現代こそ読むべき!スピノザから生き方を学ぼう!#6:アントニオ・ネグリ『スピノザとわたしたち』
結局スピノザってどう解釈されてんのよ?
いままでのスピノザ論はこちら
スピノザを超実践的に解釈しなおしたのがこの人、
アントニオ・ネグリである
この人、バリバリの左翼で、めっちゃ社会運動してたんだけど、
そのせいで獄中にいれられたことがあって、
そのときにスピノザ研究しまくって、
獄中で博士論文書いたとかいうつわもの
そんなやつが!スピノザの解釈を!ただで済ますはずがない!!!!!
てなわけでサクッと見ていこう
まずざっくりスピノザのエティカに対する理論を
ネグリがどう解釈しているか見てみよう
1 人間は存在を維持しようとするコナトゥスという力が働く
2 その力は「力能」として表現され、具体的には欲望といった形で表れてくる
3 欲望を表現できる状態に置かれると喜びが生じる
4 するとその状態を維持しようとし、
その状態を引き起こす原因に「愛」という感情が生じる
5 そしてその原因に対して力能を奉仕させていく
まぁ、ここらへんまではスピノザも言ってたなって感じ
しかしネグリはこんなところで止まりはしない
暴走特急は走り続ける
6 愛によってお互いの力能が増大する関係構築をしていく。
こうして「共通概念」というものが形成されていく
7 「共通概念」を持つ者同士は、
互いに力能を増大させる存在としてますます関係構築が進んでいく
8 そのような集団をマルチチュードと呼ぶ。
さて、ここで突如マルチチュードという言葉が出てきた
これは、ネグリの理論のキー概念であるが、
実際スピノザも使っていた用語であるらしい。
当時17世紀は、宗教戦争などによる疲弊により、
宗教ではないつながりで政治を行おうという機運が高まり、
国家という概念を重視し、それによる国際政治を作っていこうとしていた。
宗教ではない新たな統治形態
それってどう理論的に位置付けてけばいいんだろうか
その流れで、かの有名なホッブズの『リヴァイアサン』が生まれたのだ
なんとなく聞いたことがあるだろう
「万人の万人よる闘争」とかいうフレーズ
これは、国家が生まれるためのストーリーの始まりである。
ホッブズは国家の正当性をこう考えた
人間ってバカだから、野蛮人しかいないような状態だと
すぐ自分の利益のこと考えて争いをするよね
そういう馬鹿がうわーって集まっても烏合の衆だよな
それを彼はマルチチュードといった。
マルチチュードが集まってもどうにもならないよな
そこでみんなでいつまでこん争いしててもしゃーないから、
みんなの争いを調停するものを作って、利害調整してこうやと考えるわけだ
そういう頭のいい奴らが集まって、契約を結んで調停などの権利を委譲した結果できたのが国家なんだと
だから、国家の正当性は、俺たち自身がそういう契約を結んだからなんだ!
これは社会契約説とよばれるものなんだけど、
王様が神に選ばれたから国家は成り立つし、
王様のいうこと聞かないといけないんだよ
といった王権神授説よりも民主的だったから、
民衆インテリから大うけしたわけよ
ホッブズなんかもさ、そうそう、
みんなみたいな契約結べるような人たちは、
マルチチュードなんかじゃないよ、「人民」さ
とかなんとか言っちゃったりしちゃってね
それに対してスピノザは待ったをかけるわけ
マルチチュードを馬鹿みたいなネガティブイメージつけたり、
人民ってポジのイメージつけてるけど
そこは中立、ただの集団ってことにすべきちゃう?って
なんだスピノザ、学級委員みたいなこと言い出して
悪口はやめましょうってか?
もちろんそんな人権派学級委員としてそんな発言をしたわけではない
思い出してほしい、
スピノザは善も悪も力能が発揮できてるかどうかだけで決めるべきだ
としたことを。
たとえそれが暴力集団だったとしても、
それにたいしての価値判断をこちらからすべきではないのではないか!
とネグリはスピノザは考えたと思った。
実際はどうだかわからない。スピノザは結構人のこと痴愚者とかいったり、暴力的な集団のこと批判してたりするしね
ただ、ネグリにとっては、この中立性が重要だったのだ
このマルチチュードが共同で力動を発揮するためには
どうしたらいいのかとワチャワチャしていくことによって
「法」ができあがり、「国家」ができあがるからだ
だからスピノザはホッブズのように主権を誰かに明け渡すような
民主主義国家論を唱えなかった。自分たちで運営するような世界なのだ
そう考えると
「うおおおおおおお!われらがスピノザ!!」
って感じがするよな
覚えているだろうか
スピノザによる国家は、厳罰などの恐怖による感情統治であったことを
おいネグリ、ここんところどうすんだよ!!
