東海道五十三次徒歩チャレンジ 7~8日目
東海道五十三次完歩の備忘録。
概要は下記。
7日目
6/7、チャレンジ7日目。
前日に恩人のぬいぐるみを失くしてしまい、罪悪感に押しつぶされそうになりながらスタート。
ここで「探しに戻ったりせずに、そのまま京都に向けて歩き続けてね」と言ってくれた友人に感謝。ほんと懐がでかい。
袋井宿~見付宿間は住宅街/国道沿いが多いため、景色的に楽しいとは言い難いんだけど、上記のちょっとした坂道を登り切った先で突然
マンションの横にあるちょっとした雑踏からこの子が飛び出してきた。
生まれてこの方見たことない方過ぎて「イノシシ?」とか思ったけど、にしてはスタイルが良すぎる。誰なんだ君は。
近くで見るとイノシシとかよりも昔見たオカピみたいなフォルムしてるな、、とまじまじ凝視してたらあっという間に知らぬ家屋の植木の中へ消えてしまった。
正体が掴み切れずむむぅとなっていたら、如何にも農作業してました!みたいな地元の方がいたので、写真を見せながら訪ねてみるとどうやらこの子は「カモシカ」らしい。どうやら最近近くの山で再開発が始まり、ここ数ヶ月で民家にも顔を出すようになったとのこと。
カモシカ、名前は聞いたことあるけど初めて見たな、、東京帰ってきてから知人に見せたらまぁまぁの人がカモシカって判別してた。僕が無知なだけでした。
カモシカくらいしか特筆すべき内容がなかったけど、袋井宿から17kmくらいあるいてようやく見付宿に到着。
次の浜松宿までもまた11km近くあるので、また一歩一歩進み続ける。
見付宿から10kmくらい歩いて、浜松宿へ到着。
前々日に宿泊していたホテルから電話があり(ぬいぐるみの落とし物ないか問い合わせてた)、まさか見つかったか⁉と期待するも「該当のものは見当たりませんでした」とのこと。無念。
浜松宿は浜松駅の真横に位置しており、お店も人通りも多め。
折角なので名物ぽいもの食べようと思ったら、”しらすかけ放題”を銘打ったパスタ屋さんを発見。
浜松と言えばしらすかぁと早速入って注文すると、「丁度いいとこでストップって言ってくださいね~」の合図と共に目の前で店員さんがわんさわんさと乗っけてくれるスタイルのお店だった。一人だしなんか強情な人だと思われたくないなと思い、常識的なところでストップ。こういう時に周り気にせず山盛りに出来る人になりたい。
あと調べたら普通に東京にもあるチェーン店だった。むーん。
パスタ屋さんと同じ施設内に、なんだかアメリカンなお店を発見。
昔の有名映画をテーマにしたピンボールとかグッズが置いてあり、少しだけ物色。
お腹も気力も満たされ更に進む。
東海道五十三次は日差しや風雨から歩行者を守るために街道に松並木が建てられており、今もちょくちょくその名残が残ってるけど、この舞阪橋の松並木は距離も長いし雰囲気もあって中でも結構印象に残ってる道。
松並木を抜け少し歩くともう舞坂宿。
左に向けば海で右に向けば浜名湖と贅沢なロケーション。
気が付けば浜名湖へ到着。この日は巡った宿は少ないものの距離が長い宿間が多く、この先行くと宿泊が難しいエリアになるため、この日はここらで宿を取る。
この舞阪宿を少し行った先の弁天島には、宿泊施設が2つある。
一つはナイトプール付きのネオン輝くリゾートホテル。もう一つはバブル期に栄華を誇ったものの、今は前述のホテルに客を取られてしまい中国人観光客しか泊まらないここ「開春楼」by近くのバンドスタジオ店主。
貧乏旅の身分でリゾートホテルなんぞに泊まれる訳もなく、迷わず開春楼へ。
ある種、今回の旅で一番思い出に残った宿はここ開春楼だった。
長所短所をまとめたので、今後検討される方の参考になれば。
<長所>
・窓を開けばオーシャンビュー。多分どこの部屋でもそう
・とにかく広い。一人部屋だけど3LDKくらいで内風呂もついてる
・スタッフさんが懇切丁寧。日本人じゃない方も多々見かけたがコミュニケーションに問題はなかった
・お客さんがほぼ外国人。大浴場とか行くと外国旅行してる気分になる
<短所>
・部屋と海岸が近すぎて、夜に散歩してる人の声とかダイレクトに聞こえる
