人と人の繋がりが怖くなった話とひとりになった経緯

私はいじめ事件が形だけ解決してからも、以前の自分には戻れずにいた。表層では普通に生きられているように思えても、精神的には別人のように脆く、とりわけ人付き合いに極端に臆病になっていた。
兆候はいじめの渦中にいる時から既にあった。
思い出すのは、まだいじめが表面化していない頃に木管楽器のセッションをすることになって、有志のメンバーで集まった時のこと。私はまず最初の日にこの子達とはやっぱり合わないなと感じた。いつもの仲良しメンバーとは会話のテンポがまるで違うのだ。
昔から合わないと思う人は私の周りに数多くいた。いやむしろ、昔のほうが多かったか。私はどうやら精神年齢が高めの子どもだったらしく、同じように早熟な子でないと話していてつらかった。
それでも以前ならば、合わないけど少し我慢してよう、ここには長居しないようにしようで済んでいた。でもこの時は、なぜだか逃げられないような閉塞感を覚え、感じたことないような“恐怖感”がぶわっと全身に広がった。
実はそのセッションの中のひとりが私をいじめていたグループの加害者側に居た子で、その子自身はむかし加害者になった時のわたしのように、いじめている自覚が全くなかったそうだ。信じられないほどおっとりした子で意地悪な首謀者メンバーに知らず取り込まれてしまったのはわかるが(当時はそんなことってある?責任回避?と憤慨したが)、私は彼女がそのグループにいて周りのメンバーから物凄く愛されている様子なことに言いようのない恐怖を感じた。
私をいじめている側の子を愛しているということは、すなわちこのセッショングループそのものが《私の敵》なのだと判断し、ただでさえ波長の合わないひとりひとりのメンバーが理解不能の生き物に思えた。
私が、他人を自分にとって利益をもたらす人か害をなす人か瞬時に頭を巡らすのが癖になったのはこの頃からだった。防衛反応だったと思う。
そして負の側面については驚異的なスピードでループは起こるもので……。
いじめ問題が解決した次の年のクラス替えで私は同じ恐怖を感じることとなった。

私は今でこそ一人であることに何の抵抗もない(むしろ積極的に一人になりたい)が、高校生くらいまでは他人と一緒じゃなきゃ不安で仕方がないタイプの人間だった。誰とでも仲良くできるほど善人ではなくつるむ人間はちゃんと選んではいたものの、友だちに困った経験がない。
いま突然記憶の扉が開いたが、私たち家族はどの地域でも愛されていたと思う。私の幼少期の謎の自信と慢心の源は、この愛されたという体験だった。うまくやれた記憶、自分が認めた関わりたい人たちとうまくやれてきた確信。いまだに懐かしいような温かい気持ちになる。
たまに私って本来は社交的で人と積極的に関わりたい人間なのかもしれないと思うことがある。いろんなしがらみの記憶が邪魔してなかなか実現できてこなかったが、クリーニングを進めていけば私の周りには再び人が集まってくるかもしれない。

話が逸れたが、私はいつも友だちと居た。しかし新しい3年生のクラスでは友だちがひとりも作れなさそうで、クラス割の表を見て愕然とする思いだった。いつもの仲良しメンバーは誰もいないし、他の女の子たちも既にグループができてる又はできそうな人たちばかり、入れなさそうな人ばかりだ。私はその時、クラス表を見ただけで自分の敵側と味方側を瞬時に振り分けて……この人はあの子と繋がっているから信用できない、この人とこの人は私を良く思ってはくれない、この人とこの人は仲良しだから私の入る隙はなさそう……などと判断していた。悲しいことにこの人間模様の考察は実に精度が高く、本当に1年間おおむね予想した通りの人間関係が出来上がっていった。私の元々あった人間の心理を読む力。転勤を重ねて培った人間模様の観察力が悪い方向に発揮されたのだ。いきすぎた防衛本能が頭をフル回転させ、浮かび上がった現実に震えるような恐怖感が立ちのぼる。ひとしきり親に無理だ嫌だと喚き散らし、自分をなだめること何時間か。もう決定したのだからもうどうにもならないと悟ると私は静かに、“ひとりでいよう”と決意をした。誰とも仲良くしなくていいと。その孤独な決断には今振り返ってもなにか哀愁ただよう……今までの輝かしい人生に背を向けて、戦地に行くような侘しさがあった。
大人になって振り返るとたかが1年のクラス替えにどこまで絶望してるんだよと突っ込みたくなるが、この時の私には世界を揺るがす一大事だったのだ。それに1年って案外長い。私は今年初めから2ヶ月毎に仕事先を変えていて、それでも馴染めないところが多くて2週間とかになって、ついには日雇いをはじめている。(これもループ?)
嫌な場所には1日だって居たくないものなのに、昔の私はよく我慢したなぁと思う。不登校にならなかったのが不思議だ。

