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「#手織り」で544件。手織りを続けられる理由は何?
#手織り〇〇で42件
機を織りながらnoteを書いている方々も多い…
手織り人口は潜在して意外に多い。
機(はた)に座ると遺伝子の記憶が呼び覚まされるような喜びを感じます。
私たちの祖先は、寒さをしのぐための衣服や、収穫物を保存するための袋にするため、布を織りました。この布を織るために考え出されたのが、機です。
日本人が、もっとも古くから付き合ってきた機械、それが機です。
何が言いたいのか…
たくさんの方々(大学・教室・ワークショップ・出稽古)と関わって来たのですが、ライフワークとして織り続けている方は極めて少なかった。
力不足だったと反省もある。私は最初から原始女性のように家族の使う布を織りつづけたいと思った。すると太陽のように輝けると信じた。
"機の前に座りたい"と願望は叶っても織るまでの過程の辛気臭い仕事にガッカリしたのか…
駅で電車に乗り急ぐ人を眺めながら数分の時間を惜しまなくても1000本の糸を手繰るも続けているといつかは終わると呟く。
道具・環境・経済・時間等は確かにPC一台とネット環境があれば即座に収入に繋がる今の時代に逆行しています。
手織りにもブームがあり、デパートでも機を売った時期がありましたが定着しなかった。
一家に一台のミシンもなく、雑巾も安価に売っている。
しかしながら…
手織りはなくならない。
日本各地には(例えば大島紬など)地機で伝統を繋いでいる織物は数多い。糸・道具・染色・製織それぞれに完成された織物です。
私の場合は家庭のカーテンやエプロン、布巾、スリッパ、傘などごく身近な布を織りたいと思った。
洋服や着物(コスチューム)も織って仕立ててみたけれど、毎日使っても飽きない布を試したかった。
実際、お弁当風呂敷を学校を卒してもまだまだ使い続けている。
母親は拙い着尺も着物にしたててくれていた。亡くなってから姉から送ってきた時、不思議な気持ちと布から勉強をさせてくれた親の愛情が伝わってきた。
学生時代から憧れたのはデンマークの家具のような機織り機に、マリメッコの個性あるストライプはフィンランドのテキスタイル。
恩師に言われつづけられた"自分の織物"のイメージです。
木綿・麻・羊毛・絹の天然繊維を使ってさらにそれらを交織して別の触感をもつ布を織る…
染料は化学染料・植物染料こだわりなく用途により重ねたりして使っている。
側に置いて気持ち良い家具(デンマークの家具は机の引き出しの中まで面取りをしている)のような織り機を今も使っている。
北欧4カ国のデザイン研究をしつつ生活して(スウェーデン)自分の目で見た北欧デザインの美しさの秘密を勉強した。
クリーニング屋のおばちゃんも肉屋のおじさんも美意識を持っている。
私のノートPCから世界中のweaverにつながって情報も得ることが出来るようなりました。
noteも翻訳して世界共通の場が出来ると発想が広がるに違いない…と思う。
自然環境の恵まれた小さな島や山中で織るweaverは多くいる。自分の織り物を持っている。
長々生きて(織って)きて最近、(突然戦争が始まって、身内としばらく暮らしていた)機に経糸をかけたまま座ることができなかった。
やっと織り始めることができた時、違和感があって機にかけて織っていた部分を機から下ろした。
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朝、空を観るのが日課です。
今朝見上げると「あゝこの空は私が織りたかっだ布だった。」
木綿棉を手で紡いだ糸はその時の感情をあらわに出して、長々織ってきた二重織は私の二重織。
どこにもない二重織が出来た…のです。
どこかからやってきてどこかに消えた雲のように今や、誰にどこで認められることの必要もなく…出来た!とやっと思う。