【読書感想文】『きみが来た場所』喜多川泰著
塾の経営者である秀平は、ある日喉に違和感を覚え、のど飴を買おうとコンビニに入ります。
しかし、そのコンビニには人がおらず、なぜか和服を着た店員がいるだけです。
飴は聞いたこともない名前の1種類しかありませんでした。
仕方なくルーツキャンディという名の飴を購入し電車に飛び乗りますが、咳が止まらなくなり購入したその飴を口に入れると、ぴたりと咳が止まります。
電車の揺れに誘われてか、秀平はいつの間にか眠ってしまいます。
この物語は、不思議な飴、ルーツキャンディが見せてくれる夢によって、「父親」になっていく物語です。
夢が教えてくれたのは自分がこの世に生まれてくるまでの出来事でした。
私が今ここにいるのは、両親がいて、その両親にもまた両親がいて、と何世代にも渡って脈々と命がつながってきたからです。
自分にとっては長い数十年ですが、人類の歴史に比べたら、ほんの一瞬です。
そんな短い間でも、世界は大きく変わっています。
世界では今も戦争があり、地震などの自然災害であっという間に日常が失われています。
先が見えない大変な時代ですが、それは決して今だけの出来事ではなかったのだろうと思います。
両親が生きていた時代には第二次世界大戦があり、生きるだけでも大変な時代だったことでしょう。
それぞれの時代に、それぞれ未経験の問題が勃発し、苦難を乗り越えて必死に生きてきたのです。
次の世代によりよいものを残したい。
などという大それた思いではないかもしれません。
親が子供の幸せを願い、子供が生きる時代が今より少しでも良くなっていてほしい。
そんな思いで親たちは子供の寝顔を見ながら、「明日も頑張ろう」と思うのです。
物語は子供がキーワードになっていると感じます。
寝顔を見れば、仕事の疲れも忘れるという経験は、子供のいる人ならしたことがあるでしょう。
一生懸命働くのも、毎日栄養バランスを考えて食事を作るのも、
自分の趣味の時間を減らしても子供のやりたいことをさせたいと思うのも、
キャンプや旅行でたくさん楽しい体験をさせたいと思うのも、
全て子供の未来をよりよくしたいという思いからです。
次の世代によりよいものを残すために、いま自分ができることは何だろうと考えて、昨日の自分より今日の自分を鼓舞して生きているのだと思います。
子供が親を育ててくれているのです。
「母は強し」と言いますが、本当によく言ったものだと思います。
自分のためだけに、こんなに強く心を保つことができたかと問われたら私は自信がありません。
過去を振り返っても、自分のためにあの局面を耐えられたかと考えると、絶対に逃げ出していただろうと思う場面がいくつもあります。
子どもに限らず、守る者があると人は強くなるのだと思います。
子供が独立した今の私が守るべき大切な命は、もちろん猫さまです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ルーツキャンディ、もしあるなら私も舐めてみたいと思いました。
自分がこの世にどんな意味を持って生まれてきたのか、両親の主観的な話として聞くのではなく、リアルな現場中継で見てみたいです。
それが紛れもない生の声だろうと思うからです。
この物語は、自分のルーツを知ることで、自分がどう生きるべきかを再考する物語でもあるように感じました。
今週はいろいろ考えることが多い7日間でした。
雨が降り始め、週末はずっと雨のようです。
ゆっくりと自分と向き合ってみようかと思います。
よい週末をお過ごしください。