#427【出版の裏側】他社本研究『〈𠮟る依存〉がとまらない』(村中直人・著)
このnoteは2022年6月29日配信のVoicyの音源「フォレスト出版チャンネル|知恵の木を植えるラジオ」の内容をもとに作成したものです。
土屋:フォレスト出版チャンネルのパーソナリティを務める、土屋芳輝です。本日は編集部の森上さんと寺崎さんと共に「他社本研究」をテーマにお伝えしていきます。森上さん、寺崎さん、どうぞよろしくお願いします。
森上・寺崎:よろしくお願いします。
土屋:ということ「他社本研究」ですけれども、今日の書籍は何でしょうか?
「叱る」は実は意味がない行動
寺崎:はい。今日は私が挙げたものなんですけども、『〈叱る依存〉がとまらない』という本です。著者は村中直人さんという臨床心理士の方です。この本は「叱る」っていうことをすごく掘り下げて書いていて、ものすごく面白くて、今売れているんですけども。森上さんは、普段は叱りますか?
森上:いや、俺はしないね。叱るってしたことないな。
寺崎:僕は子どもが危ない時、生死に関わることだぞっていう時にはバッと叱ることはあるけど。でも、叱られたことはるでしょ?
森上:叱られたことはいっぱいある。
寺崎:土屋さんもいっぱいありますか?
土屋:そうですね。あんまり覚えてないですけどね。
森上:社会人になってからもありますもんね。
寺崎:そう。で、そもそもなぜ人は叱るのかっていうことなんだけど、「きちんと叱れ」と、「叱っちゃダメ」っていう、2つの相矛盾する社会のメッセージがあると。例えば、子どもがギャーって泣いちゃって公共の場を乱すようなことをしたのに、親が放っておいたら、「なんで叱らないんだ」って、言われることがあるじゃないですか。スポーツのコーチとかでもやっぱり「叱ってくれるコーチはいい教育者だ。叱らないコーチは子どものいいなりだ」みたいな。だから、叱らないことを叱られるっていうことなんだけど。結局、結論から言うと、この本では叱るって効果がないって言うんですよ。叱るっていうのは相手に行動を変えてもらうために、相手に変わってもらいたいから叱るんですけど。
森上:ゴールはそこだよね。
寺崎:ゴールはそこ。だけど、叱られている方は恐怖とか不安の感情の方が強くなって、その場をなんとか凌ごうとのことで、危険回避の行動になって、学習に繋がっていかない。それで、また相手が同じこと繰り返すじゃないですか。この繰り返しで、叱るっていうことが気持ちよくなって、脳の報酬系が活性化するらしいんですよ。
森上:叱る側がでしょ?
寺崎:叱る側が。
森上:叱られる側は何もないってこと?
寺崎:ないってこと。
「叱る」を繰り返すと脳の報酬系が活発化する
寺崎:基本的にそういう叱りには意味がないって言っていて、一番ショックだったのが叱って罰を与えるとか、もっと言うと相手に危害を加えると、人間の脳の報酬系が活性化するんだって。
森上:叱っている側が?
寺崎:叱っている側が。だから、ローマ時代にコロッセオの罪人同士を戦わせて、みんなが盛り上がって見ているみたいなのがあったじゃないですか。あれなんかグロテスクなかたちの罰を与えることの快楽で。あるいはドラマで勧善懲悪っていう、悪いものが罰せられるっていうのは、昔から人気じゃないですか。そこは人間の脳の快楽があって。あと、SNSでバッシングしたり。
森上:それ今、ずっと思っていて、SNSのバッシングなんて、それだよね?全然関係ない芸能人の不倫のニュースを一般人がマジで怒っているって、普通おかしいよね。怒っているっていうか、叱っているっていう。正義を振りかざして。
寺崎:そうそう。それは処罰感情の充足というかたちで脳が報酬を得ているんだって。
森上:なるほどね。気持ちいいからやっちゃうんだ。
寺崎:気持ちいいからやっちゃうの。そうなんですよ。
叱る側と叱られる側における
「権力の非対称性」
森上:その論理はわかるけど、叱られている側には何のメリットもないか。俺も叱られたことはあるけど、言葉のニュアンスとか・・・、危害は与えられたことはないですよ、暴力とか。それはないけども。その意図というのをこっちが受け止めて、そこで改善するきっかけにはなった覚えがあるんですよ。
寺崎:愛のムチ?
