見出し画像

21歳の老犬との日々を思う(3)

*Ⅲ*

老犬介護において、
定番中の定番である悩みのひとつに、

「夜に寝ない」&「通しで寝ない」

ということがある。

野生動物の生きる術なのだろう、
昼夜問わず、その眠りは「切れぎれ」で、
こと「認知症」を患う犬は、
通しで寝てもその時間は長くとも2時間ほど。

起きている間はこちらも
起きていなければならなかった。
(吠えるので)

幸い家で仕事をしている夫と、
昼間は外でフル勤務の私は、
交代で彼女の面倒を見ていたのだが、
3時間以上通しで眠ることが出来ない
日々が続いた。

その日数、実に
500日あまり。(約一年半)

「眠くならない」のも辛いが、
やはり「眠い」のに
「寝かせてもらえない」方が何倍も辛い。

古典的な拷問のひとつに「睡眠妨害」というものがあるらしいが、
その片鱗を垣間見たように思う。
*
*
でも、こうして数年が経ち、あらためて
当時のことを書きおこしてゆくと、

意外と軽やかに筆は進む。

時を経るとは、そういうことなのだろう。

本当は綺麗ごとだけではなく、
書き切れないほど色々なことがあった。

けれど、あの頃の切羽詰まった感覚は
もうだいぶ薄れて、
鮮やかに思い出されるのは、
毎夜腕の中で感じた愛しく温かなぬくもり。

彼女はそれまで誰も知り得なかった
私の「母性」のツボを、
唯一残された嗅覚でするどく探り当て、
その柔らかな肉球で押し続けたのだ。

ときにやさしく、ときに力強く。

短い眠りの間にふっと目覚め、
不安そうに見えない瞳を宙に泳がせるとき、

「そばにいるよ、ここにいるよ。」

と何度その瞳に口づけしたことだろう。

そのたび彼女は安心したようにふたたび
すっと眠りに引き込まれていった。

彼女が開いた私の胸の愛の泉からは、
これまで感じたことのないような
感情が溢れ出していた。

厳密に云うと、「母性」とも違う。

何かもっと絶対的なもの。

それは彼女だけでなく
私自身をも包み込んで、

その瞬間
いつもパーフェクトな世界が出現した。

この感覚を説明するのはちょっと難しい。

それでも一年半後、徐々に容態が悪くなり、彼女はついに旅立った。

彼女は私が仕事から帰宅する
1時間ほど前に虹の橋を渡ってしまった。

その日の朝、
いつものように瞳に口づけると、
いつになく、なんとも切なそうな目で
私のことを見上げていたことを思い出す。

その瞳には何も映ってないはずなのに...。

21年と3か月の生涯だった。

泣けて泣けてしかたない日が続くなか、
ふとある思いが湧き上がってきた。

私は自分では彼女の世話をしていると
思ってきたけれど、
それはまったくの「驕り」ではなかったか。

一年半も私に寄り添ってくれたのは
実は彼女のほうだった。

辛い身体のまま、私のためにこの世界に
留まり続けてくれたのだと。

何故ならこんなにも私は変わったから。

その生涯を投げ打って、
最期に彼女が私達に残してくれたもの。

それは束の間のぬくもりではなく、
「愛」そのものだった。

世界をまるで変えてしまうほどの。

「愛される」ことより、
「愛する」ことで、人は満たされるのだ。

「与える」ことで完全に満たされる。

今も、日々の生活に疲れ、
ふと何もかもが嫌になってしまうとき、
彼女と過ごしたパーフェクトな
世界が恋しくなる。

あの世界は一体なんだったのだろう?

迷い込んだ桃源郷の入口は閉じられ、
見失ってしまった。
今も探し続けている。

縁あり、人生をともにする動物たちは、
やるせない日々の中、
時折「パーフェクトな世界」へ
連れて行ってくれる、
愛すべき案内人なのだと思う。

そんな案内人に出会える人生は
このうえなく幸せだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?