![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168936727/rectangle_large_type_2_67cb19963476769ff7b88cff16c18f97.jpeg?width=1200)
【まえがき全文公開】なぜあのキャラは死ななければならなかったのか?
こんにちは。フォレスト出版の美馬です。
マンガやアニメが好き、夢中になる人には、必ずと言っていいほど”推し”のキャラクターがいるのではないかと思います。
アクション作品であれば激闘の末の戦死、ロマンス・青春作品であれば大切な人の病死などが多くあげられるでしょうか。”推し”が作中で死んだとき、かなりダメージをくらいませんか? すごい喪失感ですよね。
ちなみに私の三大号泣(喪失感がすごかった)作品は『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006年~/サンライズ制作)、『CLANNAD』(2007年~/Key、京都アニメーション制作)、『Angel Beats!』(2010年~/P.A.WORKS制作)です。私の死生観をつくった作品の数々です。
ただ、しょせん架空の物語、現実にはいない人物たちが死んだだけです。それなのにどうしてこんなにも私たちの心を揺り動かすのでしょうか? 社会の変遷と照らし合わせて考察した1冊があります。
それが、新刊『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか? 名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』(浦澄彬・著)です。
あるキャラクター「死」は、誰かの「生」を繋いでくれた感動的なものだったり、憤りを感じるくらい惨たらしくて救いようのないものだったり、その描写はさまざまです。
本書では、アニメやマンガ作品のキャラクターの死の描写を取り上げて、その背景を大胆に探っていきます。
***
かの有名なシャーロック・ホームズは、熱烈なファンの声により作中で生き返っています(厳密には続編で死んでいなかったことになった)。
『あしたのジョー』の力石徹は、彼の死を悼んだファンの力によって現実に葬儀が行なわれました。
『北斗の拳』のラオウが自死する際のセリフ、「我が生涯に一片の悔いなし!!」は、死に様の言葉として広く知られるようになりました。
このように、実在の人物の生死が社会的に意味を持つのと同じように、物語のキャラクターの死を悲しんだり、その死の意味を考えて論じられたりしますよね。
じつは、キャラクターの死は、現実に生きている私たちにとって、大切な何かの代理だと言えるようなのです。
いつもとは違う視点から作品を読み解いていくことで、また違った楽しみ方ができるので、マンガ・アニメ好き必読の1冊です^^
【本書で考察した作品の一部例】(アニメ放送開始年順)
あしたのジョー/ルパン三世/海のトリトン/科学忍者隊ガッチャマン/宇宙戦艦ヤマト/フランダースの犬/さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち/機動戦士ガンダム/北斗の拳/タッチ/美少女戦士セーラームーン/新世紀エヴァンゲリオン/GANTZ/涼宮ハルヒの憂鬱/時をかける少女/らき☆すた/けいおん!/魔法少女まどか☆マギカ/STEINS;GATE/ソードアート・オンライン/氷菓/進撃の巨人/響け! ユーフォニアム/鬼滅の刃/機動戦士ガンダム 水星の魔女/チェンソーマン/グリッドマン ユニバース and more…
***
本日は特別に本書の「まえがき」を全文公開します☆
キャラクターの「死」をファンの力でなかったことにする、という噓のような話があった。アニメやマンガに先立つこと数十年前、20世紀初頭の英国、ロンドンの名探偵が、熱心なファンの力で生き返った。
言わずと知れた、名探偵シャーロック・ホームズである。世界中で一番有名な英国人であるホームズ(もちろん架空の人物だが)は、「最後の事件」で一度は死んだのだが、その死をファンは許さなかった。作者のコナン・ドイルは、ホームズを死なせてこのシリーズを終わらせたつもりだったのだが、熱烈なファンの声に負けて、ついに彼を生き返らせた。正しくは、死んでなかったということにして、シリーズを再開したのだ。
このように、あるキャラクターが多くのファンに愛されていて死んでも死なないという例が、20世紀初めにはすでにあった。やがて日本でマンガやアニメが発達すると、物語中のキャラクターの死が社会問題になったり、ファンの求めによって死ななかったことになったりする。
だが、ちょっと待ってほしい。キャラクターの「死」とは、もちろん現実のことではなく、物語中の「死」なのだ。いくら熱心なファンとはいえ、キャラクターの生死がそこまで重大な問題になるというのは、どういうことなのだろう?
実際にアニメやマンガのキャラクターの死が、ファンにだけでなく世間でも広く知られたり、重要な意味を持ったりすることが繰り返されている。
例えば、昭和の人気ボクシング作品『あしたのジョー』(原作:高森朝雄、漫画:ちばてつや、1968年連載開始)で、主人公の矢吹丈よりファンが多かったとされる、ライバルの力石徹の場合だ。力石はジョーとの宿命の対決試合で激闘の末勝利した直後、試合中にジョーのパンチが原因で受けたダメージのせいで、突然死んでしまった。ところがなんと、マンガのキャラクターなのに、その死を悼んだファンや当時の文化人が企画して、力石徹というマンガキャラクターの葬儀が現実に行なわれたのだ。
また、主人公のジョーも、マンガ最終巻のラストシーンで世界チャンピオンに挑んだ試合の直後、「燃えたよ…まっ白に…燃えつきた…まっ白な灰に……」の名セリフとともに、まるで死んでしまったかのような描写となっている。このジョーのラストは、はたして彼が死んだのか生きているのか不明なまま余韻を残したため、今でも読者やアニメ視聴者の間で議論が決着していない。
さらに、同じく昭和を代表する作品の1つ『北斗の拳』(原作:武論尊、作画:原哲夫、1983年連載開始)の主要キャラクターであるラオウも、その死が長く語り継がれている。主人公ケンシロウとの激闘の末に自死する際のセリフ、「我が生涯に一片の悔いなし!!」は、死に様の言葉としてネタに使われるほど、広く知られている。『北斗の拳』を読んだり視聴したことがなくても、このセリフは知っている、という人は少なくないだろう。
このように、実在の人物の生死が社会的に意味を持つのと同じように、物語のキャラクターの死を悲しんだり、その死の意味を考えて論じたりするのはなぜだろうか? キャラクターの死は、現実に生きている私たちにとって、大切な何かの代理だと言えるかもしれない。アニメやマンガのキャラクターの死を取り上げて意味を探り、架空の人物の生死が私たちの心をなぜ揺り動かすのか、本書で掘り下げて考えていく。
まず第1章で、二〇世紀の名作アニメを中心にキャラクターの死の描写を紹介する。第2章では逆に、近年の〝死を描かない〟人気作品の例(具体的には京都アニメーションの人気作品)を掘り下げて考える。第3章では、社会現象となったキャラクターの死について、前述の『あしたのジョー』や『タッチ』などを取り上げて深掘りしてみる。さらに第4、5章では、時代が変化するにつれてそのキャラクターの死生観も変わってきていることについて、令和以降の作品を紹介しつつ考察していく。
あなたの”推し”の死がどんな社会的意味を持っているのか考えながら、ぜひ読んでみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
![](https://assets.st-note.com/img/1736154855-K02wrkTfiaZQHhtjpyYdOACz.jpg?width=1200)