ネグリは言う
そう、スピノザの共同体論は、
そういう危険性も含め、ゆらいでいるのが魅力なんだよ・・・と
何言ってんだこいつ?
好意的に解釈しよう
マルチチュードの中で生まれた「共通概念」=「法」によって
ようやく善悪が生じる。
この善悪は結局、諸個人の力能を発揮させるために作られたものだから、
もし力能が減少するような法なら、またどっかで別のマルチチュードができて変更していくだろうよ
ってことなのだ。
なるほど
スピノザの考える共同体は、能動と受動が一体化しているような世界だ
一昔前、親友同士を「ニコイチ(ふたりでひとつ)」みたいにいったが、
まさにニコイチの世界観だ
二人はプリキュア的なもんだろう
もう少しちゃんとした言い方でいえば、
生態系を作り出しているともいう
でだ、その生態系は現実の生態系のように一体化していながら、
そのもろもろの部分があっけなく切断されて維持できなくなったりもする
ネグリにとっては
マルチチュードがまさにそうだというのだ。
わたしたちは色々な共同体に属し、どんどん変様していく
その影響を受けて共同体も変様し、その影響でわたしもまた変様し・・・と無限にプロセスが起こり続けていく
こうやってすべてが変様していくなら、
国家も変様してけばいいじゃんってことなんだ
まぁ、理論の過程はどうあれ、結論だけみれば、
すげー普通のこといってるよな
結局ネグリがスピノザ使って言いたいことってなんだよっていうと
マルチチュード大事ってことなんよ
俺たち日本人ってデモとか社会運動大っ嫌いだよな
なんか暴力的なものもなかにはあるし、ちょっと怖い
だから、社会運動には暴力的なものはNGだよね!とか、
デモは楽しいのが一番!とか
まぁいろんな価値判断がされてきたわけよ
あさま山荘事件は「悪」だ!とかね
でもさ、そうやっていろんな活動に価値判断してくと
ぶっちゃけなんもできなくなってくよね
俺らがしようとしていることって、
もしかしたら「悪」になりうるかも・・・って
それに対してネグリはこういったわけさ
みんなで集まって何かすること自体の価値判断はやめよう!!
だってそれ自体はスピノザが言う通り、
力能を発揮するための自然な行為なんだから
それで成功したら善だし、失敗したら悪
そんなもんよ。まずはみんなであつまろ。
スピノザも言っとる。人間はさみしいから集まるって
そんなもんからでええんやで
こうして一旦フラットにすることによって
すべての活動、
集まりを社会運動の潜在的可能性へと変えてしまったのだ!!
な、なんて魔法をつかいよるんだ・・・ネグリ
社会運動なんてしているつもりなかったやつらまで、
マルチチュードというマジックワードによって、
社会運動の一部となったのだ!!
なーんだ、ただの言葉遊びか
一般的にはそうかもしれない
しかし、社会科学的には大きい意味があったのだ
それは、
資本の奴隷と言われる大企業たちが
SDGsといったような活動をしだしたりしていることをみればよくわかる
リベラルが「主体性!エンパワーメント!平等!」といえば
企業も「主体性!水平分散型組織!CSR!」といったように
結果的に形式上おなじようなことをする時代になってきたのである
それはなぜか?
もちろんそれが儲かるからである。
なぜ儲かるのか?
ここでまたネグリは面白いことを言い出す
「コモン」がいまの時代の利益だからだ、と
大量生産大量消費の時代は
工場でたくさん製品を作ることが利益の源泉だった
ところが現代のようにITやサービス業が勃興すると
製品ではなく、アイデアとかプログラミングとか感情とかいった、
物質的ではないものが利益の源泉となっている。
感情とは、
スマイル0円とか、お・も・て・な・し・の精神のサービスのことだ
こういったものは、
本来みんなのなかで作られるもの、「コモン」なんだとネグリは言うのだ
ニコイチといった言葉もそうだ
日常会話の中で作られた共有財産のように流行語は広まっていく
その、誰のものでもないものを、市場はわが物顔で搾取していく
なんなら今まさしく、
このnoteで私が「ニコイチ」を使用し新しい文章を生産している
こうやって、
「コモン」は「民(市場)」や「公」へと吸収され利用されていく
この「コモン」を取り戻せ!
労働者が工場の機械(生産手段)を取り戻す時代は終わったのだ!
と、超でっかく現在の経済構造について
新しい概念を作り上げて分析したのだ
マルチチュードは賛否あろうが、
ともかくも、コモンという概念はとかく使い勝手が良い
こうして、ネグリはスピノザを見事に政治的に解釈していったのだ
もちろんネグリはもともとスピノザは極めて政治的な哲学だ、
だって実践の哲学じゃないかというだろうが
お次は偉大なる哲学者 ドゥルーズによるスピノザ解釈だ!お楽しみに!!
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