森上:まあ、愛のムチって言うのかな?暴力とかはないけども、言葉として指摘されたこと、叱られたことがそんなにマイナスにも働かないような。それこそ危害を与えて、何かするってなったら、本当にそれはヤバいと思うんだけど。トラウマになっちゃうからヤバいと思うんだけど。叱り方次第なんじゃないかなっていうのが俺の中ではあるんだけど。
寺崎:そうだね。それはこの本にも書いてあって、最後のパート4っていうのが「〈叱る依存〉におちいらないために」っていうことなんですけど、その部分では正しい叱り方っていうのかな。そういうようなことが解説されています。
森上:そうだよね?叱ることが悪いことではないわけでしょ?でも、さっきは叱られる側には何のメリットもないって言っていたよね?
寺崎:やっぱり叱られたことがよかったっていうのも、みんなにあるじゃん。それは危ないぞって言っているんですよ。
森上:それは逆に自分が叱る側に立った時にヤバいぞって話?
寺崎:そうそうそうそう。叱る側と叱られる側には権力の非対称性というのが前提条件としてあって、結局権力持っている方、例えば、子どもが親を叱らないでしょ?生徒が先生を叱らないでしょ?
森上:たまにダメ親が子どもに叱られているのも見たことあるけどね。
寺崎:(笑)。
森上:言わんとしていることはわかるけどね。いわゆるパワハラって全部そうじゃない。権力を持っている方がみたいなところからはじまって、絶対的な立ち位置から圧をかけていくっていう。
子育て世代の悩みから生まれたヒット
寺崎:この本は日経の「ベストセラーの裏側」に取り上げられていて、それで知って買ったんだけど、そこでこんな分析をされていたんだけど、これまでの本っていうのは怒りのコントロール方法を伝えたり、テクニックとか、道徳っていうところだったんだけど。
森上:アンガーマネジメントを含めてね。
寺崎:うん。この本は「もう叱ることに効果がないよ」って打ち出した点が注目されたのではないかと版元の方が分析されていましたね。
森上:版元というのは、紀伊國屋書店の?
寺崎:紀伊國屋書店の。担当編集の方が産休中に子供を叱ってしまうことに悩んで、執筆を依頼したらしいんですよ。で、この本が出たら、同様の悩みを抱える子育て世代がまず反応して、そのあとにビジネスパーソンとかに広がったと。で、Twitterで、「叱るのをやめよう」とか、「叱らない子育てとかじゃないのがいい」っていう呟きが拡散されたんだって。それが増刷に繋がったって書いてあった。
森上:その本では「叱らない子育て」ってしていないよね、確かに。
寺崎:『〈叱る依存〉がとまらない』っていうね。だから、叱る人を攻めないタイトル。
森上:そうだね。それは1つの病気だよと。依存症だよっていうことなんだね。叱るっていうのは依存なんだってことが、頭に入っているだけで考え方は変わってくるかもしれない。
人を罰することの前時代性
寺崎:そうだね。あと、深みが出ているなと思うのが処罰で人をコントロールしようとする社会システムにまで言及しているんですよ。麻薬をやっちゃった人を罰するとか、少年法が厳しくなったとか。それって国際的な話で言うと、遅れているらしくて。罰を与えても反省しないっていう。
森上:それは叱るっていうこととニアイコールなの?罰っていうのは。
寺崎:ニアイコールで語られていますね。人によってはちょっと飛躍があるんじゃないかって感じる人もいるかもしれない。
森上:例えばよくあるのが、よかれと思って叱る。罰は特にないんだけども、強いアドバイスというのはどうなんだろう?罰を与える、与えないじゃなくて普通にコミュニケーションによって、アドバイスと思って叱るっていう時は。口調は叱るという圧をかけないかたちで言うのがベストってことなのかな?
寺崎:そうですね。
「ニューロダイバーシティ」という考え方
森上:叱るとアドバイスの境界線というのはあるのかな?言い方の問題なの?
寺崎:「自分基準を捨てなさい」っていうことが書かれていて、この著者は発達障害のサポートをされているんだけども、その中でニューロダイバーシティという言葉があって、日本語に訳すと、脳や神経の多様性ってことなんだけど。これまでやっぱり発達障害とかそういった方は障害と言わるわけだけど、それを障害とか才能っていう、優劣の視点ではなくて、脳や神経の働き方に由来する情報処理スタイルの才として捉えるというのがニューロダイバーシティで、そこまでいくと、やっぱり叱るっていう事の正義というか。違うものなんだということが書いてあるんだよね。
森上:なるほど。もしかしたらこれは言い方を変えると、百人が百人とも障害を持っている人たちと。だから、多様性の時によく言われるものだと思うんだけど、普通とは何かとなった時に、普通の脳の人にはとか言うんだけど、そもそも普通なんだっていう。そこに関わってくるのかな?
