自分の常識が世間の常識と思わないこと‐強いネガティブの言葉の矢印を向ける前に考える
こんにちは! 今日は、自分の常識が世間の常識であるという思い込みはやめましょう、 という話をします。
きっかけとなったのは2018年発行の古い本ですが、FACTFULNESSいう本です。 Audible のライブラリに入っていたので 、久しぶりに聞いてみました。
購入当初に聞いた時ももちろん感動があったのですが、 購入から数年経ったいま改めて聞いてみると、これまでの人間関係や、人から言われて違和感を覚えたことがこの本によって『なるほどな』と消化されるような気がしています。
この本の中には、自分の常識を世界の常識だと思ってはいけない、という章があります。 この章と関連して、以前 X で話題になっていたポストで少し気になっていたものがあったので、それを踏まえてお話ししたいと思います。
『可燃ごみに牛乳パックが入ってるなんてありえないよな』というXの投稿
ことの発端
数ヶ月前、とある有名な方がポストした投稿がXでバズっていました。
その内容が 、ゴミ収集をしていた投稿主さんが可燃ごみの日に牛乳パック(中身が入っていそう)が 可燃ごみの中に紛れ込んでるのを見つけ、その様子の写真を投稿し、『今日は可燃ごみの日なのに牛乳パックが入ってるとかありえない。こんなの初めて見た!』といった 趣旨の内容を投稿されていたのです。
それに続くリプライも、ありえない・ 可燃ごみの日に紙パックを捨てるなんて、といった投稿が続いていましたが、 私はこの一連の投稿にちょっとした違和感を覚えたのです。
私の違和感
そのポストの投稿主がどこにお住まいなのかわからないのですが、少なくとも文面から推察するに投稿主の地域では可燃ごみの中に牛乳パックを入れてはいけないというルールのようでした。
ゴミの分け方は地域によっても全然違いますが、私がこれまで住んだことのある自治体のルールを振り返ると、少なくとも牛乳パック単体の場合は紙ゴミや資源ごみとして可燃ごみの袋とは別に出す地域が多いのではと思います。
では、なぜその投稿に私が違和感を覚えたかというと、件の写真に写る牛乳パックには何か中身が入っていそうな状態だったこと、また私の以前住んでいた自治体で、新聞紙やボロ布を入れた牛乳パックに使用済みの油を染み込ませ、牛乳パックを密封した上で可燃ごみとして捨てるというルールの地域があったからです。
実際に食用油のメーカーホームページでもそのような処理が推奨されています。
そのバズった投稿に写っていた牛乳パックの中には、もしかしたら油の染み込んだぼろ布が入っていて、捨てた主は可燃ごみとして廃棄していたのでは、と私は思ったのです。
ただ、その投稿主の地域では油の捨て方として別の方法を指定されているのかもしれませんし、油の廃棄方法として牛乳パックは使わないルールになってるのかもしれません。
とはいえ、お住まいの自治体で定められた油の廃棄方法ではなく、他の自治体や食用油のメーカーで推奨されている方法を取っただけで、今回のバズった投稿のように晒されないといけないのか?、そこまで叩かれなきゃいけないものなのか?、かなり違和感を覚えたという次第です。
今回の一件から気づけたこと
正義のつもりが実は自分が無知なだけの可能性もある
例の投稿で取り上げられていた地域のルールがわからないので、投稿主と廃棄主のどちらのゴミのルールが正しかったのかはわかりません。
また牛乳パックの中身が油なのでは、というのも私の推測なので実際はどうだったのかもわかりません。
ただ、万が一、廃棄主の捨てたパックの中身が油で、かつその捨て方が住まいの自治体から推奨されているものだったら、投稿された内容というのは投稿主自身の無知が原因で第三者を叩いているだけ、というとても滑稽な構図になります。
強い言葉で相手を批判したはいいけど、実際は自分が間違っていた・自分が無知なだけだった、というとても恥ずかしいパターンです。晒された側からするとたまったものではありません。
無知の知
神は何でも知っているが、人間が知っているものなんて神と比べればゼロに等しい。そんな様子を表したソクラテスの無知の知という哲学の言葉があります。
私もつい正義感にかられて強くてネガティブな言葉を使ってしまうことはあります。ただ、今回のバズっていた投稿を見て、自分の常識や狭い見解にとらわれすぎて無いか?、もしかすると自分の知らない何か背景があるのでは、と一呼吸置いたアウトプットが重要だと思います。
バズった投稿や炎上を見て、すぐに鵜呑みにするのではなく、一呼吸おく、賛同できないなら距離を置く、そんな情報・ネットリテラシーが必要だと思いました。
それではまた!