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推し活で遺骨発見!?リチャード3世

イギリス、レスターで見つかったリチャード3世(イングランド王)の遺骨。それが大きなニュースになったのは2012年のこと。

しかも1人のイギリス人女性が『推し活』の情熱で遺骨を探し当てたと聞いて、さらに驚き!

私はリチャード3世の遺骨が発見されてイギリスで大騒ぎになってから、時々リチャード3世のことを考えていた。

調べてみるとなんだか面白い...!
私もすっかりリチャード3世にハマってしまった。

リチャード3世のイメージ

リチャード3世


リチャード3世(Richard III, 1452年10月2日 - 1485年8月22日)は、ヨーク朝最後のイングランド国王(在位:1483年 - 1485年)32歳没。

リチャード3世のイメージは、実は多くのイギリス人の中に明確にあった。イギリス人だからといって、歴史家でもないかぎり、すべての王様についてよく知っているというわけではないが、それでもリチャード3世についてはみんな、「ああ、あの!」と思い出すことができる存在なのだ。

その理由は、あの有名なイギリス人劇作家シェイクスピアが、『リチャード三世の悲劇』という劇を書いたから。

舞台役者にとってリチャード3世は、ハムレットに次いで演じがいのある役なのだそう。

シェイクスピアの書いたリチャード3世がどんなだったか、ポイントをまとめてみたい。

・王座につくために甥っ子二人をロンドン塔に閉じ込めて処刑した。

・背中は曲がり、不格好な歩き方をするので彼が歩くと犬まで吠えたてた。

・「どうせ嫌われるなら、とことん悪者になってやろう」と心に決めていた。

・戦の途中で負けそうになると、「馬を!馬をよこせ!代わりに我が王国をくれてやる!」と言い、自分だけ逃げようとした。けれど結局戦死した。


ディズニーヴィランもびっくりの、文句のつけようのない悪役ぶり。

とくに甥っ子二人をロンドン塔に閉じ込めて処刑、というのが衝撃的だ。その二人の少年たちをテーマにした絵画も残っている。

私の大好きなイギリス人画家、ジョン・エヴァレット・ミレイの絵がとくに素晴らしいのでご紹介。

この素晴らしい絵の出来のせいで、「なんて悪い王なんだ、リチャード3世は!」とより思われてしまうのは仕方がないだろう。

「こんな若くて美しい王子様たちを?!処刑?!」という感じである。

The Princes in the Tower

このジョン・エヴァレット・ミレイという画家は、ラファエル前派で『写実回帰』、『イギリス文学』を常にテーマにしていた。シェイクスピアの『ハムレット』から、『オフィーリア』を描いたことでも有名である。

この絵はロイヤルアカデミーからも高い評価を受けた。

ミレイの『オフィーリア』が好きで書いた記事


シェイクスピアの『リチャード三世の悲劇』劇中では、リチャード3世のさまざまな悪役ならではの名言が出てくる。「舞台で見たら面白そうだなあ」と本当に思う。

「おれか? ふん、おれはとんでもない醜男なのだ。だからこの世のお楽しみなど、あろうはずもない。」

「せめて人を見下し、仰がせ、足蹴にするためには、ほら、王様の冠を手に入れる夢を持つよりほかに、おれに楽園などあるものか。」

「生きる限りこの世は地獄、このみっともない体に栄誉を被るまではな。」

そして、

「馬を!馬をよこせ!代わりに我が王国をくれてやる!」

こうしてリチャード3世は、シェイクスピアの面白すぎる劇によってしっかりとした、(とても魅力的な)悪役のイメージがついたのだった。

『邪悪で残忍な王であり、いざとなったら逃げ出そうとする臆病者』

シンプルであり十分な、リチャード3世のこんなイメージ。

2012年に、レスターの駐車場の下から、彼の遺骨が見つかるまでは。

しかもそんなイメージは、実際のものとは違って、のちに植え付けられたものだったとは。

実際は善良だったとしても、権力を持った者がもう死んだ者のイメージを塗り替えることはできる。

勝者が歴史を作る。

歴史にはそんなことが多々あるのかもしれない。

バラ戦争🌹

リチャード3世のイメージを、どんなにクリエイティブではあるといえ、いち劇作家のシェイクスピアだけで変えることなんてできるのだろうか?

実はシェイクスピアが『リチャード3世』を書いたのは、リチャード3世の死後100年以上も経ってから。生きているそばからリアルタイムで書いていたわけではないのだ。

リチャード3世のイメージや評判を悪いものにしたのは、どうやら薔薇戦争と呼ばれる、ランカスター家とヨーク家の権力争いが原因らしい。

なぜ薔薇かというと、争っている同士のランカスター家の紋章が赤薔薇、ヨーク家は白薔薇で、どっちも薔薇だから薔薇戦争、なのである。

なんだか素敵だが、実際は血みどろの戦い。

薔薇戦争(ばらせんそう、英: Wars of the Roses)は、百年戦争終戦後に発生したイングランド中世封建諸侯による内乱であり、実状としては百年戦争の敗戦責任の押し付け合いが次代のイングランド王朝の執権争いへと発展したものと言える。 

