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エモい文体考あるいは現代詩と日本語ラップの邂逅
フォレスト出版編集部の寺崎です。
エモい文体に憧れます。
エモい文章を書きたいです。
本業であるビジネス書ではなかなか「エモい」文体は出てきません。エモーションよりも論理。ロジックや正確性が求められる世界です。
だから、エモい文体に反作用で惹かれる。
(エロい文体ではない)
そもそも、エモい文体、エモい文章って、なんだ?
エモい文章と評される書き手が「エモい文章の作り方」というのをエモい文体で書き綴っている。エモみの二重構造にある、そんな面白い投稿を見つけた。
私の文章もだんだんエモみを意識して、エモくなっていくことを祈りながら、筆を進める。
上のリンクの記事を書いた嘉島唯さんの文体は「文末表現」に秘密があるような気がする。
動かされない。
持っている。
のではないか?
いいだろう。
これをどうだろう、次のように変えると、ぜんぜんエモくなくなる。
動かされません。
持っています。
のではないでしょうか?
いいと思います。
noteのおすすめ記事に取り上げられる文章は、けっこうエモい感じのものが多い。いずれも文末表現がサラッとしている。どこか読者との距離を取った表現に感じられることもある。
そうそう、ビジネス書でもエモい文章の書き手がいる。
神田昌典さんだ。
成功法則は嫌いだ。
正直、暑苦しいし、なんかカッコ悪い。
手首に、数珠をジャラジャラさせている感じっていえば、わかるかな?
「私、お金に縁がないんです」「ちょっと身体の調子が優れないんです」と、気づかずに自己主張している。
「成功法則、使ってる」なんて、できるなら、知られたくない。
(中略)
この本に書いてある成功法則は、10年前はそこそこ新しかったけど、いまや、他の本にもフツーに書いてある。
だからね、この本の内容は、いまの私にしてみりゃ、まぁスタンダード。
単純、ストレートなロックン・ロールだよ。
複雑なシンコペーションもなけりゃ、特殊なコード進行もない。
(中略)
しかし、成功法則本が売れたところで、世の中にはあんまり意味ない。
要は、あなたが、どう自分の才能を開花してくれるかだよ。
そして、「ここに日本人あり」って感じて、世界に打って出てくれるのか。
これからの日本は安泰じゃないから、ともに日本のために戦ってくれ。
その過程であなたは「成功者」って呼ばれるようになるよ。当たり前に。
最後に言っておくが、この本は、私にとっては10年前の本。
いまの私は、10年先をいっている。
あなたが、この本で成功したら、しっかりと追いついてきてくれ。
必ず、待ってる。
2011年10月 神田昌典
エモい。これは神田さんの代表作『非常識な成功法則』のまえがきだ。
全文は公開できないが、神田さんのエモみは感じ取ってもらえるだろう。このエモみがじわじわと人口に膾炙して勝間和代さんのもとに届き、勝間さんの推薦文を得て、ベストセラ―となったのが『非常識な成功法則』だ。
成功法則を語る本なのに、開口一番「成功法則は嫌いだ。」から始まる点に、そもそもの強烈なエモみを感じる。
音楽の歌詞はエモい文体の宝庫
エモい文章には「情景を追体験させる固有名詞」が重要とされる。サンプルが古すぎるかもしれないが、RCサクセションの代表曲の「スローバラード」という名曲がある。
昨日はクルマの中で寝た
あの娘と手をつないで
市営グラウンドの駐車場
二人で毛布にくるまって
カーラジオからスローバラード
夜露が窓をつつんで
悪い予感のかけらもないさ
あの娘の寝言を聞いたよ
ほんとさ たしかに聞いたんだ
この歌詞においても「市営グラウンドの駐車場」という固有名詞が効いてる。「市営」であることも大事なポイントだ。これが「グラウンドの駐車場」だとエモくない。固有名詞が人それぞれの具体的な情景や記憶を喚起する。このワンフレーズだけで一気にエモい世界観に引きずり込まれる。
オザケンこと小沢健二の歌詞もエモい。たとえば、これ。『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』だ。
幾千万も灯る都市の明かりが
生み出す闇に隠れた
汚れた川と汚れた僕らと
駒場図書館を後に君が絵を描く原宿へ行く
しばし君は「消費する僕」と「消費される僕」をからかう
この頃の僕は弱いから 手を握って 友よ 強く
(中略)
僕の彼女は君を嫌い
君からのファックス隠す 雑誌記事も捨てる
その彼女は僕の旧い友と結婚し
子ども産み育て離婚したとか聞く
(中略)
下北沢泯亭 ご飯が炊かれ 麺が茹でられる永遠
