台風の子
台風一過の朝の空を、子どもたちと物干しの露台に上がって仰いだのでした。
雲ひとつない青空でした。
梅雨の入りもまだ聞かれないうちの、早すぎる野分でした。風がまだ尾を引いて、爽やかさを通り越してなんだか肌寒いくらいのものだった。
ひと月ほど前に母屋を延長して庭に増築した洗濯室については、素人仕事とは思えないその出来栄えを自他ともに称賛してご満悦だったのが、日を跨いでから雨風はいよいよ強くなり、とうとう自慢の室のかしこで水が漏りはじめたのでした。
で、決死の覚悟で玄関を飛び出すと、物置から畳んだブルーシートを抱え持ち、物干し台にのぼってそこから鉄柵跨いで瓦屋根に降り立ち、何度も風に押され雨に足を取られしながらなんとか洗濯室の上まで伝って安普請のトタン屋根を覆ったのでした。それだけではシートを風に持っていかれるので、また物置に戻って何年と触っていないダンベルを引っ張り出してはこれを重石とすべく、平地と屋根とを都合三往復するに至った。着衣のまま潜水したような濡れ方になったのはいうまでもありません。
結局雨漏りは、小康こそすれ完全に止むことはなく、嵐の音よりそちらが気になって、ついにわたくしは眠りを逸したのでした。
快晴の空に見惚れていた四人の視線は、やがて瓦屋根の緩勾配に落ちて、縦横無尽に走り始めたものでした。
「なにかいたよね!」
頓狂な声を出したのは幼稚園児の下の娘で、それを受けて小学生の長男長女も同意して鉄柵の上に身を乗り出した。
「いたいた」
「猫かな」
かくいうわたくしもなにやら気配を感じたもので、瓦の一枚いちまいに目を凝らしていきました。ひょっとすると瓦の隙間にちろちろと油蝙蝠の出入りするかもわからない、そう思ったのです。
「あれ見て!」
今度もまた一番下の娘でした。彼女の、縦格子のあいだに腕を差し入れて指差すほう、ちょうど屋根のてっぺんの稜線のきわに、モヤモヤとした、あれはなんと形容したらいいのか、陽炎の立つような、そこばかり空気の密度が周囲と違って見える大人の拳大のひと塊が、見え隠れしているのでした。わたくしなんか、白昼の幽霊、と口ごもったきり、視線はそれに釘付けになった。おそらくは子どもたちもそうでしたでしょう。ところがなにを思ったか、次女は腕を向こうへ伸ばしたままその場にしゃがみ込んで、それこそ猫かなにかの小動物であるかのように、それに向かって呼びかけ始めたのでした。
「おいで、おいで、こわくない、こわくないよ」
するとそのモヤモヤは、下の娘の呼びかけに呼応するかのように屋根の稜線に凝ってこちらをしばらくうかがうように見え(といっても目や鼻のあるわけではありませんが)、そうしてそれこそおずおずと、こちらへの緩勾配を、降りては止まり、降りては止まりしながら露台のほうへ近づいてくるのでした。
「つむじを巻いてる!」
「左巻きだ!」
長男と長女がはしゃいで腕を伸ばしますと、それはつつつっと後退して迂回路を取り、次女のほうへ寄ってきた。次女の両手の盆の上へそれはひょいと跳びのると、伸びをするかのように縦に細く長くなり、娘の鼻先に届いて逆巻いて、途端に彼女の起き抜けのぼさぼさ髪が前方へ吸い出されて渦を巻きました。
「これはなんだろう」
「台風の子どもじゃないの。きっと、昨日の夜にお母さんにはぐれたんじゃないか」
次女はおもむろに立ち上がりますと、蚤のサーカスよろしく、それをいっぽうの手からいっぽうの手へ跳び移らせたりなどしながら、すっかりそれと意気投合するようでした。そうなると、嫉妬するやらうらやましいやら、お兄ちゃんもお姉ちゃんも貸して貸してとしつこくせがんで、妹は妹でこの状況がうれしくてたまらず、得意になりながらいやだいやだと拒み続けて、とうとうどちらからか手が出て火のついたように泣き出したのでした。
子らのケンカの種になるようないっさいを親は好まぬもの。それの正体をよくたしかめもせずに、わたくしは「放してやりなさい」と命じ、娘はそれを懐に抱きかかえてかぶりを振った。こうなると上の二人はわたくしの親衛隊ですから、「そうだよ、放してあげなよ」「パパのいうこと聞きなよ」と腹いせ紛れにそれを引き剥がしにかかります。するとなにを思ったか、下の娘はふたたびその場にしゃがみ込みますとね、戦中の疎開先の爪弾きっ子がひもじさのあまり人目を忍んで両手いっぱいの落穂を喰らう塩梅で、大口開けたそこへひと息にそれを押し込んだのでありました。
その日の遅いお昼はみんなで宅配のピザを食べました。一番旺盛な食欲を見せたのは下の娘で、なにも知らない妻は目を丸くした。急に成長期に突入したのかしらと、ふだんから食が細くしたがって軀体も年齢不相応に小さいのを気に病んでいた妻が、このときはたいそう喜んだのでした。わたくしは黙っていた。長女も長男も黙っていた。下の娘の食欲は、三枚あったピザのうち、丸々一枚を平らげた末にようやく収まりました。そうして、これまで聞いたことのない大きなゲップをしたのでした。笑ったのは、妻だけ。
台風の子どもが、下の娘の体内に同居するものか、はたまた同化したものか、その詳細はわかりません。ただその日以来、軀体の大きさはそのままでも、娘は一食につきわたくしの倍以上飲み食いするようになって、食事の終わるたびに大きなゲップを欠きませんでした。この頃では、妻は新手の病気ではないかと疑う始末。兄姉はなんとなく妹を敬遠するよう。
わたくしはといえば、度重なる不眠の夜、部屋の明かりは落としたまま、ときおり台風の子どもを招いて密やかな宴を開くのが、この頃のちょっとした愉楽であり慰め。彼(もしくは彼女)の旅の話に耳を傾けながら、八年のワイルドターキーのロックをちびちびやるのがまた格別なんです。
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