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人生観を大きく変えた経験
2021年8月から宣伝会議主催の「編集ライター養成講座43期」に参加しています。
その講座の文章力の授業で、課題として提出した「家族や親友の辛かった経験のインタビュー」記事をご紹介します。
実際は1,200文字以内に凝縮して提出しましたが、ここではロングバージョン(先生のアドバイスをもとに再度加筆、修正済み)を公開します。
では以下。
※画像はすべてイメージです。
「死んだ方が楽だと感じた経験」
「正直、死ぬ方が簡単だった」
そう話す彼女の真剣な目を見ていると、それは誇張ではなく、本心だと分かった。こんな言葉は軽々しく口にできるものではない。彼女にとって、それほど辛く苦しい出産経験になってしまったという。
モチコさん(仮名)と私は、5年前にメンタルヘルスの講座を半年間受講した同期生。講座修了後もお茶会を開くなどして、定期的に話をする親友である。
アラフォー世代の彼女は、不妊治療を経て妊娠をし、2020年7月に初出産を控えていた。私達同期の仲間も6月にベイビーシャワーでお祝いをして、出産を待ち侘びていた。しかし、7月末に「もうすぐ生まれる」というメッセージが来た後、ピタっと連絡が途絶えてしまった。
私は9月になってようやく、彼女が出産時に重篤な症状になり、入院・リハビリ生活を送っていたことを知った。今回、彼女の出産時の体験を改めてインタビューした。
数万人に1人の重篤な症状
彼女は出産予定の7月末になっても一向に陣痛が始まらず「このままでは赤ちゃんの命が危ない」と医師に判断され、緊急の帝王切開となった。その後、赤ちゃんは無事に生まれたものの、母体の出血が止まらない事態に。
子宮型羊水塞栓症(ようすいそくせんしょう)という数万人に1人の確率で起こり、80%以上の母体(妊婦)が死亡してしまう重篤な症状だった。出血が止まらずに、意識を失った彼女は、急遽大学付属の総合病院へ移された。4リットル以上の輸血が行われ、なんとか命は取り留めたものの、約2週間を集中治療室で過ごすこととなった。
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12時間後に目覚めた後の世界は、彼女にとっては地獄のようだった。体は少し動くだけで痛みが走り、寝返りを打つこともできないほどだった。最も心配された脳への障害は免れたものの、彼女は腎臓に障害を負ってしまった。
「このまま毎日数時間、人工透析を受けながら家族と過ごしていく」想像しただけでも辛過ぎる生活で、このとき彼女は絶望感に打ちひしがれたのだった。
彼女が「正直、死ぬ方が簡単だった」というのはこの時期のこと。眠るように意識がなくなり、そのまま苦しまずに死んでしまった方が楽だったと心の底から思っていた。
このご時世で家族とも面会ができず、身体だけでなく、精神的に味わった孤独な苦痛は、相当なものだったに違いない。私は少し想像するだけで恐ろしくなった。
苦しいリハビリ生活
「私は何の罪を償っているのだろう」と自分の不運を嘆いたこともあった。
「私がもっと頑張って早く産んでいれば、こんなことにはならなかったのではないか」と自分を責めたこともあった。
毎日ネガティブなことしか考えられなかった。その頃の唯一の救いといえば、夫が毎日病院に通って、別の病院にいる可愛い娘の写真と手紙を届けてくれたこと。手紙に書かれた「生きてほしい。元気になったらまた当たり前の日常を大切に生きよう」という励ましが、弱り果てた彼女の支えになった。
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最初のリハビリは「ベッドから起き上がり、側にある車椅子に腰をかける」ことだった。彼女は最初、それすらも看護師の助けがないとできない状態だった。今まで普通にできていたことが信じられないほど、全身が鉛のように重く感じたそうだ。
心が強くて周りにいつも優しい彼女は看護師に「一番辛い時でも、いつも笑ってた」と言われたそうだ。
そんな彼女が、唯一泣いてしまったことがある。それは集中治療室から、一般病棟に移り、リハビリ生活を続けていたときのこと。リハビリによる回復がこれ以上見込めないと判断した医師から「リハビリを中止する」と告げられたのだ。
リハビリを頑張って、体を回復させて、夫と生まれた娘に会うことが唯一の希望だった彼女にとっては、この宣告はとてもショックだった。そのときに彼女は、張り詰めていたものが溢れて号泣してしまったのだ。
モチコさんはそれから約1ヶ月後、9月になってようやく退院することができた。
壮絶な経験から1年後
生死をさまよった出産から1年が過ぎた現在、腎臓の障害も回復して、彼女はほぼ健康な状態に戻ることができた。生まれた娘も、母親を励ますかのように、今はとても元気にスクスクと育っている。
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彼女は1年前を振り返り、人生観の変化を感じていた。今となっては、あの絶望の日々も「通らなくてはいけなかった道だった」と思えるまでになった。あの辛い経験があればこそ、家族の絆が深まったのだと。夫も「仕事人間だった自分の人生の優先順位が変わった」と話しているそうだ。
人生観の一番の変化は「死ぬことがリアルになった」ことだとモチコさんは言う。回復して健康になった今も、「人間、いつ死ぬかなんて分からない」とよく思うそうだ。
「死ぬことは意識がこの世から消えていくだけ」と感じた彼女は、自分が死ぬこと自体よりも、自分が死ぬことで周りを悲しませることの方が怖いと感じるようになった。
それは、入院していた時に両親や姉妹が「精神が病みそうになった」というくらい、心配をかけたことを知ったからだ。夫も「もう2度とあんな経験はしたくない」と話しているそうだ。彼女は自分が死ぬことが、どれほど周りの人たちを悲しませ、苦しめることなのかを痛感したのだ。
それまで、底抜けに明るい性格だった彼女は、この壮絶な経験をしてからは、包み隠さず暗い面もみせるようになった。発する言葉にいっそう重みが感じられるようになった。
彼女は以前、自己啓発に励み、カウンセリングやセミナーを開催していた。現在はそうした活動は控え、「今はこの娘を育てることに集中したい」と語る。
「周りに救われた、生かされた命」であることに心から感謝し、1日1日を噛み締めるように大切に生きている。
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笑って生きる
今、子育てに追われている彼女は「育児を辛く感じたり、イライラすることがない」と話す。娘を授かったことや家族と日常を過ごせることがとても有り難く、楽しいことしかないそうだ。
彼女は今回の経験を伝えるために、新たにブログを立ち上げた。タイトルは「それでも笑えば福来る」
以前から得意だったイラストを使った漫画形式で、自身の体験を踏まえて、分かりやすく、笑って生きる心がけの大切さを伝えている。
世のママさんたちの育児ブログを見ていると、夫への悪口をこぼしていることが多いという。「否定的な考え方ばかりをして、自ら不幸を招いている」と感じるそうだ。昔の自分もそうだったからこそ、しくじって学んだことを伝えたい思いが強くなった。
臨死体験をした彼女の言葉だからこそ、伝わるものがある。改めて「普通に過ごせている幸せ」を感じるきっかけになる。健康に何事もなく生活していることが、どれだけ貴重なことか気づかされる。
彼女は数万人に1人の確率で起こる稀な症状を体験した。しかし、出産に関連する疾患は身の回りでもよく起こることで、決して他人事とは言えない話だ。
どんな事柄にもポジティブな面もあれば、ネガティブな面もある。想定外の辛い経験をして、それでも笑って生きているモチコさんを、私はこれからも応援していきたい。
もちこさんのアメブロ「それでも笑えば福来る♫」はこちら
最後までお読みいただき、ありがとうございました。