シェルター 出番を待つ詩人たちが
リハーサルを終えて出てくる
駒場図書館、下北沢泯亭、ライブハウスの「シェルター」という固有名詞が、東京で思春期を過ごした40代にとってはたまらないリアリティを伴ってエモい情感がぶわーーっと湧いてくる。
ちなみに下北沢の泯亭という街中華は、上京したブルーハーツの甲本ヒロトと、『孤独のグルメ』の松重豊が働いていた店として有名だ(だから二人は仲良しらしい)。
しかも「ファックス」と「雑誌記事」ですよ。エモみ満タン。
「エモさ」の原体験としての現代詩
エモい文体、エモい文章を突き詰めると、現代詩にいきつく気がする。言葉を解体しながら、ふたたび言葉を再構築して、言葉が織りなす情景を精緻に設計していくのが現代詩だ。
たとえば、現代詩のオリジネーターの一人、田村隆一。
『帰途』
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
言葉なんか覚えるんじゃなかった。
痺れる。
たしかに、人間は言葉を覚えてしまったがために、いろいろ面倒なことが増えたのかもしれない。
現代詩の極北に最果タヒがいる。言葉のエッジがゆるやかに万人に刺さる感じがイマっぽい。実際、そのエモさゆえに商業施設の広告とかにも採用されてる。
『超愛』
聞きに行ったのにうるさいと思ってしまって、この食事はまずいですと言われて泣いているあなたを抱き寄せた私はまずいと言った本人だった。記憶違いでなければ愛し合っていたはずなのだけれど、と、口にした頃にはだれもなにも覚えていなくて、私だけが確かな記憶を持つ人間のはずだった、そのはずなのにみんな、疑ってばかりいる。噂話が好きなのはそのせいだ、バラエティをたくさんみて、ワイドショーの登場人物の予習をしている人間たちが、私にはとても優等生に見えて、いつもとても寂しくて、信号機がせめてずっと赤ならいい、スピードを躊躇なく上げた車たちは順番に光を超えて、この世からはいなくなる、
「あの世には、いるから大丈夫」
死と生の境界ではなく、光速と高速の境界に川が流れ始めるこの時代にわたしたちは何を恐れるべきだろうか、きっとコンビニやファストフード、インターネットは自殺の一種なのだ、もう何も知らないから、大丈夫です、知らないから、知らないなら自殺は自殺じゃなくなるんですよ、知らないから死は死でしかなくなるんですよ、どうであろうが。あなたは笑った、健康診断なんてもう何年もやってないと笑った、小麦粉は室温で大丈夫だよ、笑った、わたしも笑った、笑っていた、あなたがそうしていま、一番哀れな人となる。
エモさ爆発進行中の日本語ラップの世界
一方で、異なった趣向のエモい言葉が日々生成されているのが、日本語ラップの世界だと思う。言葉のスクラップ&ビルドがいちばん進んでるのが、この世界ではなかろうか。
これもちょっと古いけど、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのリリックに触れたときはぶっ飛んだ。
言葉達者
容赦なく据えた描写
秒殺で駆け抜ける
戦場のFLOW者
いってんだろハングリー
故に常にハイクオリティー
語り継がれるヒストリー
叫ぶマイノリティーな
現すとおり
また新たに刻まれる
壮大なヒストリー
(YO!聞っ聞け)超危険 右手
相性いい ご機嫌 五次元
人間 ENTER無限
公衆面前 RHYME お中元
リズムに乗せて韻を踏みながら言葉を構築してくわけだけど、言葉の選び方が世界観を見事にキメている。エモい情景がうっすら想起されつつ、また次のリリックで粉々に破壊されていく心地よさ。
日本のヒップホップ、日本語ラップの世界では、こうした抽象的な言葉の世界とは異なり、それこそヒップホップがアメリカの黒人から生まれた出自そのものに、日本のディープサイドを描いたラップもある。
これまたリアルでエモい。
「鬼一家」というヒップホップ・ユニットを率いる鬼。彼は福島県いわき市の小名浜に生まれたラッパーだ。これが代表作『小名浜』。
部落育ち 団地の鍵っ子 駄菓子屋集合 近所のガキんちょ
ヤクザのせがれか母子家庭 親父がいたのも7つの歳まで
2歳の妹がいようと死のうとするお袋に
「帰ろうよ、僕が守るから大丈夫」
光るタンカー 埠頭の解放区
目まぐるしく変わる生活 決して贅沢なく 御馳走の絵描く
お袋は包丁 妹は泣きっ面
馬の骨の罵声はサディスティックだ
水商売母ひとり子ふたり 薄暗い部屋で眺めた小遣い
馬の暴力は虐待と化す 13の8月 何かが始まる
エモい文章とはなにか、考えて続けてきたら、小名浜にたどり着いてきてしまった。
今後とも、エモい文章の精進、がんばります。