人生に迷ったら「良心」に従って生きること
こんにちは。フォレスト出版の美馬です。
最近、大人のいじめにかんする作品を観ました。そのときにふと頭に出てきた言葉があります。
これは、右脳教育の第一人者である七田眞先生(七田式教育創始者)の言葉です。
子どもだから心の話なんてわからないだろうと思われがちですが、心がきれいになることなのか、心が汚れることなのか、という判断をさせると、子どもは本当に悪いことをやめてくれるのだそうです。
子どもだって、心がきれいになることなのか、心が汚れることなのかをきちんと判断して、気持ち良く生きていこうとしているということがわかりますよね。
大人の私たちなら、心がきれいになることかどうかをもっと本質的に知っているはずです。心が汚れるとわかっていることをしてしまうと、罪悪感が芽生えます。
『すべて潜在意識のせいでした』の著者である宮増侑嬉さん曰く、心が汚れてしまうような罪悪感が溜まると、いつまでも私たちを追いかけて苦しめると言います。
それほど大きな悪さではない、相手は気づいていない、相手は傷ついていないといったレベルの罪悪感もあるかもしれません。だから、「たいして悪いことじゃないよね」「あのときは仕方がなくて、あんなことをしちゃったんだよ」と、顕在意識では自分を正当化しているかもしれません。
けれど、私たちは「良心」を持っていますから、どんなに小さなことでも罪悪感を抱いて自分を責め続けてしまうと言います。実際に、「いつかバチが当たるかも」、あるいは「この嫌な出来事は、あのときの罰かも……」などと思うこともあるかもしれません。
宮増さん曰く、その罪悪感をそのままにしていると、潜在意識の中でどんどん大きく育ち膨れ上がってしまい、自分の現実の世界で何かしらの不幸を創り出してしまうそうです。
自分の気持ちがあまり良くないと思うことは、シンプルに、やらないように。仕方がないからやらざるを得ないような悪いことも、やっぱりやらないように。そんな生き方ができたら良いなと思います。
とはいえ、大人の世界にはいろいろありますよね……。頭の中、顕在意識ではいろいろな思いはありますが、心がよろこぶ、心がスッとする、心が整う、心がきれいになる、そう感じられることを少しずつでも選択していこうと心掛けるだけで良いそうです。
以上、『すべて潜在意識のせいでした』から抜粋・引用して「罪悪感」と「良心」についてお伝えしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。