見出し画像

10年ぶりにiMacのIllustratorを使って見出し画像を作ってみる

私がiMac(アイマック)を買ったのは、新卒で入社した小さなデザイン会社で働き始めてしばらくのこと。

当時Apple社が発売したiMacは白いボディの一体型パソコンだった。私はこの白いコロンとしたボディに惚れ込み、20万で購入した。

デザイナーに欠かせないデザインソフトが一式入ったAdobe(アドビ)をインストールし、準備が整った。

『これでたくさんの作品を作ろう』

駆け出しのデザイナーなら誰もが憧れるMacは、手に入るだけでテンションが上がった。

しかし現実は自分が思っている以上に仕事で日々を忙殺され、毎日22時まで続く残業で作品どころではない。

趣味の創作に使うはずが休日もインターネットしか使わない。仕事で散々デザインソフトを使っているから創作意欲が湧かないのだ。これでは3万円程で買えるパソコンで充分だったじゃないか。

まともにiMacを使ったのは、納期に間に合わない仕事を持ち帰って作業したり、転職用にポートフォリオをまとめた時だけだった。

やがて結婚して子供ができると、ますます自分の時間が持てなくなった。私のiMacは部屋の隅に追いやられて、何年も電源すら入れないまま放置された。

ところが仕事から離れると、急に創作意欲があふれ出す。

よく試験前のテスト勉強中に絵が描きたくなる現象と同じで、目まぐるしい育児の現実逃避から、私はふとした瞬間に何かを創りたい気持ちになった。

あふれ出す創作意欲が止まらず、描きたいイラストや書きたい物語が子育て中もぐつぐつと湧いた。

しかし私は必死に蓋をする。

今はできないんだ。
子育てに集中しなきゃ。 


ある日iMacを起ち上げると、いつの間にかOSの更新がストップして、Safariも使えなくなっていた。スマホの普及でネットが使えなくても不便ではなかったが、ネットすら使えないパソコンなんてあっても邪魔になるだけ。

使える物はアドビのIllustrator(イラストレーター)やPhotoshop(フォトショップ)のデザインソフトのみ。日常で使うには持て余すスペックだし、iMacを売るにしても型が古すぎて値段がつかない。

しかし、私はどうしてもiMacを処分する気持ちになれなかった。

情が移ったと言えばそうかもしれない。
あれぼど必死に蓋をし続けた創作意欲は、いつの間にかどこかへ消えてしまったのに、まだ泥臭い未練があるようだ。


noteを始めると、見出し画像選びが億劫になった。みんフォトや画像生成AIを利用すれば簡単なのだが、どうも私には水が合わない。Canvaもまだ使い慣れていないし、イメージ通りの画像が出てこない。

自分でイラスト描こうかな。

これまでガチガチに蓋をし続けた創作意欲を開けてみる。あの頃と同じように、また絵を描くのが楽しいと思えるだろうか。底にこびりついた創作意欲をかき集めてイメージを落とし込む。

ああ、駄目だコレ。

自作のイラストはブランクが空きすぎて、全くイメージ通りに筆が乗らなかった。何年も絵を描かないとこういう事になるのか。


iMacに入っているIllustratorで描けばイメージに近づくだろうか。

おもむろに私はiMacと向き合う。
真っ黒い画面に自分の姿が映った。

iMacの白いボディに触れる。
電源のスイッチを入れると画面が明るくなって起ち上がった。


「おかえり」


何年も放置していたのに、iMacは当時と変わらず起動してくれた。

デスクトップは散らかったファイルがあちこちにあった。途中まで書き起こした物語やイラスト。昔の写真や結婚式の写真。ショートカットキーが効かない小さなバグまであの当時のままだった。


「まってたよ」


ひとつひとつが懐かしい。
デザインソフトのIllustratorでトレースしながら、私は胸がいっぱいになった。

ずっと部屋の隅で待っててくれたiMac。

古い機器だから壊れないかな。

あれだけ放置しておきながら、今になって壊れる心配をする。自分の都合でiMacに触れて来なかったくせに。

でももう自分の気持ちに蓋をするのは辞めるよ。しばらく私のお絵描きに付き合って欲しいんだ。



「もちろんさ」


Illustratorで描くペンツールはすぐに感覚を取り戻した。私が駆け出しのデザイナーだった頃、このペンツールの習得にとても時間がかかった。初心者が始めに通る苦労だと思う。

10年のブランクがあっても、過去に積み上げた経験は今に繋がる。

まさか再びiMacでIllustratorを使う日が来るとは思いもしなかった。







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