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『勝てば官軍』

『勝てば官軍』




ある年、この言葉を一年の目標と掲げた時期があった。


(私は毎年テーマを年始に決めて年末に見返します。)



何もかも否定し続けてきたから、


何もかもを否定しない為に掲げた。


一年間、徹底した。




ふと頭に響く言葉。


ふと聞こえる声。


ふと視えてくる文字。


ふと浮かんでくる映像。



“必要”だから、降りてくるんだと。




“本当”


に聞こえれば、視えれば、それは


“ある”


ものになる。





“本当”


とは、何だろうか。


これこそ、勝てば官軍である。



これを活かせれば官軍だと言い聞かせた。





相手を負かすのではなく、負けないという事。


魅せるしかない。




今思えば、とにかく私は否定される事が怖かった。


自分で自分を否定している上に、更に誰から否定されれば立ち上がれない。




何か言われる事が怖いなら、黙らせればいい。


そう誓った。


視えてきたり、聞こえてくる事以外に、


心理学も勉強した。


体と心の関係。


スピリチュアル。


幅広く目を通した。




『勝てば官軍。』




心の細い糸をキリキリに巻いて、折れないようにした。



生活の中にも徹底させた。

  




『活かせたら官軍になれる。』






自分には理解出来ない事でも、誰かの“大切かもしれないものは”




否定はしない。



その思考や、その思念、その無意識な行動や原因を共に考える。




  

人は、誰か一人でも“味方”がいると思えば、立ち上がれる。




結局生きていく世界で必要なのは人間力で、


正しさより、優しさだし、


真面目さより、楽しさだし、


正論を振りかざすよりも、寄り添う力。


正義というものは存在せず、相手と自分との間を取る事が平和への道筋である。




相手に求めてしまっていたものにも目を向けた。




人と違う能力があるよりも、自分の機嫌を自分で取れる人のほうが圧倒的に優れている。



どの力を使って、官軍になろうか。




何になって、生きやすく生きようか。





誰かが立てなくなっていた時、


言葉は正しくないかもしれないが、


“官軍”になる方法を共に考える。


どうすれば勝たせる事ができるのか。






しかし…。



ある時、気付いた。






実際、周りの人は優しかった。


周りの人の方が、私を受け入れてくれた。


周りの人の方が、面白がってくれた。



誰も私を攻撃などしなかった。




私は何と戦っていたのだろう…。




その当時は、自分を奮い立たせる為に強い言葉を使いました。






しかし、それは結果損失回避バイアスがかかり、後々精神的によくない方向にまでいってしまったので今はやめました。(結構深刻だった。やばかった。/笑)



頑張ってきた。


けど、それは頑なに張っていた。




今の私から見れば可哀想になるくらい痛々しい自分自身だが、その通過点は無駄じゃない。


頑なに張り続けてきたから、


今は緩める事ができている。


ある意味、バネのように。




死ぬ程後悔した事があるなら、チャレンジしてみたらいい。




痛々しい途中経過も、過ぎれば愛しく思います。



どんな方法でも、どんな思考でもいい。




誰かを傷つけているわけではないなら…。





貴方にとって“生きやすい”…


“息”のしやすい世界になりますように。











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