また、フランスのノルマンディー公ギヨーム2世がイングランドを征服したノルマン・コンクエストの後、アンジュー帝国を築いたプランタジネット家の男系傍流であるランカスター家とヨーク家の、30年に及ぶ権力闘争でもある。最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くテューダー家のヘンリー7世が武力でヨーク家を倒し、ヨーク家のエリザベス王女と結婚してテューダー朝を開いた。

出典:Wikipedia

薔薇戦争はイギリスの内乱で、「次のイングランド王朝はどっちだ!」というテーマだ。

結局最後の決戦ボスワースの戦いで、ヘンリー7世(ランカスター)がリチャード3世を討った。

リチャード3世。のちに発見された遺骨からは、背中が曲がる脊椎側彎症で、全身11箇所も刺されていたことが分かっている。兜をかぶっていたにもかかわらず、脳を貫通するほどの致命傷も負っており、これは謎となっている。(兜をまず脱がされた?)

これは卑怯者どころか、最後まで勇敢に戦った可能性の高さを示している。

実は金髪青い目のイケメンだったという可能性も濃厚らしい。

対してヘンリー7世、今ではリチャード3世の肖像画と並んで紹介されたりして、物議を醸している。

なんといっても、今ではこの戦いでの勝者ヘンリー7世が、リチャード3世のイメージを変えて、悪くして後世に伝えた張本人ではないかと言われている。

薔薇戦争、ボスワースの戦いの後ヘンリー7世が王になり、テューダー朝が始まった。長い間権力争いをしていた仲の悪い家系同士、勝った者が死んだ者(負けた者)を貶めたというわけである。

今までのヨーク朝より新たなテューダー朝を正当化するためにも、リチャード3世を積極的に悪者にしたのだ。

リチャード3世の肖像画も、実際より醜く描き直されていたことが遺骨の調査により分かっている。

それも実は、ヘンリー7世のしわざ?

歴史は生き残った勝者が塗り替えるということか。

ヘンリー7世


「ヘンリー7世。そう言われてみれば、狡猾そうな顔だ」「この人がリチャード3世のイメージを悪者にしたんだ。実はヘンリー7世が悪者だったんじゃないの?」そんなことを言われている。

幽閉されていた王子たちがどうなったのか、その記述はほとんどない。

「実はヘンリー7世が王子たちを殺したのではないか」そう言う歴史家もいるらしい。これはまた次の機会によく調べたい...!

ただヘンリー7世が知恵のある人物だったということは確かだろう。

シェイクスピアが参考にしたリチャード3世に関する本を書いたトマス・モアという人物。そしてリチャード3世の劇を書いたシェイクスピア。

2人ともテューダー朝の人間だ。

すでに終わったヨーク朝を悪く言えば、テューダーの人間に喜ばれただろう、と言われている。

主婦の推し活!?なんとリチャード3世を掘り当てる

「歴史が趣味というイギリス人女性(子育て中の主婦)が、リチャード3世の骨を探し当てた!」というにわかには信じられないニュースが飛び込んできた。

この遺骨はDNA鑑定により、リチャード3世のものだと断定された。

フィリッパ・ラングリーさんという女性でリチャード3世を推す会『リチャード3世協会』に入っている人だとか。具体的には、「リチャード3世は本当は悪い王じゃない。善良な王だ」という主張の団体だそう。

Philippa Langleyさん
遺骨の頭蓋骨から復元されたリチャード3世、実はイケメンだった!

2012年のことである。

 当初、王の遺体はレスターにあった修道院の敷地内のグレイフライアーズ教会に葬られた。ところが、1530年代にヘンリー8世が修道院を閉鎖し、教会を解体した際に、遺骨は墓から持ち出されて近くの川に投げ込まれたのだろうと、長らく考えられていた。

 数百年の間、リチャード3世は主にシェイクスピアの悲劇に描かれているような残忍な王だったと考えられてきた。しかし、王を敬愛する歴史マニアたちによって結成された「リチャード3世協会」は、その悪いイメージを払拭し、王の名誉を回復しようとしている。彼らは自らを「リカーディアン」と呼び、王の埋葬場所を見つけるために活動していた。

出典:Wikipedia

もちろん主婦が一人で遺骨を掘り出すわけにはいかないので、さまざまな専門家の助け、レスター大学の考古学チームと共同で、「ソア川に投げ捨てられた」とされていたリチャード3世の遺骨を「見事掘り当てた」のである。

全世界のリチャード3世協会の会員から、クラウドファンディングでたくさんの寄付もあったという。本当にいろんな協会が世界にはあるなあ...。それも大きな資金源になったそうだ。

さらに驚くことに、フィリッパさんは、実際に掘り当てたレスターの駐車場の上に立った時、「確かな感覚」があったのだそう。

 「きっとここに彼は眠っている」

霊媒師も顔負けの、すごい能力...!

