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フードスコーレ不定期連載『食の未来仮説』#011 第二のふるさとはおいしい、「ふるさと長者」のススメ(書き手:矢野加奈子)

あなたには「ふるさと」と呼べる土地はあるだろうか、私は、生まれた土地ばかりとは限らないと思っている。現に私は生まれた土地よりも他の場所をふるさとだと思っている。しかもそれは複数箇所ある。ふるさとを多数持つ幸せを皆さんにもご紹介したいと思う。これからは億万長者より「ふるさと長者」がおいしい時代が来るかもしれないから。

ふるさとはつながる

基本的に皆さんがふるさとと言われた時は、その人が生まれ育った場所を思い浮かべると思う。しかし、辞書ではゆかりのある場所、訪れた土地などのこともふるさとと記載されている。つまり、自分の縁があったところは全てふるさとと言ってよいだろう。

私にも生まれ故郷以外のふるさとがいくつもある。ふるさとをたくさん持つこと、つまり様々な土地と繋がっていることは人生をとても豊かにしてくれると思っている。なんなら47あってもいいと思う。

私のメインふるさとは千葉県の浦安市だ。前回の記事でも浦安愛を書かせてもらったし、浦安のために日本全国が元気であって欲しいなと本気で思っている。まずはやっぱり地元が一番ということだ。でもこの浦安市のために私はサブふるさとをいくつも持っていなくてはいけないなと感じている。自分たちの地域だけでは解決できない問題というのが絶対に生まれてくるからだ。それは生産地と消費地だったり、川の上流と下流という関係だったりする。

少し具体的な事例をご紹介したいと思う。例えば東京都水道局には多摩川水源森林隊という活動がある。私も仕事の関係でお世話になっている活動だ。この活動では都民に安全な飲み水を提供するために、水道水源林と呼ばれる広大な森林の管理を地元自治体と協力して行っている。かつて東京都がまだ東京市だったころ、飲み水は多摩川から取水していた。

しかし、様々な理由から水源地の山林の荒廃が進んでしまう。そこで、東京市は「水源林の荒廃は、市民への給水の責務を有する市自らが復旧すべきである」ということで、当時の市長であった尾崎行雄東京市長が上流部の調査、計画案づくりを行い水源涵養林経営に着手した。現在もこの活動は続いており、山梨県内にある東京都の所有する水源林の管理などを行っている。

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暮らしは循環する

現在は東京都のメインの水源は利根川、荒川水系(78%)となっているが、水の循環や森林の持つ機能に着目し、100年以上前から東京都の水瓶や生活を守ってきた重要な活動だ。3分クッキングどころではない、都民が蛇口をひねって出てくるその水は100年クッキングなのだ。簡単な話ではない。

また、そこに住む人々にもこの感覚を持つ方がいて、私が学生の頃、水源林の一つである山梨県小菅村に初めて行った時にも、ある住民の方が「俺たちが川の水を汚しちゃうとあんたら(下流の人)が困るでしょ、でもね、水って雨になって帰ってくるから結局俺らも困るのよ」って感じのことを言われたことがある。これには衝撃を受けた。いきなり後ろからドーンと叩かれて振り返ったらカリブーだった、くらいの衝撃だ。

だって、その時の私は自分の行動が他にどのように影響するか考えて生活なんてしていなかったから。生活や行動が自分の知る範囲から離れて、どう影響して、どのように帰ってくるかなんて、循環や環境を学んでいても身近には感じなかった。どこか遠い世界のおとぎ話を聞いているみたいで、そーなんだ世の中には大変なこともありますね、くらいに思っていたから。

どうやったらこういう感覚が身につくのか、それはまだ私にははっきりとはわからない。村の人だからって全ての人がこう考えて生活しているわけでもないし、昔よりその感覚は鈍くなってきたかもしれない。要因はいくつかあると思うが、一つには自然の恵みを直に享受し、共に生活しているからかもしれない。

養魚場の方に話を聞いた時は、下流域に汚れた水を流さない水質検査がすごく厳しく絶対に水を汚しちゃいけないぞという感覚があるとお話を聞いたことがある。でもそのおかげで小菅村の川魚は身が甘く臭みもないしとっても綺麗なのだそうだ。このように仕事を通して日々自然と接する中で身につく人もいるだろう。

ちなみにこの絶品ヤマメ関東だと生きたまま配送もしてくれるので(*2020年8月現在の情報です)ぜひ試してみて欲しい。その時にぜひヤマメが入ってきた水の匂いを嗅いで見て欲しい。上流の綺麗な水の爽やかな匂いがすると思う。

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課題解決型から理想達成型へ

少し地域の話をしよう。今、私たちは都会でも農山村でも地域に対して様々な課題を抱えている。食や環境、コミュニティ、これはどの地域でも、視点は違うかもしれないが、同じように悩みを抱えている。

多くの地域に行って、その課題に向き合うとき、私が一番強く感じるのは未来につながるビジョンや目標が見えにくいということだ。多くの地域では、まず課題があり、それをいかにして解決するかという発想であるように思う。私は長年これに違和感を感じていて、その課題はなぜ解決しなくてはいけないのかということが必要なのではないかと考えている。つまり「課題解決型」の地域づくりではなく、「理想達成方」の地域づくりであるべきではないだろうか。

