて、もしかしたら人によってはその2人よりも会計や経理の知識が優れているかもしれないし、また別の人は理工学系の知見があって研究者としてものすごく大化けするポテンシャルがあるかもしれないですよね。
とある社員へ特定の評価軸というものさしを当てた時に少し足りなかったからと言って、その人を『使えない』とか『無能』などと評価するのは、労働力の供給制約もある現代となってはもはや合わない人材の活用方法だなと思います。また人海戦術的な人の使い方が出来た昔と違い、これからはそのような評価をして人を潰すのは企業の終焉が早まるだけではないでしょうか。
物事に対してはよく多面的に見るように言われますが、人に対してもまた、多面的に見ることが企業の継続には大事な考え方です。
組織のマネジメントポジションの人には、とある人に苦手な分野があってもその人の良さを活かすにはどんなアサイン・組み合わせをすればいいかという視点を持っていただきたいですし、また一社員としても自分に合わない組織で悶々として自己肯定感を下げるのではなくて、自分に合ってる環境へどんどん身を移していく考えも必要なのかなと思いました。
それではまた!