発言に説得力が欠けるのは「思っている」から
「思っている」と発言するのは「考えていない」ということです。
答弁がちぐはぐ、質問と答えが噛み合わない。
具体的な話が一向に出てこない。
さまざまな要因により、メッセージが国民に伝わらない。その代表格が菅義偉総理。
質問と答えが噛み合わない。
敢えて質問に答えないのか、それとも質問の内容を理解していないのか。
後者だとすると、国のトップとして大問題です。
答弁がちぐはぐなのも同様です。以前の発言と辻褄が合わない理由が「考えが変化した」のならその旨を説明すべきだし、「忘れてしまった」のなら、これまた大問題です。
「思っている」のは、個人の見解
菅(すが)総理の発言で気になるのは「私としては・・・と思っております。」という口癖です。
ちなみに先日の会見(2021年7月8日/東京都4度目の緊急事態宣言)が活字になっているので、興味のある方、どうぞ。
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0708kaiken.html
▼思う
主観的思考(感情や情緒を伴う)
主観的思考「感想」なんです。なので、他人事として伝わってしまいます。
国家の重要な決定事項についてこのような発言があると、「自分はそうしたくなかったけど」のような印象が持たれても仕方ありません。
どうあるべきか
私たちがプライベートでも、仕事でも、行政であってもトップに求めることは「思っている」ことよりも「考えている」ことです。
▼考える
論理的思考(知性を伴う、客観的な思考
理論をもって、説明のできる理由をもって、相手に伝えることが「考えている」ことです。
科学的な分析、過去の事例に基づく推測、それらに基づいた将来の見通しを述べることが、相手の安心につながります。
それが欠けると、説得力の欠如どころか「安全」ではなく、「安心」だなんて到底言うことはできません。
根源にあることを「感じる」
思う、考える、と似た言葉に「感じる」があります。これは、相手の言動に対して、どう自分が反応するかを意味します。
▼感じる
感情・感覚によって認知される行為
過去の経験や、言葉の解釈により、どう判断しようとしているかが「感じる」ことです。今後の決断を決定づける要因です。ですから、記者会見等で質問すべきは「どう思いますか?」ではなく、「どう感じていますか?」そして「どう考えていますか?」であるべきです。質問の質も問われます。
あまりに愚弄である
考えれば考えるほど、現総理が国民に対して、そして会見という場を「愚弄」していることが残念でなりません。故意であるならば、なおさら腹が立つ。
一方、最近の発言からすると、質問の内容を理解できていないようにも見受けられるため、「悲しい」「呆れる」という表現が正しいです。だとすると、事理弁識能力に欠ける総理大臣は不要です。
あまりに(会見等にて)会話が成立していないので、自分の思考がおかしくなったのでは?と思うことがしばしば。いずれにしても、国のトップがこのような状態であることは、国民にとって不幸なことである。
●●党が良い、■■派が正しい。
そんなことは言いません。
私が想うのは
・言っていることが分かる
・その根拠が明確である
・自分の意見と一致している
そういった人を議員として選出して欲しいということです。
あまりに滑稽である
総理の記者会見で、記者が「●●についてどう思われますか?」と質問する場面が多々あります。まさに、愚問です。「どう考えていますか」「どう(行動)しますか」と問うべきです。前者の質問にあいまいな回答がなされるなら、次の質問者は、さらに質の高い質問をすべきです。
たとえば、
「先ほどの質問に対して、頓珍漢な答えをされたのは何故ですか?」
「質問と答えがかみ合っていないことを理解されていますか?」など。
さらに言えば、ベテランの政治記者こそ総理会見の場に立ち会うべきです。
マヌケな質問ばかりの記者との会見を見て、テレビ局のスタジオからベテラン記者が解説する状況が滑稽でなりません。
ましてや「専門的なことは・・・」と尾身氏を登壇させていますが、本来なら当該氏の考えを理解したうえで、総理が発言すべきところです。自分が正確に理解していないということを示しているんです。悲劇です。
行動・結論とその説明・理由だけで十分
行政のトップは
・今後の方針
・その背景・理由
を明確に説明すれば、それで十分です。
これまで成果をアピールしたり、希望的観測を述べたり、論点を逸らすことばかり意識するのは、「鹿」を「馬」と言ってしまう者(指鹿為馬(しかをさしてうまとなす))であることを露呈するだけです。