川本三郎著『マイ・バック・ページ』を読んで考える
今回はほとんど森のこととは関係がない、”一見、森にまつわらない”記事シリーズ。川本三郎著『マイ・バック・ページ』(平凡社刊)を読む。
タイトルはあのボブ・デュランの曲の名で、好きなジャズピアニスト、キースジャレットもカバーした。映画化もされており、じつは映画を先に観たのだが、1970年前後の学生運動とそれを追う一人のジャーナリストの話である。作者は、こちらも好きな映画評論家、川本三郎さん。
まだ生まれるか生まれていないかの1970年前後の学生運動に、シンパシーや関心をもってしまうのはどうしてなのだろうと時折、考える。そして、そんな学生運動のことを、やはりシンパシーを感じていた映画評論家の川本三郎さんが書いた、ということで興味を抱かずにはいられなかった。さらにタイトルが、せつなさと哀愁が刻まれた名曲「My back page」(わたしはボブデュランの原曲よりもキースジャレットのカバーで知り、好きだった)。数年前に上映された映画は松山ケンイチと妻夫木聡のW主演で、これはこれでおもしろかったので、原作本を古本屋で見つけ、即、購入したというわけ。
ところで、キースジャレットが弾く「My back page」はせつなくてカッコいい(上の『SOMEWHERE BEFORE』という初期のアルバムに入っている)。デュランの原曲もあまり取り上げられることがないような気もするが、とにかく好きな曲だ。それをタイトルにした川本三郎さんも、以前、『キネマ旬報』という映画雑誌を読んでいた頃に知った好きな映画評論家だった。
映画はある若手のジャーナリストと学生運動の活動家との間に繰り広げられる物語りだったはずだが、「良かった」という印象以外はすでに記憶がなかった。しかし、原作者の川本三郎さんが元朝日ジャーナル(かつての硬派雑誌?であり、あの筑紫哲也さんが編集長を務めたことがある)の記者であり、ご自身をモデルに書かれたものだと知り、とても驚いた記憶がある。
1970年前後といえば、学生運動、フォーク、ロック、アングラ演劇、ジャズ喫茶、文学、詩、アート・・など、若者の自由な文化が大手を振っていた時代、という印象が73年生まれのわたしにはあるが、その頃に生まれたこうした文化(カウンターカルチャーというのか?)は、いま振り返ってもいいものであったと思う。日本のそれまでの文化がまた違うステージに上がった感じがするし、庶民が中心になって作り上げ、かつ多様なものが花開いたのではないだろうか。その背景には、日本が戦争に負け、若者たちを含めた多くの人たちの間に、これからの日本をどうしていくのか、という疑問や希望、そして理想が渦巻き、エネルギーに満ちていたことがあるのではないかと思う。
さて、本書の内容は、ある若いジャーナリスト(もちろん、モデルは若き著者の川本さん)が、たまたま知った一人の学生運動家の起こそうとした行動(自衛隊の基地より武器を奪い、政治闘争を行うというもの)を、取材しながら支援することにもなる、というもの。その運動家は他の運動家からはなぜかあまりよく思われておらず、素性も明らかではないのだが、その行動への思いや彼の人柄にふれ、川本さんは取材を決め、かつ、彼の行動を間接的に支援しはじめることになる。途中、川本さんも彼がほんとうに行動を起こすのかどうか、半信半疑にもなるのだが、行動を終えた運動家から連絡が入り、その詳細を取材し、証拠の品も預かることになった。
しかし、その運動家の行ったことは、自衛隊の基地から武器を奪い、その武器で政治闘争を行う、というものであり、武器を奪う過程で基地の自衛隊員に見つかってしまい、その隊員を殺害してしまう。そして、運動家は殺人犯として指名手配され、警察に追われることになるのだが、川本さんと一緒に取材した別の記者は、彼をただの犯罪者であると捉え、警察に情報提供をすることになる。
一方、川本さんは運動家を殺人犯ではなく、思想犯だと捉え、ジャーナリストとして取材情報源の秘匿に徹する。ただ、川本さんの上司もまわりの記者もこの件について、川本さんの味方にはつくことはなく、さらに、運動家からも最後には裏切られるようなことがあったりして、川本さんは結局、殺人犯の逃亡を援助したり、証拠隠滅をしたりしたという罪で警察に逮捕されてしまう。
