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本は読まないほうがいい?
フォレスト出版編集部の寺崎です。
今日は最近読んだ本で「仕事に役立ちそうなもの」を1冊ご紹介したいと思います。
『思考の整理学』という異例のロングセラー文庫をご存じでしょうか。
筑摩書房さんの特設ページを覗いてみたら・・・
◎東大・京大で一番読まれた本
◎刊行から36年、驚異の126刷、263万部突破!
・・・とあります。
この本は編集者の間でも鉄板の教科書となっているわけですが、この本を書かれた外山滋比古さんの文庫本が先日書店で平積みされていたので、思わず手に取ったのがこれです。
![](https://assets.st-note.com/img/1657938593989-LgH1npewYf.jpg?width=1200)
可愛げなイラストは雑誌の表紙などでよく見かける長場雄さんによるもの。装丁は井上新八さんでした。
パラパラと眺めてみましたら、どうやらこれは外山さんのあらゆる著作からおいしいところをピックアップした箴言集のようです。
外山さんの著作は何冊か持っていますが、いくつは積読になっているのものあり、「これはタイパがいい」と思い、思わず購入しました。※「タイパ=タイムパフォーマンス」という言葉をイマドキの若者っぽい真似て使ってみた。
1ページにひとつずつ、全部で150の言葉が掲載されています。
そのうち「おっ」と思ったものをいくつかご紹介します。
他人の眼鏡でみないこと
まずは自分で見る
テーマを発見せよ、というと、目ぼしい参考書をあさって、何かおもしろそうなことはないか、とうろつきまわることがすくなくないが、順序が逆である。ひとのめがねでものを見てから自分で見ても、正しく見えるはずがない。まず、自分で見る。
ここで書かれている「目ぼしい参考書」は、いまでは「ネット上の意見」も含まれるかもしれません。私たちは何かの事象を目の前にしたとき、書物もテレビもウェブブラウザもなかった時代は自分の頭でしっかり考えたはずです。
ところがどっこい。いまでは「あの人はどんな見解をしているか」「ネットにはどんなコメントが落ちてるか」「ツイッターで検索してみる」といったように、どこか正解を求めて「他人の意見」を最初から探す傾向があるように思います。
「それは順番が逆だ」
「ひとのめがねで見る前に、自分の目でしっかりみなさい」
と外山さんは指摘しているわけです。
考える力の基礎は「生活」にある
生活に根差した知識を求める
知的な活動の根本は、記憶によって得られる知識ではありません。生活から離別した知識は、むしろ考える力を低下させるおそれさえあります。こういうことを、しっかり頭に入れておかなくてはなりません。
考える基礎は”生活”
長い間、考える基礎は知識であると信じていましたが、知識から思考の生まれることはまれで、生まれる思考は小粒で非力です。
思考は、生きている人間の頭から生まれるのが筋です。研究室で本を読んでいる人は思考に適しません。生活が貧弱だからです。
知識や情報を頭に詰め込んで(インプットして)、そこからアウトプットするのが「知的活動」と思われがちですが、生活に根差したものでなければダメだというのです。
「むしろ考える力を低下させるおそれさえあります」とまで言っています。
このあたり、編集者が企画を考える際の態度として、ぼんやく参考になるかもしれません。知識を蓄えて机の上でウンウンうなっているだけではダメだ、と。生活に根差しなさい、と。
近所のスーパーマーケットに行こう。
暑かったらプールに行こう。
喉が渇いたらビールを飲もう。
たまにはカウンターの飲み屋に行って隣の客と会話してみよう。
そんな感じでしょうか(違うか?)。
本は読みっぱなしにせず「感想」を書く
感想を書く
本などもただ読みっ放しにしないで、あと、かならず感想を書く習慣をつけるようにしたい。これがどんなにわれわれの精神を大きく豊かにしてくれるか、はかり知れない。書くことはおっくうであるが、頭脳をよくするもっともよい方法は書くことだ。とにかく、書いてみることである。
「頭脳をよくするもっともよい方法は書くこと」か。なるほどー。
だから、こうしてnoteにに読書感想文の記事を書くのも、脳を鍛えるにはいいことなんだな。よっしゃ。
しかも、こうして文章を読みながらキーボードで文字を打つたび、なにか一文字一字文字が血肉なっている感覚もあります。
「昔の本は意外と漢字をひらがなに開いている箇所が多いな」とか、編集者的な地味な発見もあります。
愛読書はつくるな
愛読書はつくらない
読書、大いに結構だが、生きる力に結びつかなくてはいけない。新しい文化を創り出す志を失った教養は、不毛である。
よりよく生きるため、新しいものを生み出す力をつけるために本を読む、有用な知識は学ぶが、見さかいがなくなるようなことがないよう自戒する。著者、作者に対する正当な敬意は当然ながら、とりこになったりすることは避ける。真似て似たようなことをするのは美しいことではない。むやみに愛読書をこしらえ得意になるのは弱い精神である。
うーん、「愛読書をつくるな」というのはけっこうドキッとしました。おそらくこの本の担当編集者も同様だったとみえて、この見出し「愛読書はつくらない」を帯キャッチコピーに入れています。
「生活に根差せ」とか「新しい文化を創り出す志を失った教養は不毛だ」とか、外山さんの思想はつねにアクティブです。
そいういえば、飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていた某アパレルブランドの社長に数年前に取材したとき「じつは俺、生まれてから1冊も本読んだことないんだよね(笑)」と告白され、その理由を尋ねたところ「だって、本になった時点でそれって過去じゃん。過去の成功体験がいま通用するとは限らないじゃん?だから、俺は本読まない」と言っていたのを、ふと思い出しました。ある意味、超アクティブ志向です。
ところが、その某アパレルの社長は誰もが絶対に思いつかない天才的なアイデアと半端ない行動力でめちゃくちゃリスペクトされています(私もリスペクトしてます)。「俺は一切、本を読まない」という人にはキッパリした潔い生き方を感じます。個人的にはけっこう好きかもしれません、そういう人。
書籍に思考を奪われるな
書籍に思考を奪われない
人の考えを、自分の考えたことのように思い出すと危ない。そうして身を滅ぼした学者、研究者は、ことに文科系では、数えることすらできない。本を読みすぎてはいけない。考えるじゃまになるような知識はない方がよいのである。
「本を読みすぎてはいけない」
これまた、考えさせられます。本を読み過ぎると、他人の考えの奴隷になるよ、ということでしょうか。たしかに本に限らず、あらゆる情報に言えることですが、「自分が考えたものではない考え」を我々は無意識に自分が考えたかのように錯覚しがちです。
「人の考え」は「自分の思考」の邪魔になるから危険であると警鐘を鳴らしています。たしかに、あるあるですね。
でも、出版社の人間としては、こう言い換えたいです。
「本を読みすぎてはいけない」
「だがしかし、本はどんどんたくさん買おう」
「紙の本を買って気に入ったら、kindleも買おう」
と。笑
そんなわけで、今日は外山滋比古『こうやって、考える。』(PHP文庫)をご紹介しました。外山さんの著作21冊のなかから光る一節を抜き出したアンソロジー。
紀伊国屋のデータ見てみたら、けっこう売れてますね、これ。こういう本のつくりかたもあるんだな。さっそくパクろう。
パラパラ眺めて、気になった言葉を吸収するだけでも、なかなか役立つ内容です。