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八丁味噌はなるべくしてこの地で生まれた【三河・醸造文化の旅 #3】

おはこんばんちは。フードスコーレ校長の平井です。

段々と暑さが増してきた5月の末。スコーレメイトのみなさんと運営スタッフと一緒に、「愛知三河・醸造の旅」に行ってきました。はじめての「修学旅行」です。愛知県碧南市にある日本料理「一灯」の料理長である長田勇久さんと一緒にこの旅の計画を立て、5月28日(土)〜5月29日(日)の2日間、三河の中でも碧南〜岡崎の醸造文化の地をめぐる旅。醤油蔵、みりん蔵、味噌蔵を訪問し、蔵の方が「案内人」としてガイドしてくださいました。

お届けする旅のレポートも今回で3回目。最後となります。これまでのレポートはこちらをご覧ください。

伝統を守りつづける八帖町にあるふたつの味噌蔵
「カクキュー」野村健治さん、「まるや八丁味噌」の浅井信太郎さん

5月29日。気持ちいいくらいの晴れ。フードフィールドの2日目は、岡崎市八帖町(旧・八丁村)にある「合資会社八丁味噌(カクキュー)」と「まるや八丁味噌(まるや)」の2社を訪問しました。
はじめにカクキューさんを訪問。企画室長兼品質管理部長である野村健治さんに、味噌蔵を歩きながらカクキューの歴史や八丁味噌のこと、そしてこの地域の特長や歴史について解説していただきました。

カクキューさんの後に訪問した「まるや八丁味噌(まるや)」さんでは、案内人として代表の浅井信太郎さんに八丁味噌のことだけでなく、つくり手・経営者として考えていることについて、とても真摯にお話していただきました。

まずは、八丁味噌の造り方と特長の話。

麹菌が発酵して生まれるのは醤油と同じだけど、八丁味噌は味や香りだけでなく、その造り方も独特なものです。八丁味噌は米をつかわないで、大豆と塩と水のみで仕込む豆味噌に分類されます。その豆味噌、いまは愛知、岐阜、三重の一部でのみ造られています。

八丁味噌は木桶に仕込み、大豆と塩だけを原料に6トン仕込み、その上に3トンの重石を円錐状に積むことや、二夏二冬(2年以上)という長い間をかけて天然醸造で熟成させるのが特徴。このとき木桶のある蔵の温度調節はしないで、季節ごとの気温の変化に任せて醸造するらしいです。

ここで、八丁味噌の歴史とそれを造るふたつの蔵についても触れておきたいと思います。

まず八丁村について。村の名前の由来は、徳川家康が産まれた岡崎城から西へ八丁(約870メートル)の距離にあったからだと言われているんだそう。この地域の気候風土や暮らしによってうまれた味噌だから、「八丁味噌」と呼ばれます。

この辺りは、矢作川や乙川など大小複数の川が入り組む湿気の多い地域。湿気が多いから、より保存性の高い味噌にするために、仕込みにつかう水を極限まで減らしていったらしい。だから八丁味噌は、米味噌などにくらべて固い。これは想像だけど、こうした湿気の多い土地に棲む微生物のもたらす環境が、八丁味噌の独特性を生むのだろう。

野村さんによると、当時から八丁村には良質な水のほかに、大豆や塩など味噌づくりに必要なものにはとことん恵まれていたらしいです。カクキューの創業当時は、「矢作」という地大豆を用いていて、塩は吉良地域の三河湾沿岸にある塩田でとれる饗庭塩(あいばじお)という良質な塩をつかっていました。

この野村さんの話は、前日に「日東醸造」の蜷川さんが教えてくれたことと合致します。ちなみに、「鈴盛農園」の鈴木さんが塩農法でつかっている塩もこの饗庭塩とのことでした。

この八丁村(いまの八帖町)という狭い区画で、八丁味噌を伝統製法で造りつづけるのは「カクキュー」と「まるや」の2社のみ。この2社は旧東海道を挟んで向かい合っている。現地に行ってみるとわかりますが、2社の間の道路幅は5メートルにも満たないんです。この近距離で「八丁味噌」という同じ製品を造りつづけているのがおもしろい。いわゆる競合であるわけだし、2社は「仲悪いのかな」と訪問する前までは思っていました。

