天狗
頭上の葉叢にぱらぱら……っとなにやらまぶされる音が立ちましたんで。まずは驟雨を疑った。
しかし木々のあいだに見えるのは雲ひとつない漆黒の夜空に満月ばかりで、心強いどころじゃない、月の晩にハタラくってのは、いつまで経っても慣れないものなんですな。昔は朔を選んでしたもんなんだ。イヤなもんです……って、満月のことです。なんだか終始見張られてるようでね。暴かれてるというのかな。
ぱらぱらっとまたきましてね、今度は足もとに霰のようなものの爆ぜるのが月明かりにはっきり見えた。これはマズいとなって、山を降りる足もにわかに駆け足になる。
慣れぬ悪路のどこをどう駆け降りたものかね、そのうち仲間とはぐれまして、しかし仲間といったってその晩初めて対面した輩で名前など計画上の「B」としてしか知らず、顔もマスク越しなんで奴を同定できるものといったら服装くらい。しかしそれだってあえて目立たぬようにしてきているわけだから、麓で落ち合いましょうなんてのはいかにも心許ない。仕方なくうる覚えの来た道を引っ返したんで、しかし名前を呼びようもないから、おい、おい、と声を押し殺して茂みへ呼びかけながらというのは、我ながらなんともマヌケな絵面でございましたよ。
結局奴は根に足を取られ、転げてくじいたもので、山道からはずれた斜面にうずくまっていた。これがまた上着を引っかぶってシクシクと泣いてやがるんだ。ニワカが高を括るからこういうことになる。最近はとくに多いですよ、身のほど知らずの若いのが、アブク銭に目がくらんで名乗りをあげる。いまじゃネットでカンタンに手を挙げられるしね。しかしいいのは最初の威勢ばかりで、中身は文字通りの腑抜けだから、軀も利かないし根性もないしで肝心要のところで足手まといになる。こういうときは昔はいさぎよく始末されたものなんだが、もとよりそんな覚悟あるわけもないから、始末するほうがかえって後味が悪い。しょうもな、と吐き捨てて肩を貸してやりましてね、泣くな、馬鹿野郎! って凄んでやりましたら、なんだよ、アイツら、こんなの聞いてないよ……と声をわななかす。それでうしろを仰ぎ見仰ぎ見するもんだから、ちゃんと前向けぇやと怒鳴りますとね、おっさん、アレ、なんなん、おれら追いかけてくるアイツら、なんなんよ! と気も触れんばかりになってる。夜の山じゃね、考えたり立ち止まったり振り返ったりするなんてのは、御法度も御法度なんだ。山全体がモノノケの巣窟みたようなものなんだから。
あんな山奥の破れ寺でもセキュリティは一丁前でして。よほど貴重なホトケさんだったんでしょうけどね。そんなもの、役場で直接管理したらどうよと思わないでもないが、アタシらの知ったこっちゃない。雇い主ですか。あれは半島系のコレじゃなかったかな。連中がなにを欲しがってるとか、そのブツにどんだけ価値があるとか、そんなことにアタシらかまやしないですよ。そのときそのときの雇い主の指示を粛々とこなすだけ。実行役「A」としてやることは、現場のセキュリティ解除と「B」の身柄の安全確保の二つ。この仕事も長いが、二十年来トチったことないね。アタシの仕事はね、自分でいうのもなんだが完璧なんです。まぁ、失敗すればどの道身の破滅なんですから、こうして生きてるってことが完璧だったことの証しなわけで、あらためて自慢するにも及ばないやね。……おや、いまぱらぱらっときましたね。こりゃ、ひと雨くるね。アンタ、傘はお持ちなんで?
そうそう、れいのぱらぱらのことでしたな。アレはね、よこしまな意図を持って夜の山に入る者なら誰もが戒める、天狗の礫(つぶて)ってやつさ。いわばお山の警告さね。これを軽んじて当てられでもすれば病を得る、気が触れる、女ならバケモノを孕む。アンタも信長公の髑髏杯はご存知でしょう。討ち取った武将の頭蓋を一刀両断しては、皮と肉と脳をきれいに洗い流して日に晒しましてな、黒漆と金粉とを仕上げにほどこして盃をなしたと。江戸の酔狂なお侍がコレに憧れて、山のなかの破れ寺の墓を暴こうとして礫に当てられたなんて怪談話が、たしかあったはずなんで。
あんときのBはまちがいなく礫に当てられたんでしょうな。もっとも奴を雇い主のもとに無事送り届けたとき、肝心のブツを奴は持っていなかった。道中落としたか、奪われたか、パチってどこぞに隠したか。ニンゲン様の仕置きに遭ったか、礫の呪いに染まったか、いずれにせよ無事ってことはありますまいよ。肝心のブツが懐にないとわかったとき、奴はアタシを指差していうんですな、コイツがパチったんだって。冗談じゃない、こちとら危険も顧みず、テメエのために引っ返してやったんじゃねぇか。恩を仇で返すとはまさにこのことだが、いま思えばさっそく気が触れていたのかもわからない。
実をいいますとね、あれからずっとアタシは何者かにつけ狙われてるんで。半島の連中か、天狗か、そりゃわかりませんけど。アタシと接触する人間のことごとくがね、しばらくもしないうちに失踪したり体調を崩したり果ては怪死したりするんでさ。なかには原因不明の病を得て入院した輩もある。ひょっとすると、女のなかには孕んだ者もあるかもわかりませんね。もっともアタシはインポだから、アタシのタネじゃありませんよ。昼も夜も見境なく、人と会えばぱらぱらっとなにやら降りかかるわけなんだが、どうもアタシには当たらないんだね。神通力のお陰かと信心深くなりかかったこともあるが、違うね、ありゃ、わざとアタシをはずしてるんだ。なぜかって。ヤクザもモノノケも、することに理由なんざ要りません。さっきもいいましたけど、夜の山じゃね、考えたり立ち止まったり振り返ったりするなんてのは、御法度も御法度なんで。なるようにしかならない。
ああ、もう、さっきから、屋根瓦をぱらぱら打つ音がやまないねぇ。ありゃ、アンタも察しのとおりで、雨の前触れなんかじゃなさそうだ。どうも今宵は礫の量がいつになく多いようだよ。とんだ無駄足をさせたようですな。アンタのお探しの高麗のホトケさんなんてのは、もとよりこの家にはございません。アタシに接触する者は、理由はどうあれ、例外なくロクな目に遭わないと先ほども申しました。もっと早くにいっておくべきだったかもだが、面と向かって伝えたかったんで。え、それじゃ意味がないって? ほらほらそれそれ、意味なんていいだしたら、天狗様の癇に障りますぜ。
お帰りのさいは、この傘を持っていきなされ。礫を防げれば、あるいはどうにかなるかもしれませんから。
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