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【やまもゼミ】育ての心(上)を読む

先日やまもゼミでお話していた他園の園内研修ですが、明日10月11日に次の回があります。自費ですが、もちろん行ってきます。学びあるところにやまも有り、です。

そして翌12日は、いよいよ養成校の講義です。この日は幼稚園に学生と先生がいらして講義をします。ここ数年の恒例になっていますが、楽しみです。


今日は倉橋惣三先生の言葉を取り上げてみます。
いま読んでいる本がこちらです。


まだ序盤も序盤で、他に大学院のために借りてきたペアレント・トレーニングの本が6冊…ただただ本に囲まれています。紙の本は囲まれているだけでやってる感になるから良いですね。 ダメですね。

ただ、「育ての心」は幼稚園真諦のような文章(あれは講演の文字起こしだったような)ではないんです。ネットでは「育ての心」は小論、随筆集との記載がありました。なので、少しずつでもしっかり読めるんです。今で言うツイートやブログみたいな感じでしょうか。フランクが過ぎますか。


ということで、倉橋惣三「育ての心(上)」です。

序文の一文目が「自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である」です。保育者であれば一度は聞いたことあるんじゃないでしょうか。この一文でご飯を食べられます。
倉橋先生は、昭和11年にこの言葉を残しています。現代でさえハッとするこの言葉、当時は周りにどう思われていたのでしょう。


私なりに国語的な解釈をねちっこく書いてみようかな。


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