ところがこの2社。岡崎市や岡崎商工会議所などの支援を受けて、八丁味噌の味と伝統を後世に伝えつづけるために、2005年に「八丁味噌協同組合」を設立しました。このことと関連して2社の関係について、まるやの浅井さんの話が興味深いんです。

「江戸時代から八丁味噌を造りつづけることができたのは、地元に支えられたことはもちろんだけど、ふたつの蔵が旧東海道を挟んで存在していたことが大きい。ふたつの蔵は長い歴史の中でライバルとして競い合ってきた。困ったときは互いに援助もしてきた。この関係があったからこそ、時代に流されることなく味を守りつづけることができたんだと思う。先祖がさまざまな課題を乗り越えて造りつづけてきた八丁味噌を、次の世代へ伝えつづけることは使命である」

カクキューやまるやのすぐ隣には、矢作川が流れています。その昔、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)と蜂須賀小六(のちの正勝)が出会った矢作橋のかかる大きな川。矢作橋は当時ではもっとも長い橋だったらしい。歴史好きなもんだからカクキューさんを訪ねる前に、岡崎城から矢作川までをひとりでぐるっと歩いてみました。当時の人たちの暮らしを思い描きながら。

川が徒歩圏内にあるということは、水運を活かしいろいろな物資がこの地に入ってきたであろうし、ここでつくったものを運搬することもできたんだろうな。そのことを野村さんに尋ねると、実際そうであったらしいです。カクキューやまるやから歩いてすぐのところに川土場の名残がいまでもあり、そこから江戸へ船で八丁味噌を出荷していて、燃料となる薪や木桶に載せる重石は矢作川の上流から川舟で運ばせていたとのこと。

矢作川と東海道が交わる八丁村は、物資と情報が行き交う要衝だったんだな。このあたりはさぞかし活気のある地域だったんだろうな。野村さんの解説を聴くほどに、この地域には八丁味噌を造るすべてが揃っていて、八丁味噌はなるべくしてこの地で生まれたと言ってもいい。

こうして、2日間も終了!この日もたくさんの収穫がありました。頭もお腹も心もいっぱいになった!


長田勇久さんの存在

今回のフードフィールドの特徴は、「長田さんが計画した」というところでして。長田さんのお店で実際につかっている愛知の伝統調味料をはじめとした食材を、長田さんはなぜ選んだのか? それらはどんな方たちがつくっているのか。長田さんから事前にたっぷりと解説を聞いてから旅に挑みました。

長田さんは、地元愛知の漁港、畑、醸造蔵をめぐって、つくる人の思いのつまった食材にたくさん出会ってきたそう。それらをつかった料理を出すために、日本料理「一灯」を2015年にオープン。そこで店主をしつつ、白醤油講座、愛知大学オープンカレッジ講師など多方面で地元の伝統的な野菜や調味料、和食の魅力を伝える活動をしています。

長田さんの人柄や、料理の腕前もあるんでしょうが、時間をかけてじっくりと地元のつくり手と食材に向き合ってきた実績が積み重なって、周りのひとからの信頼を集めているんだと思います。これも人間関係の「発酵・熟成」と言えるなぁ。

最後に

今回の2日間の旅で、現場を見ながらつくり手のお話を伺っていると、「このつくり方は本当に面倒くさい」というようなことをみなさんが話していたのが印象的でした。「あ、面倒くさいんだ」と。素直だなと思いました。

伝統的な蔵を長い間守りつづけている人たちだから、すごい方たちなんですが、決してスーパーマンじゃない。僕らと同じ人間なんだなと。だからつくられるものも、機械的に感じられないんですよね。どれも一見同じ製品だけど、ひとつひとつにちがう顔があるかのよう。しかしなんでこんなふうに面倒なことをやりつづけられるんだろう。面倒くさいと言いながら、なんだかたのしそうでもあるんですよね。

話逸れますが、なにかのドキュメンタリー映像で映画監督の宮崎駿さんも仕事中に「面倒くさい」ってよく口にしていました。ここにつくり手・クリエイターとしての共通性があって、「面倒か面倒じゃないか」は仕事をする上での判断材料ではなく、むしろ「面倒くさい」のは百も承知で、それを使命感ややりがいとして捉えている。それは自分で選んだある意味の「自由さ」の中に、自分の生き方を重ねているから、周りから見てもたのしそうに思えるのではないでしょうか。

どんな商品でも、より効率的な作業にすることで大量につくることはできる。売上も伸ばすことができるかもしれない。でも出会ったつくり手のみなさんがそれを選ばないのは、生き方なんでしょうね。「面倒くさい」と言いながらも、どなたも不平や不満を口にしていませんでしたから。自分で選んだ生き方に不平なんて言わないですよね。目の前で起きることに、失望するのかワクワクするのかはじぶんで選べるんだなと。

法律や制度、自然環境を相手にものづくりをされてきたみなさん。そんな方々がこの土地で造りつづけている。まさにみなさんの関係や取り組み自体が「醸成」しているといいますか。発酵・熟成を繰り返すことで、唯一無二で個性的な生き方になっているんだろうな、なんてことを思いました。

じぶんも含めてですが、僕らは考えないで食べることに慣れてしまったように思えます(昔のひともそうだったんだろうか)。

以前のフードカリキュラムで、案内人の山倉あゆみさんと「生産と消費の乖離がなぜ起きているのか」について話したときに、「距離と深さの話をバランス良くできるといい」ということを山倉さんは教えてくれました。

距離 = 自分と生産地との距離
深さ = 食材そのものや生産地の歴史や背景、それに関わる人たちの営み

このふたつのバランスを自分の中に腑に落としていかないと、「いまなぜそれを食べるのか?」という意識にたどり着けない。あゆみさんのいう「環境、歴史、出会った人、自分が移動した距離。それらが自分をつくりあげていく」という言葉がしっくりきた今回の旅でした。

つねにあたらしい課題にぶつかり、それに向き合って乗り越えていく。そんなつくり手が全国各地にいて、そうした現場に触れられる機会が、もっとたくさんあるといいですよね。いま食生産の現場で何が起きているか。よいものづくりに真摯に取り組むつくり手を支えるような、本物の情報をみんなで共有する。フードスコーレは、そうした取り組みをこれからもやっていこうと思います。

<終わります>

この旅で訪ねた方たち
長田 勇久さん
「小伴天」代表取締役社長。「日本料理一灯」店主。大学卒業後、つきぢ田村にて6年間修行。のち小伴天に戻る。地元愛知の漁港、畑、醸造蔵をめぐり、様々な作り手の思いのつまった食材を使った日本料理「一灯」を2015年オープン。店主をしつつ、白醤油講座、愛知大学オープンカレッジ講師など多方面で地元の伝統的な野菜や調味料、和食の魅力を伝える活動や、真空調理をはじめとする新調理技法の講師としても各地で講演や指導をしている。新調理技術協議会幹事 / 和食文化国民会議幹事。著書「真空調理で日本料理 」「わかりやすい真空調理レシピ」「調味料の事典」(柴田書店出版)

野村 健治さん
企画室長 兼 品質管理部長。H10年3月名城大学農学部農芸化学科卒業。H10年3月合資会社八丁味噌入社。平成10年に合資会社八丁味噌 入社。醸造現場を経験した後、品質管理部へ配属。ISO9000シリーズ取得に伴う基準書作成の他、オーガニック認証のルール作成と維持管理に関わるなどの経験をしたのち広報および新商品開発などを行う企画室へ。その後平成29年に品質管理部長を兼務。

浅井 信太郎さん
代表取締役社長。愛知県出身。東京農業大学卒業。1973年ドイツ留学。1978年合名会社大田商店(現:株式会社まるや八丁味噌)に入社。ドイツ留学時の経験からオーガニックの可能性を見出し、1980年代から有機栽培の大豆を使った八丁味噌の輸出を主導する。2004年、代表取締役に就任。八丁味噌の伝統を次代へつなぐため、地元ブランドの発展に奔走するとともに、日本の食文化を紹介するために世界を駆け回る。海外では「MR.HATCHO」の愛称で呼ばれ、サムライ装束でMISOを紹介することも。

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