クラス替えの話に戻すと、結果的には新しいクラスで常にひとりというわけではなくたまに話せる友だちができたのだが、その子の存在を含めて自分の境遇に納得できたのは卒業間近だったのかもしれない。

ひとりでいることが異端で恥ずかしいことだと思っていた私は、毎日縮こまって消えてなくなりたいほど惨めだった。いじめで自己を責め、どん底まで落ちたと思ったらまだ下があったわけだ。自己肯定感は果てしなく下がっていった。

せっかく受験に成功して入った高校でも私の自信は戻らず、他人の関係性を知るのが怖いままだった。人と人が集まっていることがそれだけでもう不安なような、脅威のような、もはや憧れのような、複雑な気持ち。
たしか最初は頑張ろうと思っていた。その証拠にあろうことかまた吹奏楽部に入りかけていた。つらい思い出をやり直そうかと思ったのだけど、やっぱり無理だった。
キラキラした部活はどこも門戸を叩けなかった。私は漫研に入って、ほとんど幽霊部員として過ごした。行き帰りはひとりで(最初は一緒に行ってくれる子がいたが私が遠ざけてしまった)、通学路の道がなんとも寂しくて、ある日の帰り道に夕陽をみただけで涙が止まらなくなった。
“どうしてこうなってしまったのだろう”

そんな感じで高校のほとんどは暗く憂鬱な日々を送った。
中学での強烈な体験をクリーニングしていなかったから立ち直れなかったし、すぐに負のループがきたのだと思う。

今思い出したが、高校でも3年時のクラス替えが地獄だった!これ以上ないほどの厳しい人選!これほど見事なループはあるのか、もはや芸術の域だと思う。

さて、今回のクリーニングのポイントは考えるまでもなく、当時クリーニングを怠ったということだ。
クリーニングという言葉や方法は当然知らなくとも、身内や友だち以外の場所に助けを求めたりカウンセリングを受けたりして、少しでも心を掬い上げようとしなかった私。悲しい、寂しいという強烈な気持ちをただ感じるままに、自己を傷つけてきた。ウニヒピリを顧みなかった。(そのツケは向精神薬を飲まされる結果に結びついたんだけどまた今度)
また、一人でいることは別に悪いことではないし恥ずかしい行為でもなかった。それは学校という特殊な空間から醸成される奇妙な風習であり当然絶対的なものではない。他人と一緒にいる自由もあればいない自由もある、そんな当たり前の事にも気付けなかった未熟な私が居た。若かったから仕方がないことでもあるが、視野を広く持っていなかった私の責任である。
(ちなみに中3唯一の友だちは、この点に気づけてるレベルの高い女性だった。一人でも全然平気だし、喋りたくなったら男女問わず誰にでも話しかけられるしでツワモノすぎた)
ついでに、合わない人がいることも悪いことではないけど、どうして合わないと感じるのか、どうして一緒に居たくないかをクリーニングすることは必要。
最後に、他人は私に危害を加えるために生きているのではないこと。もしそういう人が居たとしたら自分の被害妄想の責任である。結局クリーニングできているかいないか。いじめという消せない事実とどう向き合って、いかに心のケアをしてきたか。

《そんなこと考えれないほどいっぱいいっぱいだったんだよ》といま急に私のウニヒピリが庇ってくれたような気がする。そうだ、いつも私の潜在意識の女の子は私に寄り添おうとしてくれてたはずだ。私が目を向けようとしなかっただけで。

4つのキーワード
【ごめんなさい】
【許してね】
【ありがとう】
【愛してます】

この体験はいまの私を作った大切な要素ですが、これからもっと自分らしく軽やかに生きていくために手放します。

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