就労支援施設でのこと
近所に安く飲食を提供しているカフェがある。心身に障害があったり不安があったりして一般的な企業では働くのが難しい人たちが就労訓練として活躍しているカフェらしい。営利目的ではないから安く、しかも飲食のクオリティが高くて連日大変賑わっている。
私は先日そこでコーヒーを飲みながらホ・オポノポノの本を読んでいた。――と、常連の子どもに向かって話すスタッフの声色に何か引っかかるものを感じて、読んでいた本から顔を上げた。
言葉がきつかったり冷たく対応したりしていたわけではない。むしろ逆で、子どもの一挙手一投足を褒めるくらいの大げさなほどの歓待ぶりだった。その事自体は良いのだが、店内中に響き渡る大声がなにか引っかかる。どうしてだろうと私は自分を訝しみ、少し自己嫌悪に陥りながら本に目を戻した。
しばらくして、スタッフが数人居るカウンターの方からさっき子どもに声を張り上げていたスタッフの、今度は不機嫌な声が聞こえた。
どうやら彼女は就労訓練中の男女を取りまとめる立場らしい。「〇〇さん、こっち!」とちょっとドキッとするほど威圧的な口調でスタッフの一人を呼んでいるのを聞いて、さっきの違和感の正体がわかった気がした。この人はこういう人かと。
もちろん些細な一場面だけ切り取って、部外者がすべてを判断することはできないが、閉店前にまだ客が居るにも関わらずスタッフの休憩時間に関して大きく悪態をついているのを聞くにつけて、このカフェのどことない息苦しさの理由がすっかり理解できた気がした。あんなふうに態度を豹変させられ言葉で支配されたら、働くスタッフはますます不安になり萎縮してしまうだろう。この場所の役割としては本末転倒ではないか。
とはいえ、責任者の彼女とて一人の人間だ。責任者として指導者として完璧ではないのは当然で、未熟な人間が他の未熟な人間を指導しなければならないのがこの社会の常だ。たとえ就労支援を行っている機関だからといって誰もが親しみやすいわけでもなく、自分に合う環境が用意されているわけもない。
そういえば、と過去の私にも記憶があった。大学4年の時、同じような就労訓練を受けたことがあるのだ。
体調の悪さがもうどうにもならなくなる一歩手前で就活がうまくいかなかった4年の夏だったか。私は地元にある若者就労施設の戸を叩いた。なんらかの心的要因で一般的な就労が難しい若者が相談できたり、ワークショップに参加できたりする空間だ。
スペースはそんなに広くなく、いくつかブースがあって、小学6年のときに通っていた個別指導塾のようだと思った。
そこで具体的にどんな相談をしたのか、何回くらい訪れたのかあまり覚えていないが、数回ボイストレーニングの講座を受けた覚えがある。それから1回だけ就労訓練の実習に参加した。たしか、屋外で行う樹木伐採の片付けや個人宅の引っ越しの片付けだった。体力的にも厳しい仕事だし就業場所の体質・人柄的にもあまり私には合わないなぁと思った記憶がある。担当者にもそう伝えた。そうしたら別の場所での手伝いを提案された。
そこは電車で5駅くらいの系列の施設で、地元の施設よりも広く『行き場のない若者の集う溜まり場』の性質が強かった。中に入ると正面にカウンターがあり、奥に本や漫画のスペース。手前に大きな机。脇の机にはミシンが置いてあり何か製作している女性たちが居た。日によってメンバーは違ったが、大体5,6人は常に居たか。
おとなしい人ばかりと思いきや、意外とよく喋る子が多くて、あまりにたくさん話しかけられてしまい対応に困ることもあるくらいだった。個性は強めだったが、明らかに様子のおかしい感じの人はほとんどおらず、普通の人たちだった。でもみんなどこか心に暗闇を抱えているのは間違いなくて、その一端を垣間見るたびに私は小さな衝撃を受け続けていた。世の中には私の知らない世界があった。“普通”と言われるレールから外れざるを得なかった存在がいて、それでも必死で自分の居場所を探し、自分と折り合いをつけながら生きている。
それは、私も同じのはずだ。だからここに流れ着いたのだ。でも私はなかなか、その場所に居る自分という衝撃から抜けられず、ついに最後まで馴染み切ることができなかった。安心感と不安な気持ちが行ったり来たりだった、このへんの感情には様々な要因がある気がするので後述する。
その施設には併設されたカフェがあり、私は就労訓練として、その運営の手伝いをするために来たのだった。カフェでの活動というと和やかで楽しい印象があると思う。でも、私がうっすら覚えている印象はつらいものだった。つらかったからか、本当にうっすらしか覚えていない。