こうして川本さんがなぜ朝日ジャーナルの記者をわずか数年で辞め、映画の評論家としての道を歩むようになったのか、という理由が明らかになる。川本さんは逮捕後、この事件については沈黙するのだが、1988年になり、河出書房よりついに本を出すことになる。本書はその改訂版だ。
60年、70年代の学生運動や政治闘争には、その理想のようなものに反してどこか影のようなものがつきまとい、必ずしも美しい物語りとしては語られていないイメージがある。それはやはり、運動が広い意味での暴力(火炎ビンを投げたり、投石をしたりというものから、赤軍派にみられたような仲間内でのリンチ、そして、激しいアジテーションも含まれるだろう)を伴ったものであり、時の政府に「逆らう」という意味でのネガティブなイメージがついてしまっているからなのではないだろうか。
しかし、川本さんの『マイ・バック・ページ』は、そんなネガティブなイメージとはまた違った側面を見せてくれる。あの、敵か味方かわからない、なにが正しくてなにが間違っているのかわからない状況のなかで、川本さん自身も迷い、悩み、答えを探した。そんな葛藤をする若い一青年を描いたものとして、わたしは価値のある作品だと感じた。
本書の結末において、捕まった運動家は警察に川本さんとの関係を話してしまい、そのことが決定打となって川本さんは警察に出頭、逮捕されることになる。川本さん自身も、人を見る目がなかった、自分のとった行動は結果的に間違っていたかもしれない、と述べるのだが、いまとなっても彼が政治犯であり、取材源の秘匿を貫いた自分の行動は間違っていなかったのではないか、という思いも捨てきれないでいる。
若い時には人はなにが正しく、なにが間違っているのかということについて悩むものだ。それは経験の不足からくるものかもしれないし、正と不正についての思慮の不足からくるものでもあるだろう。したがって、自分の理想や思い込みで悪を善と考えたり、反対に善を悪と考えたりしてしまうこともある。ただ、そのことを「お前は間違った判断や行動をした」ということで断罪するだけでは若者の可能性を奪ってしまうことになるだろう。どう間違ったのか、どうして間違ったのか、ということを考えさせ、同じ間違いを繰り返させないのが大人の役目ではないだろうか。したがって、川本さんが運動家に対して下した判断と行動が結果的に間違っていたとはいえ、そのことでジャーナリストを辞めることになったのはとても残念な気がするし、朝日ジャーナルやその親会社の朝日新聞社にも、「人を育てる」という意識や器がなかったように思える。
なにが正しく、なにが正しくないかを考えるのは、人が生涯続けることだろう。なので、ある時になにかを間違ったとしても、「どうして間違ったのか」、「なにが間違っていたのか」ということを問い直していけばいいわけだ。当時の学生運動や政治闘争も、正か不正かの二元論ではけっして割り切れないだろう。ただ、あれだけのエネルギーをもって、おもに大学生たちが「正しさ」を主張したことに、わたしは一種、憧れのようなものを抱いてしまう。
「言いたいことはきちんと言う」。こんなことは小学校で習うようなことでもあるが、大人になったいま、はたしてどうだろう。言いたいことを言えば、叩かれたり、目を付けられたりして、どこか言いたいことを真っ直ぐに言えない空気を感じながら生きている気がする。学校でも会社でも自分の暮らす地域でも管理が進み、個人の意見が尊重されるような空気は薄まった気もする。50年前の学生運動や政治闘争がいくらネガティブなイメージで語られようとも、若者たちが思い込みや理想を追求するあまり、たとえそれが間違った主張や行動であったとしても、あの頃の「言いたいことを言う」という姿勢は人間本来のものであり、わたしにはとてもいいものに思われるのだ。
「言いたいことを言う」という姿勢をもち、ただ、その姿勢が間違っていることもあり、さらに、その間違いを受け止めたり、訂正できなかった大人や組織というものがある、ということが本書には描かれていたように思う。そして、間違いを受け止める器をもてなかった日本の社会というものが、50年後のいま、管理が進み、個人の意見を尊重することが減ったと同時に、急速にたくましさを失いつつあるような気がする。10人の人がいれば10の思いがあり、考えがある。それを一つのものにしようとなどせず、10のままであり続ける社会というものはないだろうか。そんな社会のほうがたくましく、健康的であると感じるのだが。
そんなことを本書を読み終えたいま、考えている。