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言葉に救われて生きている僕 ~1~

こんばんは。今日もお疲れ様です。ご覧いただきましてありがとうございます。

今回は以前の自己紹介のnoteにて「言葉に救われた」旨を書かせていただいたのですが、欠片も詳しく書いていなかったので今回かける範囲で書いていくつもりです。

もしよろしければ、↓にある自己紹介のnoteを読んで頂ければ嬉しいです!

長文・駄文になるかと思いますので、お時間があるときに読んでもらえたら嬉しいです。


生い立ち

 僕は関西の田舎出身でした。コンビニよりも駄菓子屋さんが近くにあって家の周りには溜め池や田畑に囲まれていました。コンビニに歩いていけば30分はかかるぐらいでしたので、体感的にはめちゃくちゃ…という程ではないにしても、田舎だなと思っていました。電車も一時間に多くて2,3本だけでした。あんまり治安の良い地域では無かったと思います。

 家族環境も最初の頃は別に珍しいことは無かったと思います。父と母、僕と兄が一人の四人家族でした。母は専業主婦で父親が働く、別に珍しくもない家庭のはずでした。強いて言えば父親の神格化とでも言えばよいのでしょうか。父親に意見したり反対することは難しい環境でした。父親にとって望む返答でなければ母も子も関係なく殴られたり蹴られたりしました。母親もヒステリック気味で幼少期から酷く当たられたこともありました。両親ともに僕らを家に置いてギャンブルに向かうことも少なくありませんでした。
 
 そんな環境の中で死にたいと思ったことが無いわけでは無いです。幼稚園の頃、初めてそれを親に言ったこともあります。その時の両親の悲痛な顔はまだおぼろげながらでも覚えています。しかし、それからも別に両親の対応は変わることも無く、毎日は過ぎていきました。
 正直、今でもたまに死にたいと思うことはあります。ただ、それはネガティブなものでは無く、経験としてしてみたいと思うもので、それが叶わないことを知っているため実現していないだけです。今はただただ生きてみたいと思っています。僕が死ぬのは幸福が絶頂の時だと決めています。

小学校

 僕は小学校が嫌いでした。というか今も嫌いです。思い出すと懐かしくて胸の奥が締め付けられますが、戻りたいとは思わないです。友達も別に他の人よりは少なくパッとしない為中々酷い言葉もかけられるような人間でした。
 元々体も病弱だったので割と休みがちでした。体がしんどくて休むこともあったし、心がしんどくて行きたくなかった時もあります。今思えばあれは甘えだったのかもしれませんし、何かしら自分から出たSOSのシグナルだったのかもしれません。ですが、休む度に父親と母親は機嫌を損ねました。
当たり前なのかもしれません。子どもは学校に行って勉強するのが普通なのでしょうから。

 学校に行っても基本的には自由に過ごしていました。少ないながらも友達はいたので、それなりに退屈はせずに楽しんでいました。授業中は先生の話もまともに聞かないで教科書を先に読んだり、図書室で借りた本をこっそり読んだり……。ハッキリ言って生意気でした。

それでも唯一学校に行くのが楽しかった時期は6年生後半の時です。その時は同じクラスに好きな子がいたので毎日その子と話すことが楽しみでした。割と近くの席になることが多くて、いろんなことを話していたと思います。好きなアニメの話、漫画や普段の日常の話とか。子どもながらに好きでした。別に告白なんてしなかったし、それ以降出会うことは今に至るまで無いのですが……。

1度目の救済

 その中で誰とも共有できなかった趣味が読書です。今でもそうですが、人一倍好奇心が強くなんでも知りたかったんです。道行く虫の向かう先や、物事の仕組み、なんでも知りたかったです。知らないことを知ることが何よりも楽しかったのです。

 読書が好きになったきっかけは4年生の夏休みでした。当時、読書感想文の本に悩んでいました。それまでは別に好きな本なんて無かったし、じっとするのも苦手でした。しかし、それを全部ひっくり返してくれるような本がありました。それが石田ゆうすけさんの『行かずに死ねるか!』という本でした。

 

 自転車で世界のあちこちに行ってみる、という内容の本になっております。タイトルの力強さに惹かれて手に取りました。手に取って数ページ試し読みすると、どんどんと引き込まれました。「平穏な人生」になると占いの女性に言われ、それに反発するように旅に出た著者は多くの出会いや出来事を体験し、リアルに迫ってくる文体でエッセイを書き上げています。

 それから買って帰り、家についてすぐに読みました。病気で血尿が出たり、知らないところに飛び込む不安からホテルから出られなくなったり、現地の人たちとの楽しい出会いも、砂漠の中で強盗に襲われた心臓が凍り付くような出来事も、どれも目に浮かび、一緒に旅をしているような気分になりました。

 この本が全て僕の中ではとても大きな分岐点でした。知らないことを本で知ること、知らない場所に飛び込んで知らない人と会話する楽しさ、世界の広さ・愉快さを教えてくれました。それからというもの、自分の中でいつも「まあ死ぬわけでも無いし、痛手にはなることは無いな」と思うことが増え、なんでもやってみようと思うことが増えました。

 まあそれからは学校に行くことも増えたり、友達と遊ぶことも増えたりしたわけなんですが、この経験を誰かに話すのは何だか嫌で学校では誰にも言いませんでした。自分の内側にある素敵な経験をまだ独り占めしていたかったんです。でもそれが一つ、僕の中で良い原動力になりました。

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最後までお読みいただきまして誠にありがとうございます。
実際にはもっといろんな出来事があって言葉に救われています。
今回はそれの一つ目の出来事なのですが、それからも中学・高校にも段階を踏んで救われて行きます。

少しずつそれらも書いていければと思います。
今回は最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

どうか健康にはお気をつけて、少しでも素晴らしい人生が過ごせますように。


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