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スマートフォンはアートになれるのか? 芸術の持つ可能性と美術館へのトビラ

もし100年後、この小さなデバイスが美術館に並ぶ未来が訪れるとしたら——

あの日、胸躍らせながら手にしたスマートフォンも、次々と登場する新機種に心を奪われ、気づけば手放してしまいます。買い替えのサイクルは加速し、過去のデバイスは静かに忘れ去られていく運命です。

スマートフォンが時代を超えて生き続けるためには、消費されるデバイスから、鑑賞されるアートへと、変貌を遂げる必要があります。しかし同時に、『そもそもスマートフォンはアートになれるのか?』という疑問も浮かびます。

本記事では、スマートフォンの芸術的可能性を、歴史に名を刻んだデザインやアートプロジェクトを交えながら考察し、アートとして評価される未来を探っていきます。



スマートフォンはアートになれるのか?

語り継がれるために

近年、スマートフォンは目覚ましく進化し、道具としての完成度を高めています。
その一方で、機能性を追求した結果、デザインは画一化し、個性や独自性を失いつつあります。

今のスマートフォンに求められるのは、単なる道具から、時代を超えて愛される『アート』への昇華です。アートとしての価値を持つことで、消費社会に埋もれることなく、後世に語り継がれる存在になれるかもしれません。

アートとは、単に見た目の美しさだけではなく、社会や文化、ひいて私たちの価値観にまで影響を与える力を持っています。こうした価値を確立するためには、作品そのものに、人々を惹きつける圧倒的な魅力が必要です。

では、スマートフォンはどうすればアートになれるのでしょうか。異なる3つの事例を通して、その可能性を探っていきます。


スマートフォンをアートにする3つの視点

美術館に眠るガラケーたち

〈ニューヨーク近代美術館/MoMA(モマ)〉には、かつてKDDIが展開した〈au Design project/エーユー デザイン プロジェクト〉の『デザインケータイ』が収蔵されています。

〈深澤直人/ふかさわなおと〉の《INFOBAR/インフォバー》《neon/ネオン》、〈Marc Newson/マーク ニューソン〉の《talby/タルビー》、〈吉岡徳仁/よしおかとくじん〉の《MEDIA SKIN/メディア スキン》といった機種が永久収蔵品として選ばれました。

これらの製品は、独創的なコンセプトを武器に登場し、当時、画一化していたガラケー市場に一石を投じます。その結果、国内外から高い評価を受け、デザインの持つ力を証明しました。

《INFOBAR》
KDDI株式会社『auケータイ図鑑|おもいでタイムライン』
https://time-space.kddi.com/ketaizukan/2003/8.html
《talby》 
KDDI株式会社『auケータイ図鑑|おもいでタイムライン』
https://time-space.kddi.com/ketaizukan/2004/4.html
《MEDIA SKIN》 
KDDI株式会社『auケータイ図鑑|おもいでタイムライン』
https://time-space.kddi.com/ketaizukan/2007/23.html

現在もau Design projectの復活を望む声が多いのは、このプロジェクトが単なる製品ではなく、アートとして人々の記憶に刻まれている証拠といえるでしょう。

スマートフォンをアートとして成立させるためには、近年のシンプルで合理的なアプローチだけでなく、あえて「派手な装飾」や「複雑な形状」を取り入れる勇気が求められます。

こうしたアプローチには、プロダクトデザイナーの力が欠かせません。
近年〈SHARP/シャープ〉は、プロダクトデザイナー〈三宅一成/みやけかずしげ〉監修のもと、AQUOSシリーズを刷新しました。この試みは、スマートフォン市場にデザインの価値を再認識させる重要な取り組みです。

しかし現在、かつてのau Design projectのように、デザイナーがデバイスを監修する流れは停滞しているように感じます。スマートフォンをアートに昇華するためには、再び同じようなムーブメントを起こす必要があるでしょう。

消費社会とアートの融合

同じくKDDIが展開した〈iida/イーダ 〉は、au Design projectの影に隠れながらも、多くの優れた製品を世に残しました。なかでも、「Art Editions」は、『携帯電話を現代アートへと一変させるプロジェクト』として話題を呼びます。

特に注目すべきは、《Art Editions YAYOI KUSAMA(全3作品)》です。

前衛芸術家〈草間彌生/くさまやよい〉とのコラボレーションは、ほかに類を見ない個性を放っており、どの作品も携帯電話という域を超えて、アートとしての存在感を示しています。

《ドッツ・オブセッション、水玉で幸福いっぱい》
出典:KDDI株式会社『iida「Art Editions YAYOI KUSAMA」3作品の販売開始について〈参考〉』https://www.kddi.com/corporate/news_release/2009/0724/sanko.html
《私の犬のリンリン》 
出典:KDDI株式会社『iida「Art Editions YAYOI KUSAMA」3作品の販売開始について〈参考〉』https://www.kddi.com/corporate/news_release/2009/0724/sanko.html
《宇宙へ行くときのハンドバッグ》
出典:KDDI株式会社『iida「Art Editions YAYOI KUSAMA」3作品の販売開始について〈参考〉』https://www.kddi.com/corporate/news_release/2009/0724/sanko.html

《ドッツ・オブセッション、水玉で幸福いっぱい》と《私の犬のリンリン》は100台限定で100万円、《宇宙へ行くときのハンドバッグ》は1,000台限定で10万円で発売。いずれもアート作品として限られた販路で提供されました。

消費社会の象徴である携帯電話と、その対極にあるアートの融合は、私たちの想像を超えた作品を生み出す可能性を秘めています。芸術分野との共同開発は、スマートフォンがアートになるための近道といえるでしょう。

そして、au Design project後のKDDIが、明確な意思を持ってiidaを展開し、携帯電話を現代アートへ昇華しようとした試みは、決して忘れてはならない歴史の1ページです。

破壊が生み出す神秘

中国を拠点とする〈Grid | Frame Studio/グリッド フレーム スタジオ〉では、iPhoneなどのデバイスを分解し、その内部構造を標本のように再構築することで、新たな価値を生み出しています。

デバイスの各パーツは、ひとつの構成要素としてフレーム内に配置され、まるでSF作品に登場する未来都市のような美しさを放っています。その美しさは、機能を失ったデバイスの最後の光のようで、どこか儚く、そして神秘的です。

この事例が示すように、スマートフォンメーカー以外の企業が芸術的な付加価値を与えることで、スマートフォンをアートへと昇華させることが可能です。

アートの世界では、再構築が当たり前に行われています。たとえば、陶器は金継ぎによって受け継がれ、絵画は保存修復士の手によって、時代を超えた魅力を保ち続けています。

スマートフォンも第三者が手を加えることで、新たな価値を生み出せるかもしれません。使い捨ての時代だからこそ、長く愛される存在へと変える工夫が求められています。


スマートフォン・ミーツ・アート

魂の抜けたデバイス

最後に、『そもそもスマートフォンはアートであるべきか?』という視点に立ち返ってみます。

この問いに対する批判的な意見として、「スマートフォンは道具であり、アートとは異なる」という主張があります。

アートは主に鑑賞や解釈の対象となる一方で、スマートフォンは機能性を重視し、日常的に消費される対象です。仮にデザインやコンセプトが芸術的であっても、「スマートフォン=アート」と評価されることは少ないでしょう。

また、スマートフォンはソフトウェアの寿命によって機能を失うと、単なる電子機器の残骸となります。物理的なデザインが優れていても、動作しないスマートフォンがアートとして成立するかどうかは、依然として議論の余地があります。

「魂の抜けたデバイスをいかにアートへ昇華するか」、それこそが、このテーマにおける最大の課題なのかもしれません。

手のひらのなかの可能性

しかし、それでもスマートフォンとアートが出会うことで、新たな可能性が広がることは確かです。今回紹介した事例のように、スマートフォンもさまざまな形でアートに昇華する可能性を秘めています。

スマートフォンが美術館に収蔵されるほどのアートとなるためには、デザインの革新性や文化的価値が欠かせません。au Design projectのように、日本から世界に誇れるアート作品が生まれれば、芸術の未来はより明るいものになるでしょう。

私たちの手のひらのなかには、未来のアートがひっそりと眠っている——
そんな可能性を感じながら、扉が開かれる瞬間を心待ちにしたいと思います。



参考:


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