・全体的に薄暗くて埃っぽい。朝起きたら3か所くらいダニに刺されてた
・周りにご飯食べれるとこが異常に少ない。夕食なしにしたら要注意
・朝食バイキングが誰もいなさ過ぎて不安になる。スタッフさん一人くらいは欲しい。
上記に書いた通り、近辺に飲食店はほぼ存在しないため「今夜はコンビニ飯か,,,,」と肩を落としていた時に、お好み焼き屋の旗を掲げたワゴンを発見。
どうやら近くのバンドスタジオの店長さんが、副業として気まぐれに地元名物のお好み焼きを振る舞っているとのこと。
とは言え立ち寄るお客さんは観光ついでの外国人が殆どらしく、「日本人であそこ(開春楼)泊まるなんてめずらしいねぇ」とややべらんめぇ口調でこのあたりのことや、バンドマン時代の話を聞かせてくれた。
8日目
6/8(土)、8日目スタート。
お腹は空いてないが、そういや朝食バイキングがプランに付いていたなと思い出し会場に行くと
見事なまでにがらんどう。
このホテル、こんな感じで自分だけコールドスリープで生き残った終末感を味わえるのでおすすめ。
思い出深い開春楼を後にして、海に沿うように7日目徒歩開始。
新居宿までは海岸沿いてわけではないが、ちょくちょく海が視界に入ってきて歩いていて楽しい道のり。
新居宿は宿と言いつつ関所が主人公(箱根関所みたいな感じ)。
軽く関所跡と付近の建築物を見て、また徒歩再開。
続いて白須賀宿。
なんか「ここは白須賀宿!」て記載されてる範囲が広かった印象。「もう白須賀宿か」から「まだ白須賀宿?」て感じ
いろんな白須賀宿の中には下記のような記念館的なのもあった。
中にはご年配のスタッフさんが一人おり、定年退職したけど色んなとこ旅行したいからその資金貯めのためにここでバイトしてるとのことだった。
物腰柔らかくていい感じのおじさんとの会話で癒されつつ、白須賀宿を後にする。
今回の旅路では、東京では考えられないくらいの人に声を掛けていただいた。
ヒッチハイク系Youtuberみたく「東海道徒歩挑戦中!」みたいな紙を貼って歩くみたいなことはしなかったが、大きいバッグを持ってるからか「どっから歩いてきたの?」「京都まで行くの?何日目?」と話しかけていただいたり、ちょっとしたお菓子なんかを恵んでもらうことも多々あった。
白須賀宿を出た少し後にも妙齢の2人組に話しかけていただき、「えらいねぇ」「足痛くない?若いねぇ」と称賛のお言葉を浴びていい気持ちになっていると、
なんかあっても神様は見てくれてるから、、みたいな言葉と一緒にこれを渡されてしまった。
こういった人をそれとなく避けるべく東京ではビンビンに働いていたセンサーが、これまでの旅路で微調整が必要になっていたみたいだ。
生憎無宗教論者のため、ありがとうございます~と足早に去った。
このあたりは全然人もいなけりゃ店もなく、完全に「車ないと話にならない」エリアだった。
日差しに照らされながらもなんとか歩を進め、33番目の宿である二川宿へ。
ここも駅などからも遠く、今は住宅街て感じの宿場町。
少し脇道に入ったとこには二川資料館が。
資料館よりも丁寧に手入れされてるお庭が印象的だった。
小道を抜けると定食屋さんが。
お腹は空いていたものの、日差しのせいで夏バテ気味になっており、食欲が激低だったので田楽だけ注文
次の吉田宿までは10kmほど。
特に見どころのない道だったため、今日の晩御飯を手羽先にするか味噌カツにするか悩みながら歩く
吉田宿はホントにこれしかそれっぽいものを見つけられなかった。
場所でいえば豊橋市の中心に位置するので、そこそこ賑わっていたけど東海道PRはほぼなし。
夜も更けってきたので、東海道を少し外れて諏訪町のコンフォートホテルにチェックイン。
初の愛知飯にありつけるかと思っていたものの、辺りには地元民しか入店を許されなさそうな居酒屋しかないため止む無くスーパーへ。
しかしまだ20時過ぎだというのにお惣菜やお弁当コーナーはほぼ完売状態。
なぜかはわからないけどここのスーパー、やたら業務用のお菓子と海外商品が多かった。外国人観光客/労働者が多い土地なのかしらん。
そんなこんなで8日目終了