この人すごく当たり前のことを言っているな、と思った方もいるかもしれないが、それはあなたがよっぽど地域のことを広く捉えられているからです。これができていない地域が実は多い。全員がゴールは見えないけど、とりあえずどんどんボール蹴ってこ!という感じに見える。後何点入れれば勝てるのか、そもそもこれサッカーの試合なのに、野球ボールじゃん、みたいなことも起こっている。

これではみんな疲れてしまって、あの試合はなんだったのかとなってしまうのではないだろうか。いや、実際なっている地域もある。でも試合を数多くやったことに評価を置いていて、相手チームもいない、ボールは野球ボール、ゴールも見えない、でもなんか試合はやったよね、あの試合はよかったね!てなっている。もうそれは新手のホラー映画だよと思う。

私はこういった地域づくりも、実は地域内や地域同士のコミュニティが薄れてしまったり見えにくくなってしまったりすることで、起こるのではないかと思っている。もちろん全てがそうではなくて予算の関係とか大人の事情とか色々あるんだろうけど、コミュニティや地域感覚が薄れることで、自分事であったことが他人事に変わり、より興味関心が薄れて、よくわからない地域づくりに巻き込まれてしまうこともあるだろう。

実際、振り返ってみると私はそうだった。

こういったコミュニティや地域感覚は、自分の地域だけではなかなか鍛えることができない。他の地域に行き、違うコミュニティを見ることで得るものもある。食を軸に見てみても地域には実に多様なコミュニティがある。共同の炊事場利用など日常レベルのものから、地域の冠婚葬祭、神事の際の炊き出しや祭りなどの特別なイベントレベルのものまである。特にこの食コミュニティは信頼関係やより強固なコミュニティを作るという、人間が発展してきた重要な戦略の一つだ。

こういった食によるコミュニティはすでに自分の地域では失われてしまったものもあるし、あらたに生み出せそうなものもある。こういった感覚は様々な地域とつながっているからこそ気づいたことだし、常に情報を取り入れて更新して行かなくてはいけないものだと思う。まさに「同じ釜の飯を食う」とはこういうことだ。

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ふるさとは遠くても、近くにもありても、想うもの

つまり長々と、大きめのアナコンダくらい長く書いたが、何が言いたいかというと、遠くのふるさとも、自分の身近なふるさとも実はクモの巣みたいにつながっているということだ。だからより多くの地域を知ることで、自分のふるさとも豊かになり、自分の生活にも食の豊かさが生まれる。また、それだけでなく、防災上の安心など生活全般への安定も生まれてくる。意識しようがしまいが、生活は人々の間で循環し今日も回っている。それはとても心強いことだ。

同時に多くの地域とつながることで、何かあれば力になりたいなと思う。大雨や地震などの自然災害が起こると、みんな元気かな、大丈夫かなと心配になるし、新しいサービスや商品が生まれると勝手に営業部長のように宣伝したくなる。このような関係が生まれればもう、その地域のことを「ふるさと」と呼んでもいいだろう。推し地域はいくつあっても構わないのだから。私の友人は日本全国の食べ物を地産地消と呼んだ、いや、もっと範囲狭いだろ、となんか違う気もするけどそれはそれでアリなのかもしれない。

そして、前回も似たようなことを書いたが、良い時だけが人生ではない。悪い時もあるからこそ価値が出る。だからふるさとのいいところも悪いところも受け入れて応援し続けていきたいなと思う。

多くのふるさとを持ち地域を知ることは、本を読むことと似ている。それは自分だけでは決して得られない体験や知識、技を共有することだと思う。

だから多くの地域をふるさとにできる人は、本当に恵まれていると思う。皆さんもぜひふるさと長者を目指して欲しいと思う。つながり方は、地域の数だけあるのだから。

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終わりに

今回の3回の連載を通して、自分の身近な生活である「家庭」、その家庭が含まれる「地元」、そして地元がつながっていて欲しい「ふるさと」と、視野が広がるように暮らしを見つめ直してみた。これらは全て私の意見だし、違うという人もいるだろう。でもその違いこそ私は大切にしたいと思っていて、混沌とすることが何かを生み出す原動力だと思っている。

新型コロナウイルスが猛威を振るう今、私たちは、自分の行動に責任を持つべきだし、どのようにそれが循環するのか少しだけでいいから意識することが必要だ。新型コロナウイルスは、病状だけが怖いわけではなく、人々のコミュニティを断ち切り、地域を分断し、築いてきた信頼関係を揺らがせている。それは自分の身近な関係でもあり、遠い誰かのことでもある。

私たちの未来に何が起きるのか、それは誰にもわからない。だけど、どんな世の中にだって希望はある。私たちが生きている限りは。だからとりあえず今日も美味しいごはんをお腹いっぱい食べて、明日のために頑張ろうじゃありませんか。

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*写真提供:井口春海

『食の未来仮説』は、さまざまなシーンで活躍されている方たちが、いま食について思うことを寄稿していく、不定期連載のマガジンです。

矢野さんによる連載は今回で一旦終わりとなります。これまでの矢野さんの連載はこちらになります。よかったら覗いてみてください。

次回もどうぞおたのしみに!

今回の著者_
矢野 加奈子/Kanako Yano
合同会社流域共創研究所だんどり役員。東京農業大学大学院農学研究科造園学専攻博士前期課程修了。東京農業大学多摩川源流大学プロジェクト学術研究員。住民を巻き込んだワークショップの手法について研究しており、自身も様々な現場でファシリテーターやコーディネーターを勤める。Webサイトへの記事提供等も行う。


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