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フードスコーレ不定期連載『食の未来仮説』#003 プラスチック包装の是非はどうなった(書き手:荒井里沙)

2018年ごろからにわかに注目されるようになったプラスチック問題。日本でも紙ストローが普及したりレジ袋の有料化が決定したりと、「脱プラ」の動きが始まっていた。しかし、今年の3月頃からはウイルス感染防止やテイクアウト需要などで、使い捨てプラスチックの需要も伸びているように感じる。一度は悪者のように認識されていたプラスチック。そもそも、プラスチックの何がいけないんだっけ。そして、今後私たちはこの素材とどのように向き合っていくのだろう。

そもそもプラスチック問題って何?

原点に立ち返って考えてみよう。なぜプラスチックは問題になっているのだろう?ざっくりと、ポイントは2つある。

一つ目は、プラスチックは化石燃料を原料にしているため、製造時と焼却時にCO2排出をはじめとする環境汚染を発生させるということ。これは、地球温暖化および気候変動問題に深く関わっている。

二つ目は、プラスチックは人工的な化合物であるため、海洋や土壌などに晒されても自然に分解されるまで数百年〜数千年ほどかかるということ。これは、浜辺に打ち上げられたクジラの胃袋から大量のプラスチックが出てきたというニュースから想像がつくように、生物多様性の破壊や人体への悪影響につながっている。

便利で人畜無害、奇跡の物質とまで思われていたプラスチック。その負の側面が明らかになってくるにつれて、徐々に「問題」として認識され始めているのが現状だ。

ちなみに、つい「プラスチック」と一言で片付けられてしまうが、その種類はさまざまだ。工業用で使われる丈夫なものもあれば、主に使い捨て目的で使用されるものもある。後者は「汎用プラスチック」と呼ばれ、レジ袋やペットボトルのプラスチック(PE、PSやPETなど)はこれに当たる。問題になっているのはこうした安価で普及しているプラスチックだ。

食べものとプラスチック

かくかくしかじかであるからにして、プラスチックは問題だ。そう言われたところで、ピンとくる人はどれだけいるだろうか。目に見えないガスで地球が少しずつ温められているというのも、どこぞの魚や水鳥がプラスチックの破片を胃袋に苦しんで溜めているというのも、自分からは遠い話のように聞こえるかもしれない。そんな時には、ちょっとだけ想像力を働かせてみよう。

案外、プラスチック問題と私たちの生活は密接だ。日々の暮らしで目にする使い捨てプラスチックはどんなものか、ちょっとだけ考えてみてほしい。
仕事に行く道すがらコンビニに寄って、昼ごはんのお弁当とペットボトル飲料を買う。店員さんの華麗な手つきに任せるまま、レジ袋に入ったそれらを受け取る。スーパーでお買い物をすれば、野菜、豆腐、お肉、お惣菜、ほとんど全てのものがプラスチックに包まれている。

それもそのはず、プラ包装は食材や調理品の輸送・保存・衛生管理にあまりに便利な代物なのだ。そうして考えてみると、日々の暮らし、特に食事のシーンにはいつもプラスチックがある。グローバル化し都市集中型の暮らしが中心となっている私たちの豊かな生活は、便利な汎用プラスチックに多くを負っている。この側面を無視して、無闇にこの素材を悪者に祭り上げて糾弾するのはナンセンスな感じだ。

塵も積もればなんとやら

でも、その量があまりに多いことと、先に挙げたプラスチックの悪影響を考えると、容器包装プラとのより良い付き合い方を考えなきゃいけない。世界のプラスチック生産量のうち容器包装に使われるものは全体の約40%を占めていて、そのうち回収されていないものが32%にのぼると言われている。回収されていないものは、海洋をはじめ自然環境に晒される。その量たるや、世界全体で毎分トラック1台分(!)にものぼるという(*1)。

海洋プラスチックの多くはレジ袋やペットボトル、お菓子の袋などの容器包装プラが占めている。日々の暮らしのシーンからも想像がつくかもしれないけれど、日本は一人当たりの容器包装プラの廃棄量がアメリカに次いで世界で2番目に多い。めっちゃ使っている。プラスチック問題のうち、特に自然環境への流出を抑えるためには、ほとんどが使い捨てにされる容器包装プラの量を減らすことがポイントになってくる。にわかにストローやレジ袋の削減の機運が高まったのは、広告的な要素もありながらも、またそれだけでは根本的な解決にはならなくとも、全く意味のないことではないのだ。

(*1 出典: Greenpeace, 「使い捨てプラスチック製品および生物由来原料に対するグリーンピースの見解」)

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健康と環境、どっちが大事?

今年に入ってから、使い捨てのマスク、衛生用品、ビニール袋、包装容器などがたくさん使われるようになったように思う。そのほとんどはプラスチックが素材となっている。人々の感染症に対する予防意識が上がったことはいいことだけど、一方で使い捨ての問題、つまり資源保護や廃棄に関する問題は一時棚上げにされた感があった。異常事態のさなか悠長に未来のことを思いやるなんて、なかなか難しい話だ。健康第一なのはたしかだけど、使い捨てプラスチックの問題も解決していない。どうしたらいいんだろう?

