見出し画像

21歳の老犬との日々を思う(2)

*Ⅱ*

次の日、とりあえず病院に連れて
行くことにした。

興奮して診察台の上で
排泄物をまき散らす彼女、
勿論恐怖心もあったに違いない。

しかし、先生は顔色一つ変えず、
淡々と傷口から蛆を一匹ずつ
ピンセットで取り除き、
抗生物質の注射を一本打った。
(いや二本だったか)

目が潰れていたように見えていたのは、
目ヤニが覆いかぶさっていただけで、
拭き取ってもらうと、はじめて瞼が開いた。

瞼の下からは現れたのは、
老犬ではなく、少女のようなつぶらな瞳。

しかし、その白く濁った瞳は
すでに視力を失っていた。

先生曰く「白内障」とのこと。

そして失われていたのは
視力だけでなかった。

聴力もほとんど失われてしまっていた。

「認知症」、「白内障」、「老齢による失聴」

彼女は老犬たるすべての条件を
見事に兼ね備えていた。

それでも、どこにそんな力が
残っているのかと思うほど
腕の中でもがく力は強かった。

彼ら(彼女)にとって「生きること」とは、
ただただ
「この世界に踏みとどまる」ことなのだ。

「生きる意味」を問うこともなければ、
「諦め」もない。


食欲はあった。

身体中いたるところを這い回っていたノミも薬で退治した。

傷口が乾いていなくとも、
身体は洗った方がよいと先生に言われ、
絡まった毛を我慢強く解きほぐし、
風呂にも入れた。

そうして、彼女は少しずつ元気を
取り戻していった。

一番厄介な問題は「認知症」だった。

まず今の自身の状況が理解できない。

目も見えず、耳も聴こえず、
頭の中には霞がかかっている。

それでも時間の感覚はあるらしく、
夜になると、不安で全身を震わせ
鳴き叫んだ。

「夜」に弱った身体と心が蝕まれていくのは
犬も人も同じなのかもしれない。

彼女は暗闇の中、今なお不安で過ごした時の中に留まったままなのだ。

しんと静まり返った夜中に響き渡る
悲鳴にも似た鳴き声。

そんなときは、背中から抱きしめて、

「もう決して独りにはしないよ、
ずっとそばにいるよ。」

子守歌を歌うように何度も繰り返した。

階上や階下の方々にも
毎夜の鳴き声は届いていたと思う。

いつ管理人室にクレームが入るか、
気が気ではない日々が続いた。

しかし、最期までそんな日は来なかった。

それについては、ただただ感謝あるのみだ。


そんなこんなで一週間が過ぎた頃、

彼女は次第に立ち上がろうと
試みるようになった。

立とうとしては転び、
転んでもまた立ち上がろうとする。

何度も、何度も、
生まれたての小鹿のように...

そしてある日クララ(柴犬)は立った!

勿論、嬉しかった、アルプスの山々に
向かって叫びたいくらい。

しかし、ハイジのように
手放しでは喜べない。

「徘徊老犬」が誕生した瞬間だった。

とにかく彼女が起きている間は
目が離せない。

家の中とはいえ、
どこに行くのか分からない。

転んでも自分では起き上がれずに鳴き叫ぶ。

鳴き声を防ぐことは、
ペット禁止のマンションでは最優先事項だ。

そのときは飛んで駆けつけねばならない。

そんな中、老犬介護は予想に反して
超ロングランに突入した。

「子供が可愛い」のは大人に保護され
愛されるためだという説がある。

「愛らしい」ことは、この世を生き抜く
必須条件なのだと。

ところが犬や猫は
成犬や成猫になってもなお可愛い。

それどころか、断言しよう。

「老犬」の可愛さは
「子犬」の可愛さを遥かに凌駕する。

それほどまでに老犬の可愛さの
「破壊力」はすさまじい。

そしてヒロイン(彼女)は瞬く間に
スターダムにのし上がり、
我家でのその地位は確固たるものとなった。

当初は玄関先だった居場所は、
いつしか「居間」の指定席(ソファにしつらえたベッド)に格上げされ、
まもなく毎夜私のベッドの中で
抱かれて眠るように...。

まさに破格のVIP待遇である。

途切れがちなわずかな時の眠りから覚めると、
彼女は今自分がどこにいるか分かなくなり、パニックになって鳴き叫ぶ、
そんなとき、他の体温に触れると
安心できるようだった。

犬は古来より「群れて」生きてきた動物で、とてもさびしがりやなのだ。

そうして一緒に眠るようになった。

Ⅲへ…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?