航海日誌 #1「出港地ボルヘス、あるいは引用の海」
ボルヘス(Jorge Luis Borges 1899-1986)は生涯長編小説を物さなかった。彼の創作はすべて『伝奇集』や『砂の本』といった短編集にまとめられ、創作といっても、そのほとんどが世界各地から掻き集められた故事や伝説、史実のこぼれ話がベースで、どこまでが引用でどこからが虚構か、その淡いはいずれも巧妙にぼかされている。あるいはボルヘスの物語群については、次のように言うべきかもしれない。すなわち、それらは長編になる以前のエスキース(素描)、ないしは長編になり損ねた未熟児であると。
その未完ぶりに物足りなさを感じることもなくはないが、文庫で十ページ前後の物語群を読んでいて、「小説はこれで十分ではないか」と感想されることもしばしばである。長編小説と呼ばれるものの内容の八割ないしは九割は、ハラハラドキドキさせることをもって読者の閑暇を紛らす贅言に費やされており、物語の骨子とは、せいぜい長くて一万字で足りるのではないか。そうボルヘスは言いたいかのようである。たしかに彼の短編は、宝玉の原石やいびつな真珠を想起させる。これらを手のひらに弄びながら、物語の来し方行く末を夢想することは、読者に与えられる格別の悦びであるのは言を俟たない。
翻って、書き手として彼の書物を手にすることは、霊感の源泉に触れることと同義である。このようなものを、このように書きたいと願いながら、ある種の「完成形」を目のあたりにしての、砂を噛むような思い。これを膨らませること、もしくはこの先を書き継ぐことは、ことごとく蛇足に過ぎないと了解されるだけに、書き手を志す者としては煩悶せざるを得ないというわけだ。
そうであっても、それを種(タネ)として長編という大樹を夢見ないではいられない作品が、少なくとも私にはひとつある。折しもエーコの『前日島』からメルヴィルの『白鯨』へと一筋縄ではいかない読書体験を経てからの邂逅ということもあり、その掌編を一読して以来、私は人知れず海に囚われ続けているのでもある。その作品とは、ボルヘスの第一小説集『汚辱の世界史』所収の、「鄭夫人—女海賊」(ちなみにこの短編集には「吉良上野介—傲慢な式部官長」と題された忠義にまつわる興味深い論考も収録されている)。
文庫でわずか十二ページの、それこそ素描というにふさわしい、明朝に実在した女海賊鄭一嫂の事蹟をめぐる小品である。ちなみに鄭夫人は海賊三女傑の一人として広く知られており、ジョニー・デップ主演映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に登場するミストレス・チンのモデルであるらしい。
まず瞠目するのは冒頭。ボルヘスは、物語世界に最短で読者を引き込む天才と言って過言ではない。たとえば物語はこんなふうに始まる。
「女海賊といえば素人芝居」とは、本邦でそんな時代があったとも思えないが、当世のアルゼンチンやヨーロッパではごく当たり前の連想だったようで、よしんばそうした風俗事情に通じなくとも、薄暗い照明の下、煙草の紫煙が棚引き、ラム酒の甘い匂いと女たちの嬌声が方々に湧く芝居小屋の情景を想像するのはさして難しくなかろう。素人芝居とは言い条、芝居とは名ばかりの、猥雑で破廉恥なそれであったとも容易に察しがつく。「しかし、本物の女海賊もいたのである」とボルヘスは続ける。その筆頭に挙がるのがメアリ・リードで、なんでもこの稼業の本質は「肝っ玉」だと喝破した女傑らしい。情夫が海賊仲間になぶりものにされたメアリは、くだんの海賊に決闘を申し込み、「使いにくいうえにあまりあてにならない燧発銃を左手にかまえ、右手には頼みのサーベルをにぎって」堂々と渡り合う。