容器包装プラを巡って、この期間に生まれたトピックがいくつかある。
例えば、Youtubeで45万回再生されて話題になっていたこの動画。

動画ではVanWingen博士がウイルスを家に持ち込まないコツを教えてくれる。買ってきたものは全て拭いて消毒する、買い物をしてきたレジ袋は即捨てる、などなど。被害が甚大だったアメリカの状況を考えると、これだけ切羽詰まった対応が迫られていたこともうなずける。この動画が人々の予防意識を向上させてくれた一方で、恐怖心もかき立てたのではないかと思う。
2ヶ月経った今、果たしてこのビデオの内容をそのまま行っている人がどれだけいるだろう。人々はもっと融通してウイルスと共存しているように思える。最も大切なことは、除菌をして清潔に保つということであることは明確だ。しかし、だからといって使い捨てプラスチックを使わなくてはいけないわけではない。

見出しの問いに対する答えは、「どっちも大事」というところだろう。ただ、健全な自然環境があってこそ健康が担保されているということは忘れちゃいけない。野生動物由来の新型ウイルスの拡大は、環境破壊の問題と切っても切れない関係にある。この数十年の人間の活動によって生態系や森林が破壊され、野生動物と人間や家畜の境界が曖昧になってきている。それによって、私たちは野生動物がもつ新型のウイルスに晒されやすくなっているのだ。それに、大気汚染や水質汚染によって命を落としている人がいることも忘れてはいけない。健康と環境を天秤にかけて、どちらが優先されるべきと断じることは難しい。だからこそ、長期的な視線をもって両者が保たれるような努力をしていかないといけないのだ。

止まっていない、新しい流れ

世界がパニックに陥り情報が錯綜するなかで、私自身も何が正しいのか自信がもてなかった。使い捨てのプラスチック包装はこのまま増加の一途を辿るんじゃないかと思った時期もあった。でも、一度芽吹いたプラスチック問題対策の流れは止まっていないようだ。

例えば、予定通り日本でも7月1日からレジ袋が有料になる。もちろん、それだけで容器包装プラの問題が全て解決するわけではない。というよりも、数字で見れば削減できるプラスチックはわずかである。もっと規制したり革新を起こすべきセクターもあるけれど、これも大事な一歩だと思う。人々が毎日の食料品や生活用品の買い物で目にするあのレジ袋の、「無料で使い捨てできる」というコンセプトに揺らぎを与えられることに意味があるのだと考えるからだ。

結局のところ、こんな状況下でも「プラスチックを使っては捨てる」というモデルは変えていく必要がある。環境破壊を前提にした便利な暮らしは脆弱な上に長続きしない。使い捨て容器を一時的に推奨している飲食店も、ここぞとばかりにプラスチックの優位性を喧伝している業界も、思考停止のまま容器包装プラを消費している私たちも、そろそろ新しい道を模索する時だ。

では、私たちが生活のなかでできることはどんなことだろう。
ちょうど来月から”Plastic Free July”が始まる。「7月の1ヶ月間はプラスチックごみを出さないように生活してみよう」という趣旨の世界的なムーブメントだ。年々参加者を増やしながら10年目を迎える今年は、例年と違った様相になるだろう。衛生面や心理的ハードルとの折り合いのなかで使い捨てプラスチックの使用を減らしていけるか、たくさんのヒントがあるはずだ。

使い捨ての容器包装をもらわずに瓶やタッパーなどを持参して買い物をするスタイルも、徐々にではあるが広まっている。”nue by totoya”では、量り売りスタイルでナッツやベリー、小麦などを買うことができる。ちなみに、私の近所の豆腐屋さんとケーキ屋さんも、タッパーを持参すると快く入れてくれる。そう考えると、容器包装ごみを出さないとうことはそんなに難しい話じゃない気もする。「これに入れてくれますかね」。ちょっとしたお店の人とのコミュニケーションが鍵なのだと思う。

いつの間にか、もう今年も折り返し地点だ。昨年末から続いている異常事態が常態化しつつある。私たちはこの状況と一緒に生きていかなきゃいけない。昔から抱えていた種々の問題も相変わらず山積している。

ふうー。

まずは、一度ゆっくり深呼吸をしよう。道のりはまだまだ長い。少し先の未来を今この時と同じくらい大切に考えて、暮らしの形を考えてみることから始めてみたい。

『食の未来仮説』は、さまざまなシーンで活躍されている方たちが、いま食について思うことを寄稿していく、不定期連載のマガジンです。

今回の著者_
荒井 里沙/Risa Arai
1992年東京生まれ。企業の廃棄物処理コンサルタントを経て、等身大でできる持続可能な社会のためのアクションを発信中。「食」のストーリーを知ること、伝えること、そして食べることに目がない。530week所属。


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