
「他人の心がわかる」
なぜわれわれは他者とわかりあえないのか…
「茂木くん、教養とはね、他人の心がわかるということなんだよ」
茂木君!と呼びかけれる方は養老孟司氏です。茂木君は茂木健一郎さん。
きょうよう【教養】
学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。
教養学部とは、大学における学部の一形態。総合的なものの見方・考え方・柔軟な理解力・思考力などの実践力を身に付けたジェネラリストを養成する。
ゼネラリストとは?
ゼネラリストとは、幅広い知識に精通した多角的な視点を持つ人材のことです。
次々と飛躍ます。失礼ながら常々「話せばわかる」はうそだ!とお聞きしたはずだった…
"他人の心がわかる"とわかりあえるとはまったく別ですが…
そもそも、欧米における大学の歴史においてはリベラル・アーツ教育(一般教養)こそがむしろ大学教育の本流で、専門教育は一種の職業訓練に過ぎないと考えられて来た。
ところが近年、日本の大学にはなぜ2年間の教養課程があるのか?議論になっています。
しっかりした教養を身につけていると他人の心がわかり優しい人になれるかと言えば…そうでもない。
今朝の犬散、いつもより時間が早く、アレチマツヨイグサの花がまだしおれず咲いていた。
「竹下夢二」の待宵草とは種が異なる。
鉄媒染で木綿に濃い紫色が染まる。花が終わる頃、茎・葉を利用。
恩師の口癖だった。
優しい先生だった。
教養のある方と言うより一つの専門職のトップだったといえる。
コツコツ勉強することは謙虚になれる。知らない事は勉強するほど多い。
大学の教養課程の時間は社会に出ると大切な時間だった事に気付く。人生の夏休みだった。
後悔のないよう…実はじっくりと本を読む時間だった。ゆえに、キャパシティーは人によりかなりの差が出てくる。
本はメガネを必要とする前に読みなさい!
コレは先達の忠告です。