それはリチャード3世のことが大好きな、女性ならではの『勘』みたいなものだったのではないだろうか。

「信じる者は救われる」

というような。

しかもリチャード3世が埋まっていた場所には、Rという文字が書かれていたという。

このR、リチャードのRではなく(当たり前)、Reserved(予約済み)という意味なのだが、偶然にも程がある。

リチャード3世の遺骨は530年もの長い間レスターの地に、現在の駐車場の下に眠っていた。

掘り起こされた後、改めてレスター大聖堂にきちんと再埋葬されることになった。

なんでもない駐車場の下にイギリス王がずっと眠っていたなんて、びっくりである。

そんな信じられないようなストーリーが背景にあったということで、面白い映画も作られた。多少変更したり、大げさにしているところもあるだろうが、実話に基づいたストーリーだ。

ロスト・キング 500年越しの運命

とても面白い映画だった!フィリッパさんの功績を横取りするレスター大学の人がとても嫌だが、これには脚色もあったらしい。というか、「盛りすぎ」「悪く描写しすぎ」とかで制作側と大学で今も揉めているとか。

映画としてはとても面白いので、おすすめ!


リチャード3世のおかげ!?プレミアリーグ最下位のレスターシティが大躍進で優勝!

リチャード3世の遺骨が掘り起こされ、ニュースになり、イギリスがざわついていた時、私はちょうどブライトンでイギリス留学をしていた。

レスター出身の夫と出会い、結婚して子供が生まれる前の2016年、驚くべきことがあった。

その頃サッカープレミアリーグのレスターシティは、ほぼ最下位のスタートだったのに、どんどん勝ち点を上げていた。

「ちょっとちょっと、このままじゃ優勝するんじゃないの?」という勢いは、レスターファンでなくても思い始めていた。サッカーファンの間では「どうしちゃったの?レスター」とざわついていた。

夫は生まれも育ちもレスター。当時サセックス州に住みながらも、いつでもレスターの試合結果をチェックしていた。

そして、シーズンが始まる前に2ポンドだけ、賭けていた...。(イギリスでは一般的なブックメーカーで、ほぼただの習慣だったらしい)

夫がつぶやいた。
「レスターシティのオッズ、5000倍だ」

「てことは?」

「つまりこのままレスターが優勝すれば、僕の2ポンドは10000ポンドになるってことだよ」

結局レスターは優勝し、そこには日本人選手岡崎慎司選手も入っていてチームに貢献した。日本人としてとても誇らしい。

夫は10000ポンドを手にした。

シーズン開始時点では、レスターが優勝するとは誰も思っていなかった。賭けたのはレスターファンだけだ。レスター出身や在住の人がほとんど。

夫は2ポンドしか賭けていなかったので、嬉しいボーナスみたいな額だが、もっと賭けていた人は人生が変わったり、借金が返せたり、夢が叶ったりしたそうだ。


「まさに神がかった快進撃...というか本当に神の仕業じゃないか?」

そんなことを誰ともなく言い始めた。

「これはリチャード3世の仕業だ!最近遺骨をちゃんとレスター大聖堂に埋葬したから!」

イギリス中がまたリチャード3世のことで騒ぎ始めた。

レスターシティが優勝したのは、遺骨を発見し、大聖堂に再埋葬してくれたことへのお礼ではないか?

そんなことが本気で言われるようになった。

最初こそみんな笑いながら「まさか〜!」と言っていたのが、「いやいや、これはマジかも」と真顔になっていったのである。

レスターの本屋だけでなく全国の本屋に、お馴染みのリチャード3世がレスターシティのユニフォームを着たカバーの本が出回った。

レスター快進撃についての本だ。
スポンサーのKING POWERのユニフォームをリチャード3世が着ている。

サッカーファンは首をひねりつつも、「リチャード3世のせいかもしれない」と次第に信じ始めた。

これまた不思議な出来事だった。


フィリッパさんのインタビューによると、リチャード3世が32歳で亡くなる前までに国王としてやり遂げたことを挙げてみると、他の王と比べても非常に有能だったという。

映画の中では、「印刷が悪とされる時代にリチャード3世は印刷を推奨した。けれど皮肉にもそれ(シェイクスピアの本)が自身の悪評を広めることにもつながった」というセリフもあった。

「リチャード3世は本当は良い人だった。」

そんな説がイギリスで今では信じられるようになってきている。けれどほんの最近のこと。長い間、リチャード3世は悪い王だったと、信じられてきた。(なんといってもシェイクスピアの悪役リチャード3世は魅力的だ)

リチャード3世は汚名を晴らしてくれたフィリッパさんと、再埋葬に奔走してくれたレスターの人や地に感謝しているだろう。絶対に。


レスターシティ優勝は、それはそれであったとしても。

信じるものは救われる。何であっても自分の信じた道を進むのは、素晴らしことだと思った。

リチャード3世の遺骨を発見したフィリッパさんは現在、『消えた王子たちを探すプロジェクト』(The Missing Princes Project)を立ち上げているという。さらなるリチャード3世の汚名返上も期待できるかもしれない。

リチャード3世について、これからも面白い事実やニュースを追いかけていきたい。

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