店内の清掃やクッキー作りといった活動自体は全く問題なかった。ただ、指導者と全く合わなかったのだ。30歳くらいの女性だったと思う。冒頭に私が目撃した女性のように、きつい性格とかパワハラ体質というわけではなかったが、なんとなく性格が合わず、やり方が合わなかった。私には、ひとつひとつがどうも非合理的に見えたのかもしれない。
営利目的ではない場所に対して、私は効率やサービス品質を求めてしまっていたようだ。あんまり覚えていないが、とにかく楽しくなく、体力が消費されただけの活動だった。
それよりはやはり、みんなの溜まり場に居る方が楽しかった。
これを書くまで忘れてしまっていたのだが、溜まり場で2人の素敵な女性と知り合った。私と最初に対面するなり『可愛い!』と言ってくれてたくさん話してくれた。その2人もとても可愛くて(特に一人はモデルのように手足が長くてメガネが美しさを際立てていてとてもタイプだった笑。もう一人も絶対に気が合う活発で好きな顔をしていた)一見すると、生きづらさを抱えた若者の施設に来る必要があるようには思えない。しかし事情を聞いたら家庭の事情でままならないものを抱えていて、円満な家庭で育った私には理解できないほどの闇だった。それでも表面的には明るく、私は彼女たちがいるからとっても楽しかった。あともう一人『ジョジョはあらゆるネタの元になっているから読んだほうがいい』と熱心に漫画を薦めてくれた、とてもかっこいい男の子が居たのを妙に鮮明に覚えている(笑)みんなあまりにも普通の人間だった。悩みながら今を生きている人間だった。
私はその場所に大いに勇気をもらいながらも、しかし、やるべきことは他にあるように感じていた。
私の懸念事項はあくまで体調が良くないことで、みんなみたいに精神的につらいわけではない。だからここに居る意味はあまりないと感じたのだ。
今思えば半分正解で半分間違っている。体調が悪かったのは確かで解決しなければならないことだったが、もとは心の問題が発端だった。浄化できたわけでなく忘れていただけなのに、もう終わったことだと切り離していた。
そして、ここも捻じくれた問題なのだが……その施設から離れようと思ったのは、一人になりたかったからかもしれない。他人と居ることの精神的ストレスをクリーニングしないままここまできてしまったから、結局は人といることがつらくなった。それを体調と向き合いたいというもっともらしい理由をつけて(嘘はついていないのだが)、離脱したのだ。
大学を卒業する頃には地元の就労支援施設にも溜まり場にも行かなくなっていた。そのことに後悔はないものの、さまざまな認識の誤りがあったと振り返り、反省する。なんとなく人生の中の特異点として置き去りにしてしまっていたが、私を構成する大切な要素だし、思い出すと面白いことがたくさんあったと温かい気持ちになる。
なにより、あんなに好きになった女の子たちをすっかり忘れてしまっていたことが自分で衝撃だった。いま、彼女たちは元気にしているだろうか。
そういえば、その2人の女の子についても今年ループがきたなと思い出した。今年はじめに住み込みの仕事をしに行った和歌山県の某所で出会って仲良くなった2人の女の子が、すごく大雑把になんとなく、彼女らに似ている気がする。波動が同じって感じ。
私は要所要所でとても良い出会いをしている。そのことをウニヒピリに感謝する。【ありがとう】。就労支援施設に行っていたことは人生の汚点ではない。停滞ではない。ほんの少しだけそんな濁った気持ちを持ってしまっていた気持ちを【ごめんなさい】と懺悔する。出会った人達がいま、前向きに自分の人生を生きられている世界線を自分の中に作り上げることで償いとする。祈り。
私の中の小さな女の子がよく思い出したねってニヤリとした気がした。
蛇足として冒頭の話に戻るが、就労支援って言ったってその性格はその時々によって違うし、みんながみんな100%善意の気持ちだけでいるわけでもない。精神疾患といっても千差万別で他人に良い影響を及ぼす人もいれば周りの人を困らせてばかりの人もいる。現代風に言えば『ガチャ』要素が強くて、それはどこの職場や環境にも言えることだ。私は日雇いで色んなところに行ってるが、この前過ごしやすかった職場が、たった一人文句ばかり言う人がシフトで入っただけで窮屈な雰囲気になったりする。
どうしたらいいのだろうかと考えたときに、やはりホ・オポノポノなのかなと思う。
やりづらい、接しづらい環境があったとして、それを自分の問題と考えて、自分が見せているものだと考えてクリーニングのきっかけとする。
冒頭の件も、結局は私に就労施設で過ごしたときのことを思い出させクリーニングのきっかけとしてくれた。
周りの現実は自分が作っていると思うだけで醜い他責思考が減り、問題解決がしやすくなるのではないか。
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