こころ(夏目漱石)
人間のこころのように不安定でゆらゆら揺れ動くものを信用することは、怖い。
読み終えて、まず、感じたこと。
だからこそ、“自分”の存在が、少なくとも自分にとって信頼できるものであり続けなくちゃいけない。揺るがない自己の実現過程の中で、自信や強さを獲得するための「自分に正直」な姿勢が肝心だということは言うまでもないけれど、「自分に正直」でいるには、欲望や社会的な居場所の確立と承認、更には他人の下す評価でさえ不可欠な要素になる。要するに、満足できる自己の形成にはほかの人を信頼することが必須ということ。そもそも、誰かを信じることが怖い故に強い自分を確立させたいのに、結局のところ他人への信頼が必要で...というジレンマ。でも、原理的にも難しいとされながらも、誰かを愛して信頼できるということは、かけがえがなく、美しくて、胸がきゅうっとする。
「こころ」が時代を超えて共感され、現在に至るまで多くの人に読み継がれているのは、この小説の基盤になっている “人間の心理”の不変性にあるのだと思う。作品からは、人間関係から逃げて孤立した先生や、信頼していた相手や相思相愛だと信じ込んでいた女性に裏切られた末に行き場をなくした K の葛藤が伝わってくる。そして、「上 先生と私」の語り手である「私」は、自己を形成する真っ只中の若い世代の象徴なのかな?
自分の過去を新たな世代の者に物語ったのち、先生は自殺を遂げた。明治が終わり、新しい時代が幕を開けるのも、このタイミング。
ところで、「私」・先生・K の本名は記されていないのに、静だけは実名で語られている。先生や K にとって特別な存在であった静は、何かの象徴として描かれている訳ではなくて、(静が最後まで純白であったかは別として、)彼女だけを実名で書くことで、「ただ静というたった一人の人間が純白でいること」を切実に願いながら彼女を大切に想う先生の、繊細で大きな愛がより強調されていて、胸にしみた。…それにしても、三角関係って怖すぎる(笑)
最後に、疑問として残ったのは、先生・K・乃木希典の3人の自殺が、その死によって彼らの倫理観から見た理想を達成出来たのか否かということ。道徳心と 現実の間の溝を埋められないと悟ったとき、命を絶つことが本当に最善策なのかどうか。私にはもちろん死んだ経験なんてものがないので、残念ながらこの作品を完全に理解できる日は一生来ないんだろうな…と考えつつ、大人になったらぜひ再読したいと思う作品です。
…というわけで、学校の国語の授業でかなり読みを深めたので、いろんな考察も交えて書きました。ひとつの小説を、3学期まるまる使ってグループで追求するっていう、最高にわくわくする授業だった!
以下、すてきな文章たちの引用です。 いくつかのシリーズに勝手に分類してご紹介します。
○生き方編
若いうちほど淋しいものはありません。
わたし自身、ちょっと今は精神的に弱っているので、これから歳を重ねて淋しくなくなったらいいのにって思ってみたり。でも、先生は結局歳をとっても孤独そうだったから、説得力が無い!!
私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体が動くからです。
うーん。わたし的には"新らしい事"も必要だと思うんだけど…。ただ、経験してきたことをいきいきと語る人はエネルギッシュで魅力的だと感じる、という点ではすごく共感した言葉。
精神的に向上心のない者は馬鹿だ。
学校の授業では「Kの自殺」をテーマに発表をして論文を書いたので、何度も読み返して解釈をした一文。(先生とK間に齟齬があったのは残念だけど、)簡潔かつ超正論であるが故に、かなりグサッとくる。やらされているかのように感じることや逃げたくなるくらい嫌なことが多くある中で、それらを誰かのせいにするのではなく、自分の中に"向上心"がないとダメなんですね…。心に刻んでおきます…。
「自由と独立と己とに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。」
「私」の兄が動物的に見えるという描写もあったから、そことの対比が成されているとも一瞬思ったけど、それだと「みんな」にそぐわないから私の勘違いか…。ここでの「自由」は一体何を指しているのか、少なくとも真の自由ではなくて、不自由な自由なんだろうとは思うけど。わからない。
○恋愛編
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女としてわたしに訴えないのです。妻のほうても私を天下にただ一人しかいはい男と思ってくれています。そういう意味からいって、私々は最も幸福に生まれた人間の一対であるべきです。」
読了後に読み返すと、そのままの意味では取れないことがわかるんだけど、この一文だけ読んだ時に感じられる恋愛観というものに惹かれた。彼氏にこんなこと言われてみたい人生だった(ノД`)
○人間性編
「平生はみんな善人なんです、少なくともみんなふつうの人間なんです。それが、いざというまぎわに、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。」
「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だからじつはあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりにも単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人でいいから、ひとを信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になってくれますか。」
先生の目には、人間は利己的で私欲には勝てないものとして映っていて、それでも誰かを信じたいと願っている。わたしまで人間不信に陥りそう(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?