寺崎:この著者の言い方で言うと、「自分の経験や一般論だけであるべき姿を決め付けることはできない」と。「自分の思うあるべき姿を疑い、本当に妥当なのかを検証し続ける姿勢が求められる」ということを言っています。
森上:なるほど。自分が普通だって、当たり前に正しいって思いこんじゃいかんぞっていう感じなのかな?
寺崎:そう。で、やっぱり叱る側って権力を持っているから、「お前、こうしろ!」みたいなことになるじゃん?そもそもそれってどうなのっていう話なんだよ。
森上:その言い方でしょ?強い言い方はだめみたいな。「こうしたほうがいいと思う」みたいな。
寺崎:それは叱っていないもんね。
森上:そうそう。叱るの定義を知りたいよね。
そもそも「叱る」の定義とは?
寺崎:でも、叱るの定義って結構激しいんですよ。辞書的な意味でも。例えば、大辞林だと「目下の者に対して相手のよくない言動を咎めて、強い態度で攻める。」
森上:なるほど。
寺崎:広辞苑だと、「目下の者に対して、声を荒立てて欠点を咎める。咎め、戒める。」
森上:なるほど。じゃあ、言い方のニュアンスだな。
寺崎:やっぱり叱るって攻撃的なんですよ。
森上:なるほどね。圧があるんだね。ハラスメント問題って色々とあるじゃなすか。ハラスメントの領域とか境界線みたいな。
寺崎:受け手がそう受け止めたらハラスメントだと。
森上:そうそうそう(笑)。それも含めてなんだけど、そこには関係性っていうのもあるだろうし、それに合った話し方と言うか、伝え方っていうのがあるのかもしれないよね。
寺崎:よくビジネスで感情を出すのは負けだとは言うけど。でも昭和世代からすると、「バカヤロー」とかさ。
森上:まあ、俺たちは言われてきたから。
寺崎:言うのも別にいいかなとか思う時もありますよね。
森上:でも、そういう時代でもないですよって話なのかな?社会はみんなそこを積み上げてきて学んだものの最新が多様性なわけでしょ。
寺崎:『浅草キッド』の「芸人だ、ばかやろう」ってね。
森上:(笑)相手がファイティングポーズをとってきたから、「芸人だ。バばかやろう」って言ったわけだもんね。それとこれとは違うけど。
寺崎:土屋さんは結構お子さんには叱ったり、厳しいんじゃないですか?
土屋:僕は結構言いますけどね。言っていて「いいのかな?」とはすごく思いますけど。気持ちの問題もあるのかなって気がしますけどね。例えば、扇風機に手を突っ込もうとして、「危ない!バシッ」みたいな。
寺崎:それは大事。それは必要って書いてあった、この本にも。
土屋:それは愛情じゃないですけど、その子のためを思ってというか。
森上:それはそうだよね。そこで、「あー」なんて言っていられないよね。
土屋:「どうぞ、どうぞ」とかね(笑)。
森上:(笑)。
寺崎:俺は子どもをほとんど叱らないんだけど、さっきの定義で言う、声を荒げたりしないんだけど、1回だけ海外旅行に行った時に子どもがセーフティボックスをいじろうとしたんだよ。開かなくなっちゃうじゃん。ちょっと俺、興奮気味にさ、「ダメだ―!」とか言ったの。そしたら、次の日から娘が、「これ、触っちゃダメなんだよね。ダメなんだよね。」って言って。だから、学習効果はあるな(笑)。
森上:(笑)。学習効果はあるけど、それは学んでやっているのか、この先生曰く、それは恐怖の方が先に来ている。
寺崎:ちょっと怖がらせるぐらいに言っちゃったの。怖がっていた、その時。
森上:そうだよね。「これは触っちゃダメなのよ。なぜならばね~」って、そういう丁寧な説明があって然るべきだっていうのが、村中先生の言っていること。村中先生は臨床心理士ですね。その視点から語ってもらうっていうのはすごく説得力があるというか。
寺崎:すごく丁寧な本ですよ。後ろに論文の引用元もバーッと載っていて。
森上:本当だ。かなりのエビデンスをちゃんと。
寺崎:すごく丁寧に作られています。
森上:なるほどね。いい本ですね。ありがとうございます。うちにも『怒らない技術』という本がありますが、アンガーマネジメントの本ですけど。
寺崎:滑り込み宣伝だ。
森上:滑り込み宣伝で、一応言っておきます(笑)。
土屋:そんなところですかね。ということで、今日はここまでとさせていただきます。森上さん、寺崎さんありがとうございました。
森上・寺崎:ありがとうございました。
(書き起こし:フォレスト出版本部・冨田弘子)