サウナで汗と涙を
空前のサウナブーム。
サウナは僕にとって、いつもの日常だ。
幼少期から父親に連れられて、家族で温泉旅館や銭湯へ行くようになり、やがて中高生になり一人で地元の銭湯へ行き、僕は数多くの銭湯へ訪れた。
スーパー銭湯は楽しいし、地元の銭湯も我が家のようで好き、温泉旅館のお風呂はまさに至高だ。
僕は父と入るサウナがとても好きであった。「黙浴」なんて言葉ができるはるか昔、父に連れられ学生の僕はサウナ施設へよく行った。
ラクーアができる以前に存在した「サウナ東京ドーム」(当時、僕は中学生でお客さんの中では史上最年少らしかった)や父のホームサウナ「アスティル」(父のアスティル会員カードはゴールドであった)は本当によく行った。
当時はサウナ⇒水風呂⇒休憩なんてルーティンも知らず、サウナからの水風呂からの間髪入れずサウナが通流であった。
僕はサウナが楽しいというよりは父と浴室やサウナ内で喋ることが楽しいのであって、温度や湿度などサウナに関するファクターはどうでもよかった。僕の学校のことや応援する野球チームや最近観た映画のこと、なんてことのない親子の会話を男同士裸で語りあった。
周りの友人は思春期で親を煙たく思って会話もろくにしない子も少なくなかったけれど、僕はサウナのみならず、父親とこうやって語り合う日常が好きで僕が大人になってもずっと続くと思っていた。
でも、僕が大学三年生の頃に父が病気になっていると発覚し、父が闘病の末他界した。
僕は泣いた。多分、人生で一番泣いた。この記事を書いている今も泣きそうなくらいだ。
今もサウナへ行くが、僕はもう二度と父とサウナに一緒に入ることができないのかと思うと少し感傷的になって、涙が出てしまう。
もし父が生きていたら、今頃このサウナブームをどう思っているだろうか。父の行っていたホームサウナがいまや混んでいて文句を言っていそうだが、僕はサウナが同世代の中で流行っているのはうれしい限りだ。ただ、僕と同世代で父親とサウナに入っている光景は見たことないので、ぜひ出くわしたい。
いまやサウナ=おじさんという構図がなくなりつつあり、サウナ行こうぜと誘いやすい。僕にとってサウナは父との思い出を思い返せる場所であり、自分に向き合える最高の場所だ.
今日も僕はサウナに訪れる。
父といっしょに汗と涙を流す。
#サウナ #水風呂 #休憩
#はじめてのnote
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