次に名の挙がるのが、アイルランドのアン・ボニー。こちらはこちらで情夫がなぶりものにされるものの、メアリのように復讐するどころか情夫の不甲斐なさに憤慨して、「男らしく闘っていたら、あんたもこんな犬みたいにくびられちまうことはなかったんだよ」と罵声を浴びせる始末。この罵言については、博覧強記で知られたボルヘスの面目躍如するところで、「アイシャがボアブディルを嘲ったときの言葉そのままに」と補足される。ちなみにボアブディルについて、岩波文庫には次のような訳註がある。
そして三人目の女傑として挙がるのが、くだんの鄭夫人なのである。
洋の東西を問わぬ女傑の列挙によって、場末の芝居小屋から一挙に読者は世界の海原へと連れ出されることになる。火縄銃の銃声と火薬の匂い、剣の鍔迫り合いの音と荒くれ者らの怒号とが、潮騒の向こうに聞かれやしまいか。物語のこの簡潔にして的確なスケールアップの手法には、私なんかは瞠目するどころか、惚れ惚れするくらいのものである。
鄭夫人の逸話は、①「徒弟時代」、②「采配ぶり」、③「青年皇帝嘉慶は語る」、④「河川の沿岸は恐慌におちいる」、⑤「竜と狐」、⑥「礼讃」の五章立てになっている(番号ふりは筆者)。いずれの章も一、二ページの長さに満たない。それだけの長さであるにもかかわらず、事蹟の要約に甘んじるどころか、一長編の読後感に匹敵する奥行きと深さを物語に与えているのは、ひとえにその切り口と語り口の妙だろう。
①で描かれるのは、鄭夫人が海賊の首領になるまでの顛末である。一七九七年ごろ、シナ海の海賊団の株仲間によって講が組織され、鄭という酷薄無残な海賊団長が選出される。沿岸部は彼らの掠奪の憂き目に遭い、漁民らはみな漁具を捨て家を焼き払い、内陸に移住して農事に鞍替えする。かくして海賊団は商船を襲うようになり、ついに皇軍のお出ましとなる。まず当局の画策したのが鄭の懐柔で、主馬寮長官に任じられ買収されるに甘んじた鄭は、結果海賊団の株仲間らに毒殺される。この二重の不実に怒りを爆発させた御仁こそは鄭夫人であり、彼女は亡夫の復讐を誓う。意に沿う者らを引き連れて株仲間の桎梏から脱した鄭夫人は、新たな海賊司令官としてその勢力を不動のものにしていくのである。そんな鄭夫人を、ボルヘスは次のように描写する。
②では海賊団の組織のあらましが記される。鄭一嫂の船団は六小隊で構成され、各小団は赤、黄、緑、黒、紫の六色の隊旗を掲げ、司令船には大蛇の旗がひるがえっていた、とある。これらの配色は⑤のクライマックスの場面で効いてくるのだが、視覚的な効果を論う前に、まさにナラティブの醍醐味としての、鄭夫人の手になる隊員規律と皇帝の勅令との「文体比較」には是非とも言及せねばなるまい。ボルヘスはまず海賊の規律を二、三紹介するにあたり、次のように付言する。
また、くだんの隊員規律(村でつかまえた女捕虜との甲板での交接を禁ずる等)が引用されたあとで、海賊らの船上での荒くれぶりが五、六行で要約されもする。
その直後の③「青年皇帝嘉慶は語る」で、「滑稽な尊大さとも称すべき色褪せた文飾」まみれの「広く非難の的となった」勅令の具体的な内容が明らかとなる。
前置きからしてくだくだしいこの勅令こそは、郭郎なる征伐軍の長に鄭夫人率いる海賊団の殲滅を誓わせる命なのだが、実/虚かつは民/官のエクリチュール(書字)の対比によって、その勝敗がすでにして予告されるところに、ボルヘス一流の語り口の秘技はあるのだろう。多様な文体の並立による見映えの豊かさもさることながら、歴史考証の相貌をも得るのである。
皇帝軍は事実海賊団の前に惨敗し、ボルヘスは郭郎の最期を次のように締めくくる。
いやはや、この書きぶり、痺れるの一言ではないか。
さて、皇帝軍を撃破したはいいものの、鄭夫人とその海賊団の運命は、それを境に下降線をたどる。その消息が描かれるのが④である。箍が外れてバランスを崩すの一例だろう。「勝利に驕る鄭夫人麾下六百隻の軍船と四方の海賊たちは、西江の河口を遡る。右舷左舷ところかまわず、彼らは火災と死の饗宴と孤児の数を増して」いく、とある。皇帝はすぐさま第二の遠征隊を組織し、指揮官として丁魁なる人物を据えた。丁魁は失われた皇帝の威信回復を実現すべく、大艦隊を率いて西江河口に陣取り、鄭一嫂らの退路を断つ。睨み合う両者。鄭夫人の部下らは殺戮と掠奪に疲弊し切っており、今度ばかりは絶望的であることを海賊首領は覚悟している。ここで緊迫した時間の経過をボルヘスは次のように描写する。
そして行間ののち、⑤の「竜と狐」がくる。この掌編の白眉である。海賊団と征伐軍、両者進退谷まったところで、異変が起きる。
これを不安のうちに息を詰めて眺める鄭夫人は、やがてひとつの長い故事を思い出す。狐が長い間恩を忘れ過ちをくりかえしても、竜はいつも狐をかばってやったという話を。竜と狐にまつわる中国の故事について私は寡聞にして知らないが、ひょっとするとこれこそはボルヘスの創作かもしれない。そうなると、皇帝軍の採った幻想的な戦術も、ボルヘスの創作ということになろう。決断を迫られる鄭夫人の刻々と変化する心境と、無為のうちに過ぎる時間の長さとを、ボルヘスは月の満ち欠けに仮託して次のように表現する。
これこそは短編長編の別なく、簡にして要を得た描写の最たるものと思うが、どうか。長い苦悩の末に、二本の短剣を川に放った鄭夫人は、舟艇の床板に拝跪し、舟を皇帝軍の旗艦に横づけるよう部下に命ずる。
六色の軍旗をはためかす海賊の船団に向け、張り詰めた静寂の薄暮に原色の竜が無数に打ち上がるという、まずはその絵の強さである。そうして、このような情景が作中の一景に過ぎないような、そんな大きな作品を書けたなら……とおこがましくも夢想するに至るわけである。しかし誰かの言を俟たずとも、読まれた書物が常に未来に書かれるべき書物の種(タネ)となるような類の人間もまたいるものなのだ。
紙と葦の竜が何体と打ち上がる月の出と同じ刻限に、皇帝軍の艦隊の背後に無数の銛の柄を生やした巨大な氷壁が、悪夢の具象化のように海底から音もなく聳り立つ。それこそは氷壁にあらず、モビーディックの背にほかならない。それを追うエイハブの捕鯨船があり、そしてそのさらなる沖合を、クロノメーター開発以前の、正確な子午線をとらえあぐねて彷徨える帆船が、前日島を求めて横切っていく。
ボルヘスはまた、小説とは引用によって成り立つことを体現した作家でもあっただろう。あるいはもはや我々は、引用によってしか新たに物語など紡げないのかもしれない。しかし仮にそうであったとしても、必ずしも悲観すべき事態ではないだろう。何かを書く者は、例外なく文学史に絡め取られる存在である。それを航海になぞらえて、毅然として引用の海へと出立する。
それは覚悟というより、飽くなき冒険にほかならない。「軍門にくだった鄭夫人は、のちに印璽運搬中の皇帝直属の旗艦が得体の知れぬ海獣に襲われて消息を絶ったのを機に、また例によって滑稽な尊大さと色褪せた文飾をもってする勅命を受けて捕鯨船団を組織し、当代のレヴィアタンと船乗りの誰彼から恐れられる白鯨を追って北を目指した」と語り始めることで、その後の鄭夫人の物語を紡ぐこともまた、我々の手中に委ねられた特権にほかならないのだから。