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子供のうちに済ませておきたい「悲しみおもらし」

元夫は子が生まれてから常に悪態が耐えず、まるで反抗期の高校生が家にいるみたいだった。

私が我慢すれば済むならいいが、やはり嫌なのは子供にそれを見せ続けること。

目が合わない、笑顔がない、返事はすべて「あぁ」で意思疎通できない、言った言わないエンドレス、人の不調が大嫌いで休日平気で置いてかれる、貯金崩したくないから出産費用は親に借りろとか言えちゃう。

まるで不機嫌な幼児のよう。

そんな父親が目の前にいて「人には優しくしようね」「困っている人がいたら助けてあげてね」「女性を大切にしてね」なんて、どうやって子供に伝えればよいのか。

お別れして三年、
洗脳が解け、心身の不調から立ち直って冷静に周りをみると、母親と一緒にいるときの父親の言動が元夫と完全一致なことに驚く。

なんだろう、この男性が身内に幼児化する現象。
わかるのは、彼らが幼少期に母親に甘えられなかったということ。
そして横には、その男の経済力を頼りに生きる意思弱めな女性が仕えていること。

では、甘えとはなにか。

 International Psychoanalytical Association


となると、この幼児化現象、男性だけのものではない。

「経済力を男性に頼る」というシンデレラストーリーに生きる女性の庇護願望は、やはり他力本願な幼児的か弱さを感じる。

共通するのは不機嫌や恐れに対してあらわれる幼さであること。

当然夫婦のあり方は人それぞれなので、主婦を否定しているわけではない。

ただ資本主義で稼ぎ頭が主従関係を築きやすい環境において、それでも「フェアな関係を保つ」には双方に高いモラルが求められる。

昭和の元祖モラハラ男に英才教育を施された私には、とてもむずかしいことだ。

私にできることは、
経済的に自立して、常に自らの頭で考えるのを止めないこと。

そして、平然と他人をジャッジするの常識であるマッチングアプリなどで相手を探さないことだ。

素養を持った私のような人間がアプリを使うと、
私のなかの庇護されたい女児が顔を出し、
批判好きな尊大な男児がどうしても近寄ってきてしまう。
これでは甘え合戦である。

でも、魅力的な大人には必ずと言っていいほど子供の心がある。


素直に喜びを表現できる
シンプルである
好きにまっすぐ突き進む

喜びにまつわる幼さは、自分のなかにいつまでも大切に育みつづけたい。

幼少期に喜びをたくさん経験して、悲しみや恐れをサッと手放す経験は、人生に大きな影響を与えるのかもしれない。

子供を育てながら、自分を生き直す感